創世記32章22節以下について | ある人とヤコブの格闘とは何か? | ヤコブの格闘とは何か。。。創世記32章を読んでから、ずっと考えている。ヤコブはどんな闘いをしたのか、夢か、まぼろしか。現実か。 よく言われるように、本当に相撲だったのか?。。。
祈りの格闘だったのかもしれない。真の答えは、天国に行ってからになるだろう。
ただこの箇所を読んでから、神様と個人な格闘をする必要があることを感じるようになった。学生時代から何か重要な決断をする時は、ひとりになって格闘した。その必要があることを思っている。 | 2018-10-23 14:00:16[投稿番号:72] |
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御霊に満たされて:あ・い・う・え・お | 最近、完成しました! | 最近、やっと「愛すること、互いに愛し合うこと」の「あ・い・う・え・お」が完成しました。よく考えてみますと、これはまた、聖霊に満たされ、導かれて歩むことにも、そのまま適用できます。
「あ」:諦めない
「い」:居直らない
「う」:自惚れない
「え」:遠慮しない
「お」:恐れない
愛すること、愛し合うことにも、御霊に満たされ導かれていくことにも、この「あ・い・う・え・お」は不可欠ですね。これまでも、これからも教えられていきます。ハレルヤ! | 2018-09-23 09:07:36[投稿番号:70] |
お客さん牧師から「牧師」へ | 稲沢教会に導かれて約半年! | 稲沢教会での牧会に導かれてから、約半年になろうとしています。牧師として約40年、前教会では、その内の24年間、牧師として奉仕させていただきました。牧会経験としては、それなりにあるほうで、海外でも牧会奉仕に導かれ、アメリカのトリニティー神学校で牧会学の学びもさせていただきました。また昨年度は、東海聖書神学塾で、牧会者のための「牧会学」を担当させていただきました。
そんなことで、「牧会」に関しては、様々な経験と知識をもって、稲沢教会の牧会にあたらせていただいたつもりでしたが、結局、これまでの経験や知識では足りず、もう一度、ゼロ(否マイナス)から牧会をしなければならないことを痛感させられました。なぜなら、一つ一つの教会には其々の歴史と文化、強調点、人間関係などがあり、まったく違う「教会」の姿をもっているからです。
4月から初めて、間もなく半年になろうとしています。まだまだ足りませんが、やっと「お客さん牧師」から、稲沢教会の「牧師」になりつつあります。まだ「なった」と言えるまでには、少なくとも、なお半年以上かかるのではないかと思いますが、教会の歴史、文化、構成、環境、お一人おひとりのメンバーを大切にしながら、導かれていきたいと願っています。以前より、少し若返ったかもしれません。おひとりおひとりを大切にしながら、一人前の牧師になれますように。
捧げて、捧げて、御霊に満たされ、導かれていきたいと願っております。覚えてお祈りください。ハレルヤ! | 2018-09-14 17:18:25[投稿番号:69] |
ディボーション・プラス運動 | 毎日確認し祈っていくこと(改定版) | 今年の1月に、毎日の歩みの中で大切にしていく「五つのこと」をあげましたが、実際にこれらを実行していく中で、改定する必要が出てきましたので、以下のように提案させていただきたいと思います。
「毎日、何を考え、求め、大切にしながら、断続的に祈り、歩むのか?」
?全てのことを神様の御手から受けとり、感謝する!
?大きなことも小さなことも神様と相談し、父なる神様が喜んでくださることを選んでいく。
*またこれは神様に相談することか、それともすべて任されていることかについても考える。
?三位一体の神様の三重の愛の献身と三重の恵みで豊かに導かれていることを繰り返し黙想し、味わう!
*私たちは、御父・御子・御霊の三重の愛の献身を受け、この愛で囲まれている!
*私たちは、御父・御子・御霊の三重の恵みによって、神の子どもとして歩む者とされている!
?瞬間の祈りをする、断続的な祈りをする!(短くても、いつでもどこでも、自由に父なる神様と交わり、祈る)
*私たちは子どもで、神様は「アバ・父」であることを覚え、交わりを継続していく。
?神様を愛し、隣人を愛する!(マルコ12章29-31節)
イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
*神様の愛に応答して生きること、愛の実践の大切さ
*きょう、会うことになっている人々が「自分の愛する隣人であること」を覚える。
?御霊に満たされ、導かれて歩み続ける。
*特に愛の応答をしていくためには、御子の十字架の愛を覚えることと、御霊の満たしと導きが不可欠!
