四日間の韓国旅行! | | 本当に恵まれたよい旅でした! | 私も含めて、教会から8人で韓国ソウルに行ってきました。1か月先の気候を考えて、オーバーやズボン下まで準備しましたが、まったく必要がなく、連日晴天に恵まれました。
参加者のほとんどは、私たち夫婦を除いて、韓国は初めてでしたので、観光は基本的な所を選びました(キョンボックンや韓国村、仁寺洞、明洞など)。食事は、高価なものは避けたのですが、ほとんどが「当たり!」で、とてもおいしかったです。
また二つのメガチャーチ(サラン教会とオンヌリ教会)を訪問し、前者は日本語部の先生が、後者は親しくしていただいている日本語部の姉妹が助け、導いてくださいました。オンヌリ教会では、早天祈祷会と夜のリバイバル集会に参加させてもらいました。私たち夫婦にとって、リバイバル集会はこれで、三回目(三年連続)になります。参加されたメンバーにとっても、大教会の大集会を体験できたことは大きな喜び、励ましになったようです。違う国の違った教会を体験して、少しでも、神様の教会の広さ、多様性を知っていただくことも、この韓国旅行の目的でしたので、本当に良かったと思っています。
またずっと4日間、8人で共に行動することができ、お互いの交わりが深められたことも祝福でした。病気や怪我、そして「忘れ物」が心配でしたが、これもなく、とてもスムーズに四日間の旅を終えることができました。旅行の最後に、
中部国際空港のフードコートで感謝会をし、共に恵みを分かち合い、すべてを導いてくださった神様に感謝をお捧げしました。
私は、8人でしたが、これも一つの牧会と思っていましたが、本当に、互いによく知りあい、交わることができた「教会」だったなあと思っています。互いに、さらに一歩近くなったような気がしています。ハレルヤ!
神様と交わりながら、旅行のガイドをしようと思っていたのですが、一日目はうまく行きましたが、その後2日目以降は駄目でした。神様と親しく交わりながら、なすべきことをしていくことは難しいですね。。。
前回のブログで触れました、「ディボーション一日研修」のDVD(三巻)が完成しました。来週から、名古屋CLCで販売する予定です。お近くの方はぜひご購入ください。私からの直接販売ですと、300円位安くなります。←これは宣伝です。 | | 2019-10-21 07:22:02[投稿番号:135] |
公開公開講演「キリストの真実とキリスト者の信仰」 | | 聖書協会共同訳セミナーに出席して | 今週の火曜日夜、久しぶりに名古屋の栄に行きました。浅野淳博先生(関西学院教授)による講演会があり、タイトルは「キリストの真実とキリスト者の信仰」でした。ずっと前から気にしていた課題でもありましたので、家内と娘まで誘って、出かけました。
これまでほとんどの翻訳聖書におきまして、「ピスティス・クリストゥ(信仰・忠実など+キリストの)」の訳は、「キリストに対する信仰」と訳してきましたが、聖書協会からの新しい訳(協会共同訳)は、「キリストの真実」と訳すようになりました。
文法的には、「キリストに対する信仰」でも、「キリストによる忠実さ」でも、「キリストが与えられる(示された)真実」でも、間違っていませんが、あとは、文脈(また神学)的に考えて、訳語が決定されるわけです。・・・このあたりの説明が、詳しくなされると期待して出かけたのですが、・・・どうもあまりなくて・・・、分からないまま終わってしまった感じです。私の理解力の問題もありますね。。。
私としては、「真実」と訳された訳語の意味をもっと知りたかったのですが、(まだ、「忠実」なら分かりますが。。。)。せっかく、三人で張り切って(?)出かけたのに残念でした。結局、自分で学びなさい、ということでしょうか。それでも、三人で、夜の「栄」を楽しんで(?)、帰ってきました。
昨年から、少し本を集め、サンダースのもの、ダンのもの、ライトのものなどを読んでいます。また中間時代以降の歴史を学んで、当時の「律法主義(?)」は、どんなものだったのか、調べています。これらが、最終的には、ローマ書やガラテヤ書の学びに関わり、上記の「ピスティス(信仰、真実、忠実など)」にもかかわってくることになります。早く終わりたいのですが、これからもかなり時間がかかりそうです。。。大変だ!
