さらに最近、考えていること
 一つは、以前のブログで触れていたことで、ナウエンから教えられたことです。それは、他の人との交わりの間に、臨在していてくださる神様(ご聖霊)を置いて、覚えることです。

私は、一日の間に5回以上祈りの時をもっています(できない時もありますが)。しかし祈るたびにしばしば思うことは、繰り返し祈っていても祈っても、祈りと祈りの間において、神様の臨在や聖霊の内住、導きを考えないで、過ごしてしまうことが時間がなんと多いことかということです。

この問題(悩み)を解決してくれそうな道があることを知ったのです。それは、祈りと祈りの間にしていることの多くは、誰かと会って話していることですが、
その人と自分の間におられる神様を意識することです。
御霊は、私たち一人ひとりの内に住んでくださるだけでなく、キリストのからだなる教会、その交わりの間にも住んでいてくださるからです。

もう一つは、これもいつも祈っていることですが、「永遠のいのちのためにもう少し」働かせてくださいということです。しかし、いったい何をしたら、そのような働きができるでしょうか。コロナ問題で、外に出て行って伝道することの困難もあります。以前のように簡単に出ていくことにも注意しなければなりません。
最近、第一コリントの手紙3章6-9節を読んでいて、教えられました。ある人は、神の畑で、種を蒔きます。ある人は、神の畑で、水をやります。私が今いるところも、「神の畑」です。ですから、その中で、種を蒔いたり、水をやったりすることが、神様が喜んでくださるはたらきです。一人ひとり働きは違います。しかし、自分が置かれた所が「神の畑」なので、そこで、(福音の)種を蒔いたり、すでに蒔かれたものに水をやるのです。こうして、神様が成長させてくださるのです。
大切なことは、今置かれた所(神の畑)で、種を蒔いたり、これに水をやることです。あらためて、「永遠のいのちのために働く」ことの意味や、働きの内容について教えられました。それぞれ、働きは違います。違っていいのです。しかし、神様が委ねていてくださる賜物を通して、種を蒔いたり、水をやったりするのです。
残された生涯において、何をしたらいいのか、「永遠のいのちのために」働くとはどういうことなのか、改めて教えられたように思います。
ハレルヤ!
2020-04-27 15:36:11[投稿番号:153]

最近考えていることの一つ!
創世記11章1-9節
 コロナ・ウィルスは相変わらず、日本で、世界中で猛威をふるっています。いつ、この大問題が収束するか見当もつきません。一つ(ある時期、ある地域)終わっても、またもう一つという具合になりそうです。

私の心からの願いは、この大問題が少しでも早く真の解決に至ることです。入院し苦しんでいた方々が癒され、自分の家(場所)に戻れるようになることです。また、この問題ですべてを捧げて労苦しておられるすべての方々に休みと平安が戻ってくることです。

ただし、今年の一月の初めに、このような問題が起こることなど全く何も知らないで、新年を迎え、「おめでとうございます!」と挨拶し合った、全く同じ「世界・社会・生活・生き方」に戻ることが本当の幸いでしょうか。ただ戻って、同じようになればよいのでしょうか。そのようになれるように、一所懸命お祈りすることがふさわしいのでしょうか。

私が恐れていることは、仮にこのコロナ問題が終わったとしますと、また私たち人間は、自分たち(人間力)の勝利をほめたたえ、創世記11章4節のように、自分たちの王国を建て上げたよう(再建?)とするのではないか、ということです。

大切なことは、この世界を造り、治め、完成へと導いておられる神様を恐れ、へりくだり、問題があってもなくても、このお方を自分の神様、王として歩んで行くことではないでしょうか。二度と、人間を神のようにすることがありませんように。

神様を恐れて愛して、神様が大切にしておられるこの世界(おかれているところ、地域)で隣人を愛して、必要なとりなしと親切を実行していきたいのです。

今週も、「罪人のかしら」のままですが、御霊に満たされ、導かれて、なすべきことを求め、実行していきましょう。
 *神様に愛されている子どもとして、神様を愛し、隣人を愛しましょう。
 *大きなことも小さなことも、あわれみ深い父なる神様が喜んでくださることを、子どもとして見分けて、行いましょう。・・・このようにして、神様の栄光をあらわしましょう。
 *「永遠のいのちのために、もう少し」働くことができますように。・・・神様の畑で、種を蒔いたり、蒔かれた種に水をやることができますように(

