「永遠のいのちのためにもう少し」
お祈りを感謝いたします!
 上記のブログタイトルは、今から19年前、私の先輩である梶日出男牧師からいただいた著書『苦しみを喜びに』の裏表紙に書かれていた言葉です。梶牧師は、この本を贈ってくださった後、約一年半後に神様のもとに召されて行かれました。癌の手術を何度も繰り返し受けながら、最後の最後まで、牧会伝道を続けられた牧師でした。58歳での召天でした。

最近、この言葉をよく思い出すようになっていました。「永遠のいのちのためにもう少し」・・・先週でしたが、大腸ポリープ切除後の細胞検査の結果は良性でした。そしてきょうは、甲状腺の細胞診の結果が出て、良性でした。昨年11月の健康診査後に、二か所に問題があるかも、ということでしたので、びっくりしていましたし、覚悟していましたが、今のところ大丈夫。時々、検査をするようにと医師に言われました。

きょう、検査結果を聞く前に神様に祈りました。できれば、「永遠のいのちのためにもう少し」、お願いします。また昨日は、この「永遠のいのち」は、他の人々の永遠のいのちのことであることを強く感じましたので、きょう、「他の人たちの永遠のいのちのために、もう少し働かせてください」と神様にお祈りしました。

果たして、神様は、他の人々の「永遠のいのち」のために、どのように用いてくださるのでしょうか。この地上で生きて働くことができる期間はあと少ししかないと思います。その間に、「他の人々の永遠のいのちのために」、どのように働くことができるか、聞き続けていきたいと思います。
皆さん、お祈りを感謝いたします。ハレルヤ!
2020-02-05 21:37:09[投稿番号:147]

神様の栄光を表すとは?
最近、考えていること・・・
 最近考えていることの一つは、「神様の栄光を表す」とはどういうことか、です。これは、クリスチャンにとって最も大切なことで、『ウェストミンスター小教理問答』にもある通りです。ある人は、これを、「イエス・キリストを信じて、神様を礼拝し、ほめたたえること、」と解説しています。これは、とても簡潔で的確な説明ですが、まだ何か足りない、しっくりしないものを感じます。

まず、代表的なみことばを二つ挙げたいと思います。「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント10:31)」、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。(イザヤ43:7)」

以前、ブログで、「神様の栄光を表す」というと、しっくりこないが、「私の天のお父さんの栄光を表す」というと、少ししっくりくる、ということを書いたことがあったと思います。

毎朝(また昼も夜も)、お祈りをするとき、「私の天のお父さんの栄光をあらわすことができますように」と祈っています。またさらに自分は、「罪人のかしら」ですが、内住の御霊によって満たされ、導かれて、栄光を表すことができますように、と祈ります。

最近、祈りながら、「本当に天のお父さんの栄光を表す」とはどういうことなのか、もっとはっきり知りたいと想うようになりました。
出てきた答えは、次のとおりです・・・私は罪人のかしらで、すぐに自分を王としたり、神として歩んでしまいますが、「神様の栄光を表す」とは、真の神様を私の神として、真の王を私の王として、生きること、喜ぶこと、交わること、行動すること、そして心(思い)と身体(行動)や態度でそれを表していくことです。意識して、できれば、意識していなくても。模範はイエス様にありますし、御霊はこれを助け、導いてくださいます。

今のところ、これが「神様の栄光を表す」ということの、よりしっくりした説明です。さあ、すでに永遠のいのちの恵みをいただいているので、これをもって、出ていきましょう・・・ハレルヤ!
2020-01-22 21:06:44[投稿番号:146]

新年おめでとうございます!
今年も、一年宜しくお願いいたします。
 今年は、どんな一年になるでしょうか。まったく分かりませんが、次のようなことを考え、また実行しています。

個人的には、遺言的なことをつづけていきたいと思っています。昨年は、『ディボーション一日研修』(DVD)を準備し、『福音トラクト:ファイブ・ステージ』(印刷直前です!)、『黙示録の読み方と実際』(限定20冊)などを作りました。今年度準備したいと願っていますのは、『五つの聖霊論(旧約、ヨハネ、ルカ、パウロ、統合)』、『聖霊に満たされ、導かれて』(たぶん、DVD 5巻分)の制作です。ワーダン・スピリットの会の「ワード」にあたるものとして、「聖書解釈」に関しては、地引網出版で現在準備中です。

神学校でのご奉仕は、つづけて、CBS(CBI)で、ヘブル語1と2、旧約釈義、ギリシャ語1と2、新約釈義から、東海聖書神学校で、ヘブル語1と2、聖霊論、終末論、旧約各書研究(小預言書)、スピリチュアリティーから、いくつかクラスを担当することになります。ただ、火曜日の朝から夕方まで神学校での奉仕がつづきますと、本当に疲れきってしまうことがあります。少しずつ減らしていったほうがいいかなとも考えています。