前回、書きました「DVD:ディボーション一日研修」がほぼ、完成しました。豊かに用いられるように願っています。こうして、「ディボーション・プラス」運動が広がりますように。ハレルヤ! | | 2019-10-11 21:44:29[投稿番号:134] |
最近、教えられていること、やっていること | | 「一日ディボーション研修」の収録、編集。。。。 | 9月16日(月、祝日)に「一日ディボーション研修」が終わり、その時、DVDに収録したものを三枚、トロントに送りました(90分プラス90分プラス60分)。そして10月5日(土)に、トロントの教会でも、同じ「一日ディボーション研修」が行われました。今は、DVDに収録してくださった兄弟が、さらに、たくさんの時間をかけて編集し直してくださったので、なんとか他の皆さんにも使っていただけるようにしようと考えています。なんといっても、「ディボーション」と「ディボーションの後」は大切ですから。また、ディボーションの中で、みことばを学び、教えられ、歩んで行くことは、毎日の霊的な糧、力になりますから。
ディボーションに関して最近教えられていることがあります。前にもブログにかきましたように、今、一日に4回(10時、2時、5時、8時)スマホが鳴り、できない時もありますが、できるだけ、その場で祈るようにしています。そして祈るたびに、まず早朝のディボーションの時にみことばから教えられたことを思い出すようにしています。ところが、多くの場合、何を教えられたか思い出せないのです。もう一度、聖書を読みなおしたり、ディボーションノートを引っ張り出して確認したりしなければなりません。。。なんと忘れやすい者でしょう!しかしこれを繰り返していくと、朝のみことばの恵みが再び、思い出されて、力になるのです。。。皆さんも、試されることをおすすめします。
この一か月ちょっとの間に、なんとワーダン・スピリットの会員が、10人ほど増えました。嬉しいかぎりです。そんなことで、HPをそろそろ刷新したいと考えております。よろしくお願いいたします。ハレルヤ! | | 2019-10-07 18:28:11[投稿番号:133] |
ルカの福音書を読みながら注目していること | | 御子イエス様の人性について | ディボーションで、最近はずっとルカの福音書を読み続けています。その中で、一か所だけでなく、いくつかの箇所において特に注目していることがあります。それは、御子イエス様の「人性」です。
「人性」に注目するようになったきっかけは、一つは、新しいからだをもって現れた復活のイエス様について考えるようになったことからです。この新しいからだは、私たちの「後の新しいからだ」について教える、大切なしるし(モデル)になっていると思いました。もしそうなら、それだけでなく、御子とその生涯全体も、今の私たちとその歩みの大切なしるし(モデル)になっているのではないかと考えました。
もう一つは、ルカ3章22節(他の共観福音書の箇所も参考に)で、いよいよ公生涯が始まる御子に対して、天的に、二重の励ましや導き、備えがあったということです。御霊の降臨と臨在、導きが始まりました(新たな意味で)。また御父の愛の励ましのことばがありました。御霊と御父が、御子を励ましておられるのです。
最近、特に注目している箇所は、ルカ9章28節以下で、御子の変貌山での経験です。御子が、モーセとエリヤと、生涯の最期について話をしておられたのです。御子の「神性(だけ)」で考えたら、生涯の最期について、話をすることにほとんど意味はなかったのではないでしょうか。まして、「相談」はありえないと思いました。しかし「人性」について考えると、「相談」もあり、かもしれないとおもいました。
もう一つは、ルカ9章37節以下に(特に41節)、御子の嘆き、叫び、(ひょっとして)怒りがあるのです。ここでは、愛のイエス様が、不信仰に対して、嘆き、叫び、怒っておられるのです。私は、ここにも、人性のイエス様を見たのです。
以前より、もっと御子の「人性」について考えるようになり、もっともっと身近なお方として味わうようになりました。御子は、様々な面での人間の弱さをも引き受けておられます。身体的な弱さも、疲れも、渇きや眠気もあります。上記の箇所で言うなら、「相談」を必要とするような弱さもあったのかも。「嘆き、叫び、怒り」もあった。。。
もしこれが正しいなら、クリスチャンとしての「嘆き、叫び、怒り」もあると言えます(御子もそうなのですから)。少しずつ、これまでの御子ご自身の姿、特に「人性」理解が変わりつつあるように思います。そして、そこからもなんと、自分自身に対する慰めや励ましをみつけるようになって来たと言えます。