今週も、神様のお守りがありますように。主は共におられます!ハレルヤ!
2020-04-20 07:34:25[投稿番号:152]

ナウエン著『すべて新たに』を読んで
コロナ対策・・・
 きょうの安息時に、『すべて新たに』を読み終えた。100頁足らずの小冊子であったが、本当に価値のある、スピリチュアルな本であった。全ての人にお薦めしたい。

第三部の『求めなさい」には、一人で静まる修練とコミュニティの修練について記されていた。特に後半から、いろいろ考えさせられた。兄姉の間に臨在して導いておられる御霊に目を向け、御霊に聴くようにという勧めであった。私は、ややもすると、コミュニティに入ると、共にいてくださる「神様」を忘れてしまう。いくら、日に4度、5度、時間を決めて祈っていても、コミュニティ(神様にあるいろいろな交わり、関係)に入ると、臨在を忘れてしまう問題を抱えている。もちろん、他の兄姉と話しているとき、その兄姉に集中するのは当然である。しかし、ナウエンは、さらに、そこにおられる聖霊の語りかけに注目せよと言っているようである。ここは、私が学ぶところ、教えられるべきところであろう。

さて、今日のディボーション箇所は、1コリントの3章で、16節に、教会に内住しておられる神の御霊のことが書かれていた。

私は、コロナ問題に直面しながら、どうしたら、教会の交わりを再生することができるか考えていた。家内の最近の口癖だが、コロナ・ウィルスは、私たちにとって最も大切なところである「交わりや関係」をどんどん切っていく。教会内の関係、国と国、民族と民族、地域と地域、家族内で、親子や夫婦の間を切っていく。

確かにそうである。これは、もっとも大切で、ひょっとしたら最も弱い部分であるかもしれない。しかしきょう、みことばとナウエンから教えられたことは、それでも、教会の交わり(関係)にご聖霊は内住し、これを守り導いておられるということである。だから何もしなくていいという意味ではないが、御霊は、コロナが切っていくところを、または、切ろうとしているところを、つなぎ続け、癒し、守っていてくださるということである。ハレルヤ!

もっともっとご聖霊の内住とお働きを信じていこう!ハレルヤ!
2020-04-06 18:05:47[投稿番号:151]

前回の続き…コロナ対応!
ヘンリ・ナウエン著『すべて新たに」
 つづけて、教会として、牧師として、今のコロナ問題にどのように対応していったらいいのか、考えています。

この問題が、世界大に広がり続け、また半年、一年以上つづくことを考えて(予想して)、その上での教会形成、牧会のあり方を再考していく必要があるでしょう。例えば、会堂中心主義を見直していく、より多くの人々が集まって、より多くの人々と共に、より多くの活動していくあり方、やり方の変更・・・

今、振り返ってみますと、DoingとBeingのバランスを考えながら、牧会をさせていただいてきたと思っていましたが、多くの教会活動が止まってしまった後・・・思っていた以上に、どんなに多くのdoingがあったか(ありすぎていたか)、考えています。

こういう時には、聖書の初代教会時代に戻って、もう一度、「教会とは?」について考える必要があるようです。2000年後の今の時代にやっていることを、初代教会の時代に戻すことはできませんが、教会の根本的なあり方について確認し、もう一度、大切なこと(だけ)に立って、今の時代にふさわしい適用を求めていくことになるでしょう。
使徒の働きの2章42節からは、初代教会が、4つの大切なことに専心していたことを見ることができます。「みことば、まじわり、せいさん、いのり」です。
これらの4つを、今の時代(今の緊急時?)に当てはめながら、再度、考え、適用していきたいと考えるようになりました。

これまで、月曜日の安息日(時間)には、スキャゼロ著『情緒的に健康な教会をめざして』を読んできました。本当に教えられることの多い本でした。これで、2回、3回(?)読んだことになります。良書は、何度読んでもいいし、教えられます。
先週からは、ヘンリ・ナウエンの『すべて新たに』を読んでいます。小冊子ですが、これもまた、お薦めできる本です。カトリックの超有名な先生ですが、何年も前から、プロテスタント・福音派の中でもよく知られるようになりました。いくつかの著書はすでに日本語に翻訳されています。
本書は、私自身が求めている『スピリチュアリティ』の真のあり方、方向性などと、ピタリ一致していて、しかも分かりやすく説明しています。御父と御子の関係、御子が人として来られたことの意味、そのあとの聖霊の働きなど、聖書的で教えられることが多くあります。伝統的神学の中で、しばしば聖霊のことを、御父と御子の間の「愛」と呼ぶことがあり、ナウエンもそう言っていて、賛成しませんが(御霊はそれ以上のお方なので)、しかし読んでいただく価値は大いにあると思います。