教会でのご奉仕は、昨年の秋から、毎月二回(第一週、第三週の主日礼拝直後)、小グループとリーダー会ができるようになり、現在、6つの小グループで、礼拝メッセージの分かち合いをするようになりました。また、これも秋からですが、皆さんにお願いして、「洗礼後会」を始めるようになりました。現在、8種類の「洗礼後会」があります(会員全体の80%の兄姉が参加していてくださいます)。それぞれのグループに特徴があり、楽しく、またにぎやかに、また率直に、聖書の基本的な学びを続けています。

他に、HDYK(ヘブル語で伝道者の書を読む会)を、月に一回、何人かの牧師先生と共に続けています。今度は、伝道者の書5章に入ります。目標は、ここでの学びをもとにして、皆さんが、伝道者の書から、伝道メッセージができるようになることです。

考えてみますと、いろいろやっていますね。。。これらに加えて、毎週の礼拝メッセージとその準備、木曜日の朝の聖書研究祈祷会などがありますから。

いろいろやっているというよりも、「やらせていただいているなあ」と本当に思います。上手に休みを取り、上手に切り替えていく必要もあります。また、神様は、いつまでこのようなご奉仕を続けさせてくださるでしょうか。いよいよ、来週は大腸検査で、29日には、甲状腺の細胞診です。だんだん、身体にガタが来ていることが分かります。いつまで、もつでしょうか。仕方がないですね。この身体は68年間も頑張ってくれたのですから。永遠のためには、この身体では間に合わないので、着替えが必要なのです。新しいからだをいただいて、復活できることはなんと幸いでしょうか。その前に、永遠のいのちが与えられていることは何と幸いでしょうか。

新しい一年も、身体がどのようであっても、すでに与えられている、豊かな永遠のいのちの祝福で歩んで行きたいと思います。この一年も、よろしくお願いいたします。ハレルヤ!
2020-01-11 07:30:53[投稿番号:145]

今年さいごの祈り
何をもって?
「何をもって、私は【主】の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。【主】は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、【主】があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ6:6?8

元旦礼拝のメッセージ準備をしながら、心に浮かんだことは、「何をもって、主の前に行くべきか」でした。その答えは、ただ「・・・へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」でした。感謝します!

新しい一年において、何が起こるでしょうか。不安材料はいろいろありますが、誰も何も分かりません。ただ、神様が、「何?」ではなく、「ともに歩みなさい」、と言っておられるようです。

また、再献身の恵みをいただいて、「キリストに満たされ、御霊によって」、神様とともに歩んで行きたいと思います。

新しい年も、皆様お一人おひとりの上に神様の豊かな臨在と導きがございますように。一年、共に歩んでくださり、感謝いたします。 ハレルヤ!
2019-12-31 11:49:05[投稿番号:144]

クリスマスおめでとうございます!
2019年のクリスマスを迎えて
 クリスマスおめでとうございます。昨日、クリスマス礼拝と祝会がおわりました。2019年のクリスマスは、個人的にも特別でした。あらためて、救いのために御子イエス様が来られたことを喜んでいます。昨日の礼拝でも、そのことをお話ししました(この前から、Youtubeでのライブ放送が、動画で始まりましたので毎回、緊張感があります。例えば、変なことを言ったら、口がすべっても、その瞬間、全世界の隅々まで映像が飛んでいくので、取り返しがつかなくなるという問題があります)。

あとは、24日のキャンドルサービスで、ショートメッセージをさせていただくと、年末感謝礼拝、元旦礼拝、新年礼拝と移っていきます。早(速)いですね。。。今年もアッという間に終わり、あたらしい年を迎えることになります。

先ほどまで月曜日の安息時間として、もう一度、『情緒的に健康な教会をめざして』を読んでいました。教えられることが多い本です。一度読んでも忘れるので、また感動をもって読むことができます。一回目読んだときには気づかなかったことに気づいて驚くこともあります。良書がたくさんありますね。これらによっても、確かに育てられてきたと思っています。

前回のブログで書きました『黙示録の読み方と実際』ができました。このホームページの「出版案内」でも紹介する予定です。意外と早く準備ができました。今度は、本丸の『聖霊の満たされ導かれて』をどのように準備し、まとめ、どんな形で公けしていくかです。しばらくは祈りながら、考えていきたいと思います。メッセージの形にしたら、たぶん、5回分は必要になるでしょう。

年末年始にかけて、与えられている課題がいくつかありますが、祈りつつ、集中して準備していきたいと思っています。皆様にとって、豊かなクリスマス、豊かな年末年始となりますように。ハレルヤ!
2019-12-23 09:12:11[投稿番号:143]