また改定するかもしれませんが、これらの六つのことを大切にしながら、毎日祈り、交わり、歩んでいきましょう! | 2018-08-13 11:53:26[投稿番号:68] |
ディボーションで教えられたこと | 使徒の働き17章31節 | 使徒17章後半を読んで、考えました。「どうして御子の復活をこのことの確証とされたのか。ここで、パウロはどうしてそう言っているのか」…「このこと」とは、おそらくその前にある「一人の人により義をもってこの世界をさばく」ことでしょう。
ただし、アテネの人々にとって、御子の復活ほどわからない(ありえない)ことはなかったでしょう。また、復活が事実としても、御子の復活は、何年も前に、遠いパレスチナで起こったことです。このことが、どれほどギリシャ人にとって説得的であったでしょうか。
しかしあらためてパウロにとって御子の復活はどうであったか考えてみました。確かにパウロは復活の最初の目撃者のグループには入っていませんでした。しかし後で、あわれみによって、復活の主とお会いすることができました。
31節の後半のことばは、アテネの人々に対する言葉というよりも、むしろパウロ自身にとって重大な経験で、それゆえに、御子が今も生きておられ、やがて必ず裁きのために来られるというメッセージの確信のもとになったのではないでしょうか。
考えますと、使徒の働きには、パウロの救い(復活の主とお会いしたこと、召命)の体験がかなり詳しく、少なくとも、3回記されています。これは、ルカが書いたことですが、それにしても、異常を感じる頻度と内容です。
パウロにとって、この復活経験(復活の主との出会い)は忘れることのできない重大な事件だったと言えます。当時の、様々な救いの経験や奇跡の中においてもそうであると思います。
私は今まで、自分の救いの経験は例外的であると位置づけ、少し遠慮気味に扱ってきたかもしれません。しかし、パウロのメッセージやルカの取り扱いから教えられることは、パウロにとっても、他の人々にとっても、特別な経験として有効に用いられたように、私の特別な救いの経験も、私自身にとっても、他の人々にとっても、今の時代に特別な意味をもつかもしれないということです。
もしそうであるなら、これは神様の憐みのことでしかありませんが、私自身の特別な救いの経験を、もっとはっきり、もっと繰り返して、この時代に証しして行ってもよいのではないかと思います。神様が、特別な形で私を救ってくださったのなら、パウロのように、この神様の救いとその方法と事実を、もっと証ししていきたいと思います。感謝いたします。ハレルヤ! | 2018-08-11 17:02:25[投稿番号:67] |
最近考えていること | 使徒16:6−7から | 長男一家がアメリカ転勤になったので、お盆に、孫たちに会えなくなり少し淋しい気持ちになっています。しかし、ラインで新居の様子などが送られてくるので(動画も)、これを見ていくらか慰められています。
長男は今35歳。私たちが30年前にカナダに出かけたときも、私は35歳でした。あの時、決心してカナダに行かなかったら、今の私はありません。もちろん、行かなければ行かないなりの生き方、牧師としての歩み方はあったでしょうが。。
牧師となって40年を過ぎましたが、今の自分自身を考えるとき、7年間のカナダ生活、そこでの学びと牧会経験などがなんと豊かに用いられているでしょうか。感無量です。神様はなんと素晴らしく導き、用いてくださったことでしょうか。
長男一家のアメリカ生活が何年続くかわかりませんが、それが豊かに祝福され、なによりも、神様の前に成長していくときになるように祈らざるを得ません。後で、これは神様の御心で、神様は確かに祝福して用いてくださったと言えるようになることを願っています。
使徒16:6-7にある御霊は、このとき珍しい働きをしておられると思います。パウロたちの伝道の旅のコースに強く働き掛け、「禁じられたり、許されなかったり」して、神様の御心の道に導いておられることが分かります。時に神様は、必要な時には、このようにして強く私たちを導かれるのです。
約32年前の3月末、揖斐の山に登り、4月から始まる教会の一年の計画を祈りながら考えているときでした。急に、神様のほうから、その時、まったく予想もしないアイデア(?)を与えてくださったのです。「留学しなさい!」・・・私は、このアイデアをしばらく信じられず、受け止められず、かなり抵抗したことを覚えています。山の中で、神様に叫んだのです。「まさか留学できるはずがありません。次男は障がいをもっています。不安定です。外国に連れていけません。お金もありません。学ぶ力もありません。どうして留学ですか?」・・・そのあと、神様にいくつかの条件を出して、もしそれが神様の御心でしたら、これらの条件(反対理由)を満たしてくださるように祈りました。