コロナ対応の牧会的知恵があたえられますように。ハレルヤ!
2020-03-30 11:15:10[投稿番号:150]

最近、教えられていること
コロナ・ウィルスのこと(2)
 教会の中でも外でも、まず話題になるのはコロナ・ウィルスのこと。前回、3月3日にこのことについて書きましたが、もう3週間以上経ってしまいました。考え、祈っていることはあまり変わりませんが、ヘブル書を読みながら教えられたことがありましたので、付け加えさせていただきます。

新約聖書に含まれる27書の中で、人々(聖書読者)が迫害の中で最も苦しんでいるように見えるのは、ペテロの手紙、黙示録、そしてヘブル書です。ヘブル書を読みながら、書かれたみ言葉の端々から、人々の苦しみが伝わってきます。そんな中で、ヘブルの著者は勧めています。

「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか(10:23?25)。・・・ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります(10:35)。

其々おかれた状況、迫害の内容は違いますが、どのようにして、今の私たちは、「自分たちの集まりをやめたりせず、励まし合って」いくことができるでしょうか。確かに、クリスチャンにとって最も大切なことの一つである「交わり」、迫害や苦難において、なおさら必要になる「交わり」が失われていくことを考えると、これはサタンの知恵ある仕業であると言わなければならないでしょう。クリスチャンにとって最も本質的で、最もナイーブなところを突いて来ているとも言えるでしょう。

今、牧師として、どのようにこの問題に対処し、補っていけるか考えています。これが、このまま、2か月、3か月以上続いて行ったら本当に大変です。サタンが「シメシメ」と喜ぶだけです。また、「問題」の中で、どのように「教会」は歩み続け、牧師はどのように「牧会」をしていくのか、今までの「通常?の」牧会を変えていくことになります。また、教会の皆さんにも、「問題」の中でのクリスチャンとしての(新しい?)生き方をお勧めしていく必要もあるでしょう。
私たちがこれまで大切にしてきた「土台」は変わりませんが、変わるところ、変えていくところはあるでしょう。

私のヘブル書の学びは終わっていませんが(ディボーションで)、ヘブル書の著者は、少なくとも、四つの大切なことを教えていることが分かります。第一に、私たちには、天の御座に、憐み深い大祭司がおられます。第二に、私たちには、私たちを真の子として扱い、訓練していてくださる御父がおられます。第三に、御言葉を通して語りかけ、ふさわしい適用に導かれるご聖霊がおられます。第四に、教会(小さなグループから、世界大のグループまで)の交わりが与えられています。

ヘブル書12章から教えられることは、これらの酷い迫害や苦難も、私たちの御父にあっては、愛する子どもに対する「訓練」になっているということです。ただ、サタンが傍若無人にこの世界を荒らしまわっているだけではないのです。すべてを支配し導いておられる神様は、これらを敢えて用いて、これらも愛する子どもたちへの「訓練」に変えて、用いておられるということです。

増々、三位一体の神様を恐れへりくだり、さらに近づき、ともに歩んで行きましょう。ハレルヤ!
2020-03-27 07:19:59[投稿番号:149]

コロナ・ウィルスのこと
…どう考え、どう行動するか?
東日本大震災が起こった時、いろいろ考えさせられたが、今回は、コロナ・ウィルスが蔓延していく中でいろいろ考えるようになった。

2月中ごろに東京に住む友人から「コロナ肺炎のために祈りましょう」というメールを受けた。これをもらった時、この問題は、まだまだ対岸の火事のようで、「そうだ、そうだ、祈らなければ」とまでは思わなかった。しかしこの火事は、見る見るうちに燃え広がり、今、目の前まで来ている感じである。気づくのが遅すぎると言われればそれまでだが、今、神様の前に祈りつつ、いくつかのことを確認しておきたいと思うようになった。