最近の状況から
クリスマスおめでとうございます!
 クリスマス・アドベント第三週を迎えました。今度の主日には、クリスマス礼拝、午後にクリスマス祝会、そして24日の夜には、キャンドルサービスをする予定です。クリスマスの祝福をもっと稲沢の方々にお伝えしたいです。今週は、チラシをもって家々を巡りたいと思っています。皆様のクリスマスの上にも、神様の豊かな祝福と導きがございますように。

個人伝道のための福音トラクト『ファイブ・ステージ:永遠のいのちへの道』が、ほぼ完成しました。これは、神様が私たちのために備えてくださった永遠のいのち(その交わり)を受けるための5つのステップを、簡潔にまとめたものです。5つの写真(絵)と簡単な解説があります。実は、この『ファイブ・ステージ』は5種類あります。第一のものは、『ファイブ・ステージ』について、以前メッセージしたことがありますので、そのCDです。第二は、このメッセージのテープ起こしをしたものです。ですから、このメッセージで文で読むことができます。第三は、『フィイブ・ステージ』のA6版です。小さいので、いつでもどこでももっていくことができます。A5版はすでにありますので、A6番は業者に発注する予定です。第四は、この『ファイブ・ステージ』の各ステージに「簡単な解説」をつけたものです。第五は、この『ファイブ・ステージ』の各ステージに「約1000字以内のストーリ(小話)」をつけたものです。
実は、この五番目のステージに使用している「絵」は、私の大好きな天国の絵です。御子イエス様が一人の人を天でハグして迎えている姿と、イエス様の顔がいいのです。25年ほど前に、カナダで見つけた絵で、それからずっと、私の書斎に飾っているものです。先週、やっとこの絵を描いた人の名前が分かり、メールでいろいろ説明して、直接、そのクリスチャンの画家からこの絵を使用許可をもらうことができました。ですから、五番目の「絵」は貴重です。他の4つの写真も大切で、それぞれ、背後にストーリーがあります。

あとは、これらを使って、訪問伝道するだけです。今週から始めたいと思います。メリークリスマス!

この後、神様が許してくだされば、「黙示録(終末論)のディボーショナルな読み方と実際」についてまとめてみたいと思っています。今年の8月に、いのちのことば社の「マナ」(ディボーションテキスト)に「黙示録」22章分のディボーションメッセージを書かせていただきましたので、これを再利用して作りたいと思います。次々に課題が与えられることを感謝いたします。

私の身体のことです。11月に検査をしましたら、肺に問題があるかもと言われ、再検査しました。肺には問題はないということでしたが、今度は、甲状腺に問題があるかもと言われ、今度は甲状腺の検査です。これが終わると、さらに大腸検査がまっています。今年の年末は、身体的にいろいろあります。だんだん、天の御国が近づいて来ているのかもしれません。

御手にお委ねして、今週も歩ませていただきたいと思います。メリークリスマス!
2019-12-16 07:11:00[投稿番号:142]

最近考えていること
・・・なかなか答えが出てこない?
 最近、ディボーションで、ガラテヤ書を読んでいます。1章から4章まで来ました。ガラテヤ書は、しばらくぶりなので(?)、新しい気持ちで読むことができました。それとともに、いろいろな発見もするようになりました。

「キリストを信じる信仰」か、「キリストの真実」かも重要ですが、私にとっては、3章の「アブラハムへの祝福と約束の御霊」の関係(14節)、4章の「アバ父」と呼ぶ御霊(6節)とローマ書8章の「子とする御霊」の関係(表現は類似していますが、文脈は随分異なっています)、4章の「あなたがたのうちにキリストが形作られる」ことと、5章の聖霊の働きと私たちの応答の関係など・・・が気になっています。もう一度、徹底的に御言葉を学んでいかないと答えが見つけられそうにありません。ただ、以前考えていたよりも、ガラテヤ書全体が、もっと相互に深く絡んでいることが分かってきたような気がします。

何人かの牧師さんたちと、HDYK(ヘブル語で伝道者の書を読む会)をやっています。今週、4章まで来ました。こんなに伝道者の書の解読が難しいとは思いませんでした。解釈の可能性がいろいろありますし、専門家たちの意見も様々です(また、知りたい所を論じていてくれません!)。そんな状況の中で、暫定的ではありますが、解釈を進めていかなければなりません。
HDYKを通して、伝道者の書から、チャンとした(?)釈義・解釈に基づいた「伝道説教」ができるようになれば、他の先生方のお助けになるだろうと思っていたのですが、伝道者の書は、本当に手ごわいです。ヘブル語で読もうとすればするほど、それを強く感じます。とにかく、学びを続けていきましょう。次回は、来年1月末の予定です。