だからこそ、御子が、御霊に満たされ、御霊に導かれて歩んで行かれたことの意味は大きいと言えます。これからも、もっともっと御子の人性について考え、教えられていきたいと思います。ハレルヤ! | | 2019-09-23 11:54:54[投稿番号:132] |
最近考え、教えられていること | | 「聖化から栄化へ」の憐み | これは何と麗しい、あわれみ深いみことばでしょうか。第一ヨハネ3章1-3節にこうあります。
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。」
私たちが今、「神の子ども」であることが、二度、三度、繰り返されています。私たちは、御子を信じて、「今すでに神の子」なんです。これは、それこそ、初めに書かれていたように、父なる神様の愛の現れです。私たちが、神のこどもであるということは、私たちの神様は、「父なる神様」であるということです。
しかも、御子が最後に現れてくださるとき(再臨)、私たちは、「キリストに似た者」になるのです。これは、「聖化から栄化」であり、本物の神の子ども、完成された神の子どもの姿が約束されているのです。神と御子の聖なる姿に接し、目の当りにしたら、私たちは、塩をかけられた「ナメクジ」のように、溶け去ってしまうような私たちですが、それなのに、私たちはこのとき、御子に似た「(完全な)神の子ども」の恵みにあずかるのです。
これは、なんという恵み、あわれみでしょうか。私たちがどれほど、聖化を願い、この世で、たとえどれほど聖化されたとしても、まだ、神様の栄光には程遠いのです。しかし最後の最後に、ほど遠い聖化の状態であっても、神様は最後に、栄化して、完全な子どもとして迎え、「キリストのありのままを見ることができる」ようにしてくださるのです。
みなさん、これはなんというあわれみでしょうか。しかも、「自分は、最終的に天国に行けば栄化されるので、今、聖化の道にあっても何もしないよ」と、ヨハネは言っていないのです。この恵みとあわれみに感じて、「キリストがきよくあられるように、自分をきよくする」と言っているのです。
クリスチャンの年代によって、考えることは違うかもしれません。しかし歳が進んでくると、感謝なことの一つとして、キリスト者の全行程について考えることができるようになり、しかも、最後の栄化についても、心が行くようになります。身体はガタガタして来ていますが、これは、何という幸い、恵みでしょうか。ハレルヤ! | | 2019-09-18 20:08:26[投稿番号:131] |
安息日を守る? | | 最近考えていることのひとつ | 今週の月曜日に、意識的に「安息日」を守るようにしました。以前、ブログで少し書かせていただきましたように、「安息日を守る」ことについていろいろかんがえています。今週、初めて試みました。
「安息日(→主日)」の意味は、簡単にまとめますと、第一に、休む日、休ませる日です(出エジプト23・12)。文脈的に、社会的弱者に対する配慮が強調されています。実際に12節で、家畜、女奴隷の子、在留異国人を「休ませ、息をつかせる」ように命じられています。 第二に、安息日は、神様とイスラエルの民との間のしるしです(出エジプト31・13?17)。「安息日」の解釈、適用はともかく、安息日がユダヤ人の永遠のしるしになっています(今の私たちには?)。第三に、安息日は「聖なる会合の日(New International Version訳聖書:sacred assembly)」です(レビ23・3)。安息日は、ともすれば「休みの日、何もしない日」とだけ考えてしまいますが、実際には、ともに集まり、神様を礼拝する日です。確かにこれこそ、安息(休み)の中心、また源であると言えます。さらに申命記5章15節にも、イスラエルの人々が、どのように安息日を過ごすべきか教えられています。それは、彼らが、エジプトで奴隷状態であったことと、神様が、そこから彼らを救い出して下さったことを思い起こすことです(安息日の守り方・・・質も重要です!)。今の私たちに当てはめると、神様の救いの恵みを深く思いめぐらすことと言えるでしょう(ディスカバー新聖書解釈入門から引用)。
さて、ほとんど初めてかもしれませんが、意識して「安息日」を守ってみました。午前中は、スキャゼロ著『情緒的に健康な教会をめざして』1章を読み、思いめぐらし、自分に当てはめました。最後に、神様に対する再献身のお祈りをしました。ややもすると、牧師(私)は、日曜日に礼拝メッセージをすれば、また教会に来られる方々と交わり、必要があればさらに個人的に交われば、牧会的な奉仕をすれば、「安息日」を守っているかのように思っていました。月曜日は、時々、頭痛がして(今は頭痛はほとんどありませんが、疲れがドッと出てきます。いや、火曜日に出て来るかも?)できるだけ身体を休めるのが安息日の使い方であると何となく考え、実行してきました。しかし今週の月曜日の午前は、安息日で一番大切なことだと考える、神様との交わりの刷新、神様の前での自己吟味、新しい一週間に向けての再献身のある再出発などを試みました。
