ユ・ギソン牧師の『霊性日記』を読みました!
「24時間イエス様を見つめる」?
 先月、韓国に行ったときに、よい本を紹介していただき、すぐに注文して読み始めた。昨晩、読了したが、私がずっと考え、求めていたことの多くが語られていた。それは、「24時間イエス様を見つめる」ということである。これは、実際に無理な話であるが、それを求めていくことの素晴らしさがある。本書では、「信仰の実験」と呼ばれている。
今まで、スマホを使って、日に三度、「自分自身→イエス様」を呼び出してもらったが、それでも、午後すぎになると、たるんでしまうので、日に四度、呼び出してもらうことにした。より良い感じである。しかしパーフェクトにはほど遠い。気づくとすぐに、この罪びとのかしらは、「聖霊ではなく、自分に満たされ、歩んでいる」!
以前、教会の一年の目標を、「霊性日記を書く」ことにしたが、かなりの努力が必要で、あまり続かなかった。私も頑張ったが、いつしか、書けなくなってしまった。しかしユ・ギソン牧師は、これを提唱し、しかも、書いた内容を小グループで分かち合うように勧めている。どこまで、これができるだろうか。ユ牧師の教会でこれがなされているのだろうか。一度、訪問してお聞きしたいと思っている。
これからまた、霊性日記を書くかどうか迷っている。実際今は、「本態性振戦」で手が震えて字はほとんど書けない。でもこれも言い訳である。今の時代、パソコンやスマホがある。キーボードはまだ使える。確かに、自分を見つめ、また24時間、イエス様を見つめて歩むために有効だろう。どうしたらよいか。迷っている。より良いことならやってみたいが。。。こんな良い本と出会って、感謝します。ハレルヤ!
2018-11-21 07:07:28[投稿番号:78]

一つになるために、一つであるために
ヨハネ17章の「主ご自身の祈り」から教えられる!
 礼拝では、この8月からずっとヨハネの福音書から学んでいる。集中して学び続けると、いろいろな発見と教えがある。これまで何度かヨハネの福音書から連続的な学び(礼拝説教)をしたことがあるが、それでもまた、今、教えられている。みことばは「スルメ」のようで、噛めば噛むほど、また教えられ、本当に感謝である。
17章を本当は一回のメッセージで終わる予定であった。いやその前に、17章は、果たして教会の兄姉といっしょに、礼拝において学ぶ価値のある「章」であるかとも考えた。
しかし昨日の礼拝で、17章の学びの三回目を終えることができた。17章も、当然のことながら、私の誤りが示され、本当に教えられることの多い学びとなった。
御子が、全クリスチャンに向かって、全教会に向かって、「一つになること、一つでありつづけること」をどんなに願っておられたか、よくわかった。そして今も、天の御座で祈っておられることを信じる。
だから、私も、この祈りに従わなければならないと思う。愛の一致の交わりがもっと深められ、もっと広げられるように、できる限り、このことをしていかなければならないと思わされている。教会の中でも、外でも、教団の中でも、超教派的にも、である。
御子の祈りが響いている。御霊の一致が既に与えられているので、この御霊に導かれて歩ませていただきたい。ハレルヤ!
2018-11-19 07:14:19[投稿番号:77]

『パウロ』という映画、観てきました!
神様にある2000年の歴史を感じた!
 昨晩、家内といっしょに名演小劇場で「パウロ」を観て来た。来週、まだやっていたら、教会の皆さんにお勧めしたいと思う。第一世紀のローマを再現し、特にネロ時代のキリスト者迫害がリアルに描かれている。こんな歴史を通って、御子の福音が全世界に広がったことを覚えさせられた。またちょうど、ヨハネの福音書を礼拝で学びつづけているが、「この世には患難がある。しかし勇敢でありなさい」という御子のことばを思い出した。
この映画をすでに観て来た兄姉から感想をお聞きしていたが、ぜひ観られることをお勧めしたい。今の時代の私たちの戦いと違う面もあるが、しかし忘れてはならない戦いがここに描かれている。
「困難に遭っても信じ続けるすべての人々に捧げます」という最後の字幕が非常に良かった。これは、原文では、「この映画を殉教者に捧げる」であったが、許可をもらって、訳を変えたそうである。現在の殉教者、またすべてのクリスチャンに捧げられた映画と言ってもよいだろう。感謝します!
2018-11-16 07:13:16[投稿番号:76]

