士師記を読んで | | 霊的リーダー(Spiritual Leader)を求めて | 最近、ディーボーションで、ずっと士師記を読んできた。士師記を読むたびに感じるのは、これはいったい何という時代か、ということである。まさに、戦国時代、霊的混乱の時代、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた』時代である(17:6、21:25)。解釈的に言えば、士師記のどこでどのような模範を見つけて、現代の私たちの歩みに適用したらいいか分からなくなってしまう。
最後の21章を読み終えたとき、本当に「霊的なリーダー」が必要であることを痛感した。当時で言えば、モーセのような、ヨシュアのようなリーダーが再び起こされることである。ただ「力」があるだけでは足りない。ペリシテや他の民たちをやつけるだけでなく、本当に、民を霊的に育て、助け、導くリーダーが必要である。
確かに、一人一人が十分に自立し、成長していくなら、かつてのようなリーダーは不要かもしれない。余分かもしれない。しかし私は、やはり、どの時代においても、「民」には、「よい霊的リーダー」が必要なのではないかと、より強く考えるようになった。時代とともに、「霊的リーダー」のやることは少しずつ変わっていくかもしれない。しかし、どれだけ、民主的な国や町や教会ができても、「霊的リーダー」は不可欠であると思う。
コロナ禍にあって、なかなか伝道も進まない。牧会も、行動的な面から言うとなかなか思ったようにいかない。片肺飛行を続けているような感じである。こうして、ほとんど一年が過ぎ、さらにこのまま、しばらく続きそうである。
そん中ではあるが、士師記全体から今回教えられたことがある。それは、全く足りない存在であるが、少しでも「霊的リーダー」になることを求めていくということである。偉そうなことは全く言えない。それは分かっている。
伝道牧会において、なかなか計画を立て実行していくというようなことはできない中で、「霊的リーダー」になれるように、求めていくことを考えるようになった。図々しいことであるが、コロナ禍にあって、何よりも、求めていくあり方はこれかもしれなと思うようになった。この時代に置かれ、生かされているわけであるから、その中で、混乱した士師記の時代になるのではなく、少しでも、神様の前によろこんでいただけるような時代をもとめていきたい。ハレルヤ! | | 2021-03-30 19:16:27[投稿番号:195] |
きょうですべての神学校のクラスが終了! | | 感謝とともに、ホットしています! | 名古屋のCBSは三学期制、金山の東海聖書神学塾は二学期制ですが、きょうですべてが終わりました。感謝します。この一年(昨年4月から今年3月まで)CBSではギリシャ語1、2、3(新約釈義)、神学塾では旧約釈義と終末論を担当させていただきました。
CBSでは、4月からのギリシャ語1(聖書のギリシャ語文法)の学び、9月からのギリシャ語2(ギリシャ語での新約購読)、そしてこれらのまとめとして、今年の1月からギリシャ語3(新約釈義)がありましたが、今回は特に、「釈義から説教へ」ということで、説教の準備にも力を入れました。そのため、あっという間に、毎回の3時間20分が終わってしまった感じです。すべてが終わると体力的にクタクタになってしまうのですが、ギリシャ語から始めて、解釈的なことをいろいろ考え、最後に説教準備までできるのは、本当にうれしい時間となりました。
やはり、聖書やギリシャ語の学びは、最後の適用(説教など)まで行かないと違和感のようなものが残るのを感じます。そういう意味で、今回は、適用までともに考え、学ぶことができたことは、本当に感謝で、神様の恵みを豊かに感じる時となりました。
拙著『ジャンルを大切にして・・・』の28ページで、「聖書釈義(解釈)」の究極の目的は「適用」にある、というG.フィーの言葉を引用しましたが、本当にそうであると確認させていただけたクラスだったと思い、感謝しています。
今年の4月からCBSでは、ヘブル語1(文法)が始まり、神学塾では、ヘブル語1と聖霊論が始まりますが、また長い一年の旅が始まります。「適用」を心がけていきたいと願っています。こんな大切で、恵まれて奉仕が与えられていることを、神様に感謝いたします。ハレルヤ! | | 2021-03-23 20:36:26[投稿番号:194] |
50周年の記念礼拝に招かれて! | | 3年ぶりに懐かしい岩倉教会に行ってきました | ちょうど26年前、3月28日にカナダから「岩倉」という町に来ました。岩倉教会のメンバーで知っていたのは、その時名古屋のCLCで働いておられたご夫妻だけ、あとは全く、誰も知りませんでした。本当に、何も知らないでカナンの地に出かけたアブラハムのようでした!