コロナ・ウィルスが出て来たのは、人為的なものか、より自然的突然変異的なものであるかわからないが、ここに、人間の罪と愚かさとともに、悪魔の働きがあることは確かである。ただし、その背後で、これを神様が敢えて許しておられることも見逃してはならないと思う。

私は、コロナウィルス問題の早期解決のために祈るとともに、これらを通して、私たちがよく学び、神様の前にへりくだり、正しい恐れをもって、歩むことの大切さを教えられている。
このウィルス蔓延に加担しないように自分の行動を注意するとともに、その問題の渦中で、積極的に、個人として、教会としてできることは何か、求めていきたい。ただ、ウィルスから自分たちを守ることだけを考えるのではなく、このような状況にある人々、社会に対してどのように応答していくことがよりよいのか、教えられていきたい。

この問題が出てくる前、私たちの世界とその中に住む私たち人間の知恵と力は、全知全能の神のようであった。「AI」を利用しながら、何でもできるような勢いであった。しかし今、本当に微細なウィルスによって、この人間社会の脆弱が晒されている。政治経済、社会、すべてが揺り動かされている。あの「神の声だ」とたたえられたヘロデ王が一匹の虫によって突然、いのちの息の根を止められたように(使徒12章)、また神様によって、瞬く間に人間の力の象徴であったバベルの塔建設が頓挫してしまったように(創世記11章)・・・である。

もう一度、本当にすべてを支配しておられる神様こそ、正しく恐れたい。しばらく静まり、祈り、礼拝したい。その上で、その神様から愛と知恵をいただいて、今の時代、今の社会になすべきことは何か、個人として、教会としてよく考え、祈り、求めていましょう。
今も後も、永遠のいのちとその約束が与えられているので、人間的な恐れに縛られないで、どんな時も神様と共に歩ませていただきましょう。普通の日々も、そうでない日々も、ハレルヤ!
2020-03-03 07:29:56[投稿番号:148]

「永遠のいのちのためにもう少し」
お祈りを感謝いたします!
 上記のブログタイトルは、今から19年前、私の先輩である梶日出男牧師からいただいた著書『苦しみを喜びに』の裏表紙に書かれていた言葉です。梶牧師は、この本を贈ってくださった後、約一年半後に神様のもとに召されて行かれました。癌の手術を何度も繰り返し受けながら、最後の最後まで、牧会伝道を続けられた牧師でした。58歳での召天でした。

最近、この言葉をよく思い出すようになっていました。「永遠のいのちのためにもう少し」・・・先週でしたが、大腸ポリープ切除後の細胞検査の結果は良性でした。そしてきょうは、甲状腺の細胞診の結果が出て、良性でした。昨年11月の健康診査後に、二か所に問題があるかも、ということでしたので、びっくりしていましたし、覚悟していましたが、今のところ大丈夫。時々、検査をするようにと医師に言われました。

きょう、検査結果を聞く前に神様に祈りました。できれば、「永遠のいのちのためにもう少し」、お願いします。また昨日は、この「永遠のいのち」は、他の人々の永遠のいのちのことであることを強く感じましたので、きょう、「他の人たちの永遠のいのちのために、もう少し働かせてください」と神様にお祈りしました。

果たして、神様は、他の人々の「永遠のいのち」のために、どのように用いてくださるのでしょうか。この地上で生きて働くことができる期間はあと少ししかないと思います。その間に、「他の人々の永遠のいのちのために」、どのように働くことができるか、聞き続けていきたいと思います。
皆さん、お祈りを感謝いたします。ハレルヤ!
2020-02-05 21:37:09[投稿番号:147]

神様の栄光を表すとは?
最近、考えていること・・・
 最近考えていることの一つは、「神様の栄光を表す」とはどういうことか、です。これは、クリスチャンにとって最も大切なことで、『ウェストミンスター小教理問答』にもある通りです。ある人は、これを、「イエス・キリストを信じて、神様を礼拝し、ほめたたえること、」と解説しています。これは、とても簡潔で的確な説明ですが、まだ何か足りない、しっくりしないものを感じます。

まず、代表的なみことばを二つ挙げたいと思います。「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント10:31)」、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。(イザヤ43:7)」

以前、ブログで、「神様の栄光を表す」というと、しっくりこないが、「私の天のお父さんの栄光を表す」というと、少ししっくりくる、ということを書いたことがあったと思います。