午後は、娘が休みだったので、家内と三人で、ほとんど初めて、カラオケ(ボックス?)に行ってきました。初めて(たぶん)、カラオケを使ってうたったのですが、音楽(歌詞)の動きについていけず、ちゃんと歌えないことがわかりました。全部歌えた曲はありませんでした。「涙そうそう、ザワワ、愛燦々?、What a Wonderful world・・・・」あっという間の一時間でした。これが、カラオケなんだ・・・。よく分かりました。これも、感謝!カルピス一杯で、三人で騒ぐことができました。
そのあと、いつものようにカネスエで半週分の買い物をし、帰って、ハングルの「連音の文法」を確認し(頭に入らない!)、一日が終わりました。
安息日を守るって、これでいいでしょうか?ハレルヤ! | | 2019-09-11 07:24:32[投稿番号:130] |
秋に向かって・・・ | | 今、やっていること、考えていること? | 9月に入り、これからの四か月間、どのようにあるべきか、どのように行動していくべきか考えています。身体的には確実に歳をとっています。先日、久しぶりに、自転車に乗りました。何年も乗っていなかったというだけでなく、手が震えてチャンと乗れず、冷や冷やしながら駅から教会まで帰ってきました。これは、おそらく、手の震え(本態性震戦?)と連動していると思います。
今まで当たり前にやっていたことができなくなっているという事実に直面して愕然としました。字も書けなくなってきました。ただ、コンピューターは普通に使えますし、車の運転も問題はありません(ハレルヤ!)。書くことは、ほとんど家内に頼んでいます。
年齢が進み、少しずつ保守的になり、行動範囲も、思考能力(範囲)も狭くなってきているかもしれません。この夏、12年ぶりにカナダとアメリカに行きましたが、かなりの決心と力が必要になりました。ご奉仕で呼ばれましたので決心がついたと言えます。ただ、そのおかげで、少し自信がついて、もう少し行動的に歩もうと思うようになったかもしれません。
今、考えやっていることは次のことです。*「ヘブル語で伝道者の書を読む会(HDYK)」の準備をしています(これで2回目です)。*9月16日の祝日に、「一日ディボーション研修」を企画し、教会、教団内外の皆さんに呼びかけています。*伝道トラクト「ファイブ・ステージ」の改訂をしています。いつか、これをもちいるための研修会を開きたいと準備をしています。*毎週火曜日のセミナリーデイが始まりました、午前はCBSでヘブル語クラス、午後は、TBSでヘブル語と聖霊論のクラスを担当しています(火曜日の夕方は、ヘトヘトです)。*10月15日から教会の有志のみなさんたち(8人)と、韓国(観光とオンヌリ教会集会参加)に行く準備をしています。*メダカを飼っていますが増えて来たので、水槽を大きくすることを考えています。*先週から、ハングルの学びを再開しました。*また、生活のリズムとして、毎日一時間、勉強時間をとる決心をしました(ずっとそうでしたが最近、さぼり気味だったので)。*毎週の私の安息日に、神様との交わりを深めるための特別な時間を確保するために、本を買ってきました。たぶん、よい本だろうと思います。『情緒的に健康な教会をめざして』(キャロザース著)です。*「ファイブ・ステージ」が終われば、今度は、『聖霊に満たされ導かれて』という本を書くか、DVDの準備をしたいと願っています。
皆さん、今、ディボーションテキストの『マナ』(9月号)をお読みください。発売中です。黙示録全体(22回分)をディボーショナルに読むために執筆させていただきました。
今、やっていることをいろいろ書いてみました。焦っているのでしょうか。神様が、天に呼んでくださるときが近いと感じたからでしょうか。クリスチャン新聞に、佐竹十喜雄先生がアメリカの家族訪問中に体調をくずされ、そのまま召されたことが書かれていました。なにか、身近なことのように感じました。
今朝、「お祈り散歩」をしながら、神様に祈りました。神様にもっと近づきたい、神様との交わりがもっとふかめられるように。この世界で、いろいろ迷いながら、いろいろ行動しながら、しかし何よりも、神様と共により近く、より深く歩ませていただきたいのです。すでに、「子とする御霊」が内住しておられるのですから。ハレルヤ! | | 2019-09-05 07:31:31[投稿番号:129] |