こうして、新たなご奉仕が始まりました。4人の子どもたちは、初め、住居と教会が一つの場所にあることに慣れず、日曜日の夕方になると、子どもたちと一緒に、近所を一回りして家(教会)に帰ったこともありました(カナダ時代には、住居と教会が、車で1時間位離れていました)。こうして、少しずつですが、町に慣れ、教会の兄弟姉妹たちとの交わりが導かれていきました。
教会の皆さんには、一つだけお願いしたことがありました。「「今まではこうでした」と言わないで、「ゼロ」からのつもりで、一緒に伝道と教会形成をしていきましょう。」こうして神様は、少しずつですが、教会を建て上げ導いてくださいました。
あっという間の23年間でした。「65歳になったら、それまで牧会伝道をして来た教会から離れなければならない」という教団ルールについては、素直に従えない思いもありましたが、その時、私はその教団の代表をしており、「代表」がルールを破ることはできず、すべて捧げて従いました。
今週、3年ぶりに、懐かしい岩倉教会の礼拝に行かせていただき、礼拝メッセージをさせていただきました。コロナ禍でお会いできなかった何人かの兄姉がおられましたが、ほとんどの兄姉が礼拝に来ておられ、心から神様に感謝しました。また、新しい方々が来ておられることも見て、本当にうれしく思いました!
牧師先生がよくまとめて教会を導いておられることを見ることができ、感謝しました。神様のみ名を賛美しました。年の進んだ信徒と若い信徒がうまく混ざり合っているのを見ることができたのも感謝でした。
そして、あの教団ルールでよかった。従わせていただいてよかったと思っています。稲沢教会に戻り、待っていた家内にたくさんの「お土産話」をすることができました!
これからも、岩倉の地で主の教会が用いられ、イエス様の福音が豊かに語られていく拠点の一つとなりますように。ハレルヤ! | | 2021-03-20 20:42:57[投稿番号:193] |
小さな喜び! | | ジャカランダが咲き始めています! | 2017年5月にイスラエルに行ったのですが、現地でしばしば見かけたのは、「紫色の桜のような花」でした。「あれはなんですか?」と周りの人に尋ねたのですが、なかなか分からず。やっと分かったのは、「ジャカランダ」だと言うことでした。
イスラエルから帰ってからも、その花のことが忘れられず。アマゾンで探したら、5000円位で売っていました。少々高かったのですが、思い切って買ってしまいました。ずっと水やりを続け、何回か冬を越したのですが、全く、花が咲く気配はありませんでした。しかし・・・なんと!
今年、3月の初めに、いくつかの花芽を見つけました。よく見るとその先端が紫っぽい色をしていました。「ジャカランタの花の芽だ!」私は、思わず叫び、家内にも伝えました。
今、少しずつこの花芽が大きくなり、紫色の花が咲こうとしています。
もう少し、もう少し、待ちたいと思います。あまりに嬉しくて、ブログに書いてしまいました。すみません。ハレルヤ! | | 2021-03-12 17:35:43[投稿番号:192] |
会報「ワーダン・スピリットの会」復刊のお知らせ | | 前回の預言運動とも関連しています | 最近、また「ワーダン・スピリットの会」会報の復刊を考えるようになりました。最後の会報(15号)を出してから、約11年が経ってしまいました。このHPの「会報」の一番初めに、「会報16号」の内容予告があります。以下のとおりです。
?ゴードン・フィーのGod’s Empowering Presence: The Holy Spirit in the Letters of Paul (つづき)
?「フィリオクエ問題を基にして」(その8):つづき
?Karel Blei著『Oepke Noordmans: Theologian of the Holy Spirit』
?ケン・シゲマツ著『賢者の生活リズム』
内容は少し変わりますが、上記の?と?は準備ができていますし、?は半分くらいできています。また、前回ブログに書きました『預言』(パウロ秋元著)も甘辛文献紹介に入れたいと考え、今読み直しております。「(預言を)見分ける神学をめざして」の最後のまとめもしたいと思います。