毎朝(また昼も夜も)、お祈りをするとき、「私の天のお父さんの栄光をあらわすことができますように」と祈っています。またさらに自分は、「罪人のかしら」ですが、内住の御霊によって満たされ、導かれて、栄光を表すことができますように、と祈ります。

最近、祈りながら、「本当に天のお父さんの栄光を表す」とはどういうことなのか、もっとはっきり知りたいと想うようになりました。
出てきた答えは、次のとおりです・・・私は罪人のかしらで、すぐに自分を王としたり、神として歩んでしまいますが、「神様の栄光を表す」とは、真の神様を私の神として、真の王を私の王として、生きること、喜ぶこと、交わること、行動すること、そして心(思い)と身体(行動)や態度でそれを表していくことです。意識して、できれば、意識していなくても。模範はイエス様にありますし、御霊はこれを助け、導いてくださいます。

今のところ、これが「神様の栄光を表す」ということの、よりしっくりした説明です。さあ、すでに永遠のいのちの恵みをいただいているので、これをもって、出ていきましょう・・・ハレルヤ!
2020-01-22 21:06:44[投稿番号:146]

新年おめでとうございます!
今年も、一年宜しくお願いいたします。
 今年は、どんな一年になるでしょうか。まったく分かりませんが、次のようなことを考え、また実行しています。

個人的には、遺言的なことをつづけていきたいと思っています。昨年は、『ディボーション一日研修』(DVD)を準備し、『福音トラクト:ファイブ・ステージ』(印刷直前です!)、『黙示録の読み方と実際』(限定20冊)などを作りました。今年度準備したいと願っていますのは、『五つの聖霊論(旧約、ヨハネ、ルカ、パウロ、統合)』、『聖霊に満たされ、導かれて』(たぶん、DVD 5巻分)の制作です。ワーダン・スピリットの会の「ワード」にあたるものとして、「聖書解釈」に関しては、地引網出版で現在準備中です。

神学校でのご奉仕は、つづけて、CBS(CBI)で、ヘブル語1と2、旧約釈義、ギリシャ語1と2、新約釈義から、東海聖書神学校で、ヘブル語1と2、聖霊論、終末論、旧約各書研究(小預言書)、スピリチュアリティーから、いくつかクラスを担当することになります。ただ、火曜日の朝から夕方まで神学校での奉仕がつづきますと、本当に疲れきってしまうことがあります。少しずつ減らしていったほうがいいかなとも考えています。

教会でのご奉仕は、昨年の秋から、毎月二回(第一週、第三週の主日礼拝直後)、小グループとリーダー会ができるようになり、現在、6つの小グループで、礼拝メッセージの分かち合いをするようになりました。また、これも秋からですが、皆さんにお願いして、「洗礼後会」を始めるようになりました。現在、8種類の「洗礼後会」があります(会員全体の80%の兄姉が参加していてくださいます)。それぞれのグループに特徴があり、楽しく、またにぎやかに、また率直に、聖書の基本的な学びを続けています。

他に、HDYK(ヘブル語で伝道者の書を読む会)を、月に一回、何人かの牧師先生と共に続けています。今度は、伝道者の書5章に入ります。目標は、ここでの学びをもとにして、皆さんが、伝道者の書から、伝道メッセージができるようになることです。

考えてみますと、いろいろやっていますね。。。これらに加えて、毎週の礼拝メッセージとその準備、木曜日の朝の聖書研究祈祷会などがありますから。

いろいろやっているというよりも、「やらせていただいているなあ」と本当に思います。上手に休みを取り、上手に切り替えていく必要もあります。また、神様は、いつまでこのようなご奉仕を続けさせてくださるでしょうか。いよいよ、来週は大腸検査で、29日には、甲状腺の細胞診です。だんだん、身体にガタが来ていることが分かります。いつまで、もつでしょうか。仕方がないですね。この身体は68年間も頑張ってくれたのですから。永遠のためには、この身体では間に合わないので、着替えが必要なのです。新しいからだをいただいて、復活できることはなんと幸いでしょうか。その前に、永遠のいのちが与えられていることは何と幸いでしょうか。

新しい一年も、身体がどのようであっても、すでに与えられている、豊かな永遠のいのちの祝福で歩んで行きたいと思います。この一年も、よろしくお願いいたします。ハレルヤ!
2020-01-11 07:30:53[投稿番号:145]