最後に、第三版では、ガラテヤ4:20は、「・・・あなたがたのことをどうしたらよいか困っているのです。」とありますが、2017訳は「・・・あなたがたのことで、途方に暮れているのです」、協会共同訳もほとんど同じです。第三版の「困っている」という訳語は少し弱いので、もう少し強く、「困惑している」と訳したほうがよいかもしれません。2017や協会共同訳は、両方とも、「途方に暮れている」と、さらに強い訳語を使っています。

パウロが、ガラテヤ教会について、「途方に暮れている」と言っているとしたら(これが正しい訳語とすると)、これは、多くの牧会者にとっての慰めのことばになるかもしれません。今、三つの翻訳聖書があることで、より豊かに聖書が読めるようになって来ています。また、ガラテヤ書を久しぶりに読むようになって、私自身、いろいろな発見をしています。以前、たくさん学んだはずですが、忘れることはいいことですね。ハレルヤ!
2019-12-04 21:17:02[投稿番号:141]

最近考えていること、していること
安息日(時間)もほとんど続けています。
 最近、教えられたり、考えさせられたりしていることがあります。安息日(時)にいつも続けて読んでいる本に、『情緒的に健康な教会をめざして』があります。少しずつ読んできて、きょう、やっと読了しました。スキャゼロの本は、考えさせられること、教えられることが本当に多いです。この夏から、『情緒的に健康なリーダー・信徒をめざして』、『Emotionally Healthy Spirituality』、そしてきょうを読み終えた書と、つづけて、じっくり読んできました。

これまで、私は「感情」をどちらかというと否定的にとらえて来たように思います。確かに、感情があることによって、人生は楽しく、また豊かになりますが、私はどちらかというと、否定的な方向で考えすぎて来たことに気づきました。
そしてさらに、きょう読んだ本の前書きで、レイトン・フォードが、イエス様の人性における「感情」の存在についての指摘には価値があると思いました。御子こそ、人として、喜び、悲しみ、怒り、歩んでおられたことに、ある種の慰めをも感じるようになりました。

ディボーションにおいて、ずっとルカの福音書を読んできましたが、もっともっと、受肉され完全な人として歩まれた御子とその感情にも注目して、さらに読み、教えられていきたいと願っています(来年度へ)。

しばらく前に、ケン・シゲマツ氏の奥様からのニュース・レターに、「ケンは、これまで<I think>を使っていたが、<I feel>を日常的に使うようになった」ことが記されていました。これも、スキャゼロが強調していること、また最近の霊性リーダーたちが考えていることと呼応しているように思います。

まだまだ、始まったばかりですが、私自身の感情・情緒的な世界についても、三位一体の神様に寄り添っていただき、導いていただく必要をより強く感じるようになってきました。ハレルヤ!

最近やっていることのまとめ:*「ディボーション一日研修」のDVDが完売し、また作る必要が出てきました。感謝します。*ワーダン・スピリットの会のHPも少し改訂しました。ご確認ください。*現在は、「5ステージ:永遠のいのちへの道」という個人伝道用のトラクトの制作準備中です。*いのちのことば社のディボーションテキスト「マナ」(黙示録)に書かせていただきましたので、その原稿(全22回分)を使って、『黙示録の読み方と実際』という感じで、まとめてみたいと思っています。
2019-11-25 21:31:42[投稿番号:140]

「教会」とは何か?
メッセージで、5回続けて「教会」について学んできた
礼拝メッセージで、5回続けて「教会」について学んできた(新ホームページ、または、YouTubeで)。いろんなことを学ぶことができ、本当に感謝しています。

特に教えられたことを箇条書きにして書き出してみたいと思います。?私たちの教会は、どれも「途上の教会:Church On the way」であること。?すべての完成は、天の御国であるから、あまりに理想主義的であってはならないこと。?初代教会は、「交わり」を大切にして、交わりに専心していたこと(使徒2:42)。?エペソ4章11-16節の意味は、非常に難しいが、これは、個人だけでなく、教会も全体として、「キリストに似る者」となっていくことが求められているということ。?教会は、この地上にあって非常にこの世的であるが、本当に「キリストのからだ」であり、「聖霊の宮」であることを真剣に信じて受け入れるべきであること。?今、与えられている教会(各個教会)での出会いや交わりを大切にして、その中で、共に変えられ、成長していくことを求めていくこと。?「クリスチャン」ってこういう者だ、という変な理解、「教会」ってこういうものでしょう、という変な常識を止めて、もう一度、新しい目で聖書から、「教会」について考え、学んでいく必要があること。

これまでの「教会」についてのいろいろな学びから、またその実として、今週から二つのことが稲沢教会で始まりました。?月に二回、小グループとそれに続くリーダー会。?できるだけ多くの兄姉との「洗礼後会」。今週の水曜日から、洗礼後会がスタートします。現在のところ、参加者は、すでにやっている兄姉も含めて、24名です。少しでも、みことばと交わりに専心する教会となれますように。ハレルヤ!
2019-11-18 20:35:02[投稿番号:139]