そんなことで、もう一度、『会報16号』を出したいと考えております。どうぞ、覚えてお祈りください。限られた時間の中での作業ですので、実際の発刊まで時間がかかるかもしれません。よろしくお願いいたします。
これからもご聖霊について教えられていきたいと思います。ご聖霊の御業の素晴らしさがさらに伝えられますように。ハレルヤ! | | 2021-03-05 21:04:36[投稿番号:191] |
現代の預言(者)運動について | | 『舟の右側』3月号もお読みください | 最近、ある出来事がきっかけで、「現代の預言(者)運動」について考えるようになりました。もし、奇跡的なこと(言葉も業も)が2000年前にすべて終わったと考えておられましたら、以下でお話しすることは意味がないと思います。
私は、今から33年前にカナダに行き、そこで最初に学び、書いた小論文のテーマの一つが「奇跡的な賜物(預言、癒し、奇跡)」は終わったか、でした。提出した先生は、J.I.パッカー先生でした。
以来、私の理解は、「ノン・セセーショニズム」(これらは、現在も継続していて終わっていない」の立場です。ただし、北米において、当時様々な預言運動(つまり、超自然的な言葉の奇跡的現象)が流行っていましたが、「これは、本物だ」と思える預言と出会うことはありませんでした。あまりにも、偽預言(者)が多かったのです。
カナダで生活している間、そして卒業後も、時々、カナダやアメリカで学びを続けていましたので、さらに10年間ぐらいは、北米における預言者運動やこれに準ずる運動に関心をもち、資料を集めたり、学んだりすることができました。
ですから、2002年1月号「ワーダン・スピリットの会」会報から2007年4月号「ワーダン・スピリットの会」会報まで、ずっと「(預言を)見分けることについての神学をめざして」を連載して来ました。
しかし2005年頃から北米で学ばなくなり、だんだん北米の教会状況、預言運動の状況などについては分からないことが多くなり、「第三の波」の影響の衰退とともに、預言運動も沈下して行ったと考えるようになりました。
ところがです。北米でも、そしてなんと日本でも、以前と全く変わらないような、(新)預言運動が流行っていたのです。例えば、『舟の右側』3月号をお読みください。「ジェレマイア・ジョンソン(預言者?)の公式謝罪」が載っています。このようなことは、北米の預言者運動の歴史を見れば、これまでにも繰り返し起こっていたことです。
それで、さっそく、以前書いていました『(預言を)見分けることについての神学をめざして』をもう一度読むことにしました。これは、当時、『預言をすることばかり(神学?)』が流行っていて、それを真剣に吟味することがなおざりになっていることを知り、逆に「(預言を)見分けていくことの大切さとその神学と実際」について書いたものです。
まだ、完成していませんので、ぜひとも、早いうちに「最後の結び」を書き終えたいと思います。関心をお持ちの方はご連絡ください。
神様を喜び、ほめたたえて歩んで行くとともに、このような問題については逃げないで、直面して吟味していくことも、この世で生かされている神の子どもたちの仕事でしょうか。今、こんなことを考えています。ハレルヤ! | | 2021-02-27 18:01:50[投稿番号:190] |
コロナ禍にあっても変わらない交わりのめぐみ | | 先週と先々週は、いろいろな牧師さんたち(夫妻、ご一家)が教会にお出でくださり、神様にある楽しい交わりをいただきました。コロナ禍にあるので、どうしても外出することが少なくなり、交わりも少なくなっている時でしたから、本当に幸いでした。終わって、帰られた後、私たち(家内とともに)の心に恵みと感謝が残りました。
また、毎日、メールやズームなどを通して与えられている交わりもあります。これらも、一つひとつ神様にある交わりとして、大切にしようと思っています。今朝も、毎月一回ですが、「HDYK」(ヘブル語で伝道者の書を読む会)があり、楽しい交わりの中で、旧約の中では一番難しいと言ってもいいくらいの「伝道者の書」を、ヘブル語を読みながら、訳語から考えていくことができました。当初の予定より非常に遅れていて、いつ終わるか分かりませんが少しずつ読んでいます。