神様の御業はつづく!
創世記46:1−4
 ヤコブの時代からヨセフたちの時代に移ろうとしている。そんな時、神様は、エジプトに下る決心をしたヤコブに現れ、語られた。「エジプトに下ることを恐れるな。私自身があなたといっしょにエジプトに下る。…わたしはそこで、あなたを大いなる国民にする」
神様の御業は、当然であるが、ヤコブ一代で終わるわけではない。彼を超えて、これからもヨセフ…モーセ…ダビデへと受け継がれていく。神様は偉大で、神様の御業も時代を超えて受け継がれていく。
私自身の生涯も本当に限りがあって小さな出来事のよう。しかし神様の臨在と御業は偉大で、無限に広がって完成に至る。50年前に神様からいただいた生涯の召しを思い出した。この召しに導かれてここまで来ることができた。しかし間もなく、ヤコブのように終わることになる。しかし神様の召しと神様の御業は私の生涯を超えて、受け継がれていくだろう。私は、こんな大きな神様に仕えていることを思い起こされた。「人間をとる漁師にする」と言われた神様の召しは、どんな形で、次の時代に受け継がれていくのだろうか。神様は、すべてを握っていてくださる!ハレルヤ!
2018-11-15 06:58:47[投稿番号:75]

最近、考えていること
ユ・ギソン牧師
 昨年、オンヌリ教会のリバイバル集会に参加させていただいて、ゲスト・スピーカーであった「ユ・ギソン牧師」のメッセージを聞いて感動した。今年、一年ぶりに韓国に行ってどうしても行きたかったところは、ユ・ギソン牧師が牧会しておられる「ソナンモクチャ教会」であった。ユ先生は不在でしたが、教会の隅から隅まで(?)見せていただき、玄関ホールにあるコーヒーショップで一休みさせていただいた。オンヌリのような巨大な会堂ではなかったが、ホットできる教会堂で近づきやすさを感じて、大満足した。
今、ユ・ギソン牧師の著書が翻訳されていると聞いて、注文し、『霊性日記』を読み始めている。「24時間イエス様を見つめる信仰の実験を始めよう」とある。本当に、私が今求め、願っていることにぴったりの書である。24時間イエス様と共に歩み、また歩もうと試みるときの様々な葛藤や感謝を「霊性日記」にすることが書かれている。教えられることの多い、お薦めしたい著書である。
2018-11-12 07:01:06[投稿番号:74]

神様の配剤?
創世記37-45章:ヨセフ物語
 創世記45章5-9節を読みながら、神様の深い、また大きな配剤について考えるようになった。後になって、神様の偉大な、奇しい御業と導きを知ることになる。ヨセフやその兄弟たち、父ヤコブもそうである。
最近、父と母のことを考えることがあった。父が亡くなる3か月(?)前に急きょ、カナダから日本に戻り、父と話をして一諸に祈ることができた。母とは、亡くなる前日(?)に思いがけなく訪問し、神様のことを話し、一諸に祈ることができた。まだ分からないことはたくさんあるが、ここにも、神様の不思議な配剤を感じる。
神様のご支配や導きのすべてとその意味を知ることができるのは、天の御国に行ってからのことであるが、その前にも、いくらかであるが、神様の配剤を知ることができるだろう。そして、聖なる神様、あわれみと恵みに富んでおられるお方の配剤を覚えるとき、私は大きな喜び、感動を覚える。ハレルヤ!
2018-11-10 07:17:58[投稿番号:73]

創世記32章22節以下について
ある人とヤコブの格闘とは何か?
 ヤコブの格闘とは何か。。。創世記32章を読んでから、ずっと考えている。ヤコブはどんな闘いをしたのか、夢か、まぼろしか。現実か。 よく言われるように、本当に相撲だったのか?。。。
祈りの格闘だったのかもしれない。真の答えは、天国に行ってからになるだろう。
ただこの箇所を読んでから、神様と個人な格闘をする必要があることを感じるようになった。学生時代から何か重要な決断をする時は、ひとりになって格闘した。その必要があることを思っている。
2018-10-23 14:00:16[投稿番号:72]

 
2018-10-23 13:39:41[投稿番号:71]

御霊に満たされて:あ・い・う・え・お
最近、完成しました!
 最近、やっと「愛すること、互いに愛し合うこと」の「あ・い・う・え・お」が完成しました。よく考えてみますと、これはまた、聖霊に満たされ、導かれて歩むことにも、そのまま適用できます。

 「あ」:諦めない
 「い」:居直らない
 「う」:自惚れない
 「え」:遠慮しない
 「お」:恐れない

  愛すること、愛し合うことにも、御霊に満たされ導かれていくことにも、この「あ・い・う・え・お」は不可欠ですね。これまでも、これからも教えられていきます。ハレルヤ!
2018-09-23 09:07:36[投稿番号:70]