そのあと、一年かけて、神様は、これらの条件(留学できない理由)のひとつひとつを満たしてくださり、30年前にカナダに出発することができました。
私たち夫婦にとって7年のカナダ生活は大きな恵みでしたが、人生が変わってしまった子どもたちにとってどうだったか考えることがあります。答えはまだ出ていませんが。。今、長男たちのアメリカ生活を考えながら、孫たちの人生についても考えています。かなりの変化を経験することになりますが、神様にあってこのことが、本当に、祝福になることを強く願っています。神様が共にいてくださるので、御手にゆだねたいと思います。「神様に喜ばれる家族として子どもとして戻っておいで」と言いたいです。ハレルヤ! | 2018-08-07 10:00:59[投稿番号:66] |
今週金曜日に試みたこと | 稲沢市で最も有名な宗教施設訪問 | 稲沢市で最もよく知られている施設である善光寺と国府宮神社に行ってみた。真昼の1-2時頃だったのでほとんど誰もいなかったが、静かに境内や寺院を見ることができた。
どうしてこんなことをしたかと言いますと、明日の礼拝メッセージ箇所がヨハネの1:1-18で、御子は「神を解き明かす神様」であることについて共に学ぶ予定で、礼拝メッセージ前に、これらの寺院と神社がどのように見えない神様を解き明かしているかを確認したいと思ったからです。
薄暗い寺院の奥に仏像があったが何か語っているようには思えなかった。神社も広大な敷地の中にあったが、ここで、聖なる神様、愛の神様、父なる神様が解き明かされているようには思えなかった。
死んだ仏像ではなく、建物や敷地ではなく、生きておられる神の御子イエス様の解き明かしがあるので、私たちはこのお方を通して、はっきりと神様ご自身を知り、この方と交わり、この方と共に歩む恵みが与えられています。
帰りに、神社の受付に行って、ご神体は何か尋ねてみた。男性も出てきて質問を聞いてくださったが、自分もこの神社のご神体を知らないと言われた。
パウロがアテネに行ったとき、たくさんの偶像の中に「知られない神に」という祭壇があったと記しています。日本の多くの同胞は、同じように、(ほとんど)「知らない」神々を礼拝していると言えるかもしれない。
しかし私たちは、御子とそのことばによって、神様を知ることができることは、なんと幸いなことでしょうか。なんという恵みでしょうか。ハレルヤ! | 2018-08-04 21:06:45[投稿番号:65] |
三回のメッセージ奉仕 | 昨日は忙しい一日でした! | 昨日は、久しぶりに、二つの教会で合わせて三回メッセージのご奉仕をさせていただきました。?三つの献身に生きる、?成長していく途上の教会、?よりよい礼拝者となるために。三つのメッセージを準備し、また整えるためにかなりの時間と集中が必要でした。途中で苦しくなって、どうして三つも引き受けたのかと思ったこともありました。
もちろん、これらの三つのメッセージは、どれも、ゼロからの準備ではありません。しかしそれでも、その教会や集会での状況を想定しながら、また最近教えられていることも加えて準備をするので簡単なことではありませんでした。祈りながら、神様に助けていただき、導いていただきなら準備と、三つのご奉仕を終えることができました。
少しでも御言葉とその教えが、お聞きくださった方々の心に届いてとどまるように、御霊によって少しでも実を結んでいくように願います。
今は、少し意識的にゆっくり休みの時間をとりながら、オンギジャンイの賛美(お薦めは第6週)を聞いています。いいですね。
休みをとりながらまた、来週のメッセージ、再来週のメッセージを考え準備をしています。果たして、いつまで、このようなご奉仕ができるでしょうか。いつか、このようなメッセージ奉仕を終え、神様の御手にすべてをお委ねするときがくるのでしょう。それまで、許されるかぎり、ご奉仕と牧会の奉仕をつづけさせていただきましょう。ハレルヤ! | 2018-07-30 10:07:43[投稿番号:64] |
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