また、明日は、CBSのギリシャ語3(新約釈義から説教へ)のクラスがあります。これも主にある交わりです。その後、午後には、東海地区のオンギジャンイ委員会があります。奉仕者の皆さんが、稲沢教会まで来てくださることになっています。
緊急事態宣言中でもあり、気を付けて委員会をもちたいと思います。これも神様にある交わりですね。
クリスチャンが集まると、そこに神様にある交わりが始まります。本当に感謝だなあああと、近頃、特にそう思っています。
毎日の朝の祈りの中で、「隣人」について祈る祈りの時があります。第一の「隣人」は家内ですが、そこからさらに、きょう、会うことになっている人たち、突然、会うかもしれない人たちなど、いろいろ予想しながら、祈りつづけ、備えています。
コロナ禍にあっても、主にある交わりの恵みがあることは本当に賛美です。ハレルヤ! | | 2021-02-22 17:50:11[投稿番号:189] |
お知らせです! | | 『ジャンルを大切に・・・』読書会 | いよいよ『ジャンルを大切にして聖書を読む』を使用しての読書会が始まります。『百万人の福音』(3月号)でも宣伝しましたので、宣伝と準備は終わりました。関心のある方は、詳細がこのブログの「出版案内」にありますので、お読みください(また、1月5日のブログにも、同じ説明があります)。
まず、3月7日の夜7時から8時までの1時間を使って、拙著の1章を読んでいきたいと思います。1か月(4回)かけて1章づつ読んでいきたいと思いますが、どうなるでしょうか。お申し込みは、メールでお知らせください(wordanspirit@nifty.com)。
なお、この読書会は、あくまでもお一人おひとりの聖書の読み方を助けることが目的ですし、そのことが、それぞれの教会の祝福になることを願っていますので、参加希望の皆さんは、牧師先生とよくお話しくださり、その牧会指導に従ってください。そうでないと、この読書会の祝福になりませんので、よろしくお願いいたします。
他の曜日、他の時間についても、さらに考えていく予定です。皆さんからの要望などありましたら、メールを通してお寄せください。
この読書会を通しても、皆さんのディボーションがさらに豊かなものとされますように。神様が、この読書会をも用いてくださいますように。感謝いたします。ハレルヤ! | | 2021-02-17 19:28:14[投稿番号:188] |
きょう、教えられ考えていること | | 詩篇143篇5節から | 今日のディボーション箇所は、詩篇143篇でした。特に心に留まった節は、5節です。「私は昔の日々を思い起こし あなたのすべてのみわざに思いを巡らし あなたの御手をわざを静かに考えています。」これは、4節で「私の霊は私のうちで衰え果て」と7節の「私の霊は滅びてしまいます」の間にあります。
ちょうど、『舟の右側』の連載「あなたのディボーションのために」の三回目の原稿を編集者に送ったすぐ後でしたので、余計、「昔の日々を思い起こす」ことの素晴らしさと大切さを覚えました。
神様は変わることにないお方であるので、昔の日々を思い、そこで共にいて導いてくださった方を、今の歩みにそのままお迎えする(適用する)ことができるのです。もちろん、神様の方法は同じではありません。しかしそれでも、神様の本性、神様の御心は変わることがなく、いつでも、いつの時代でも、お頼りすることができます。
連載の準備をしながら、40年以上前に牧師になった頃のことや11年間の岐阜県での田舎伝道、その後カナダでの7年(うち6年の伝道牧会も)などを思い浮かべていました。・・・カナダでの7年間は、本当に神様の御心であり、御手の中にあったなあ・・・これがあって、今の自分があると言えるほどです。本当に神様に感謝します。いろいろ昔のこと(?)を考えていると、また新しい思いが与えられ、これからの歩みの力になることを感じます。ハレルヤ!
「お知らせ」:「会員資料室」に、新しく「黙示録20章4?6節を解釈するための資料」をアップします。ちょうど、東海聖書神学塾の終末論のクラスで学んでいた時に、黙示録20章4?6節について質問がでましたので、準備したものです。関心のある方はご覧ください。 | | 2021-02-12 18:51:58[投稿番号:187] |
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