今回の奉仕と旅行の恵みから(4) | | おまけ…アーミッシュの人々 | 今回の旅行で、一つだけ観光をした。息子たちが住んでいるオハイオ州ダブリンの近くにアーミッシュの人々が住んでいるところがあると聞いて、連れて行ってもらった。
歴史的に言えば、彼らは16世紀の再洗礼派から始まり、迫害を逃れてオランダに移り、メノナイト派と呼ばれ、さらにドイツやスイスからアメリカに移住した人々の群れである。「アマン(?)」と言うリーダー名から、アーミッシュという名が付いたらしい。初めは、主にペンシルベニア州にいたが、その後、カナダも含め、隣州のオハイオ州などにも広がっていった。
とにかく、以前NHKで放映されていた『大草原の小さな家』を思わせるように建物や人々の生活ぶりがそのまま存在しているという感じであった。自動車は使わない。移動手段は、自転車と馬車である。一般的な電気は使わないが、水力・風力からの電気は使っている。なぜか、台所などでは、ガス(?)もあった。
部落や家によって、現代文明をどれくらい利用するかという判断が異なり、多様な変化や展開もあるようだ。
大草原の真っただ中を走り、何キロもトウモロコシ畑が続いていた。まさに、アメリカの広さ、多様性、また現存するアメリカの昔、キリスト教の歴史に触れることができ、とても感動する旅となった。
今、私の机の上(ほとんど真正面)に、アーミッシュの子どもたち(?)が馬車に乗って一本の道を畑に出かける(または畑から帰宅する)様子を写した写真が立てかけてある。これは、とても美しい、味のあるお気に入りの写真である。
たくさんの人々との出会いと交わりに感謝するとともに、このような旅が与えられたことを神様に感謝します。ハレルヤ! | | 2019-08-26 07:08:44[投稿番号:128] |
今回の奉仕と両行の恵みから(3) | | 旅行中に読んだ本から・・・ | 旅行するときには、必ず本をもっていく。今回の旅にも、5-6冊持って行った。一冊は、これから礼拝メッセージにおいて「救済論」の学びをするので、参考になればと思って、マイケル・グリーンの『The Meaning of Salvation』をもって行った。走り読みしかできなかったが、旧約時代の「救い」について、よい説明があるのを見つけた。その一つは、旧約時代にも、「○○からの救い」だけでなく、「○○への救い」があるという指摘である。
二冊目は、マックス・ルケードの『イエスのように』である。これは、古本で買ったが、もとの値段より高かったので(2000円)、「ムム!」と思ったが、本当に価値のある本であった。信じた後の私たちがどのように、何に向かって成長していくべきか、率直に、またいろいろな楽しいストーリーを交えながら、説明していた。読みやすくて、非常に納得のいく本であった。
三冊目は、『情緒的に健康なリーダー・信徒を目指して』(スキャゼロ著)である。これは、教団牧師会の中のスモールグループで分かち合っていくことになったテキストである。全体で600頁近くあり、1章がながいので、なかなか読めないでいたが、良さそうな本だったので旅に持っていくことにした。飛行機の中など、集中できそうなときに、長い長い各章を集中的に読むことができた。本当に集中しないと読めない内容であるが、これも読む価値のある、本当に教えられることの多かった書である。教団で必読書として指定されなかったら、読まなかったかもしれない。本当に感謝した。稲沢教会の読書会で使用している『賢者の生活リズム』(シゲマツ著)とも、内容的に重なる、トップランクの書になるだろう。個人的には、この本の背表紙に「三ッ星」をつけた。
四冊目は、同じスキャゼロ著の『Emotionally Healthy Spirituality』である。これは、最近出版されたもので(2014年⇒増補版:2017年)、前の書をさらに進め、まとめ、より実践的に、真の霊性をもとめるものである。これも、お薦めの書である。たぶん、日本語に翻訳されると思います。スキャゼロの書いたものが非常によいので、他の書も今、集めています。『情緒的に健康な教会をめざして」も、すでに翻訳出版されていましたので、注文しました。
とにかく、これらの書を通して、神様との交わりが点検され、深められたと思っています。このような書が出版されていることは恵みです。本当に感謝しました。皆さんも、どうぞお読みください。ハレルヤ! | | 2019-08-20 07:26:10[投稿番号:127] |
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