「内住の聖霊」を意識する!
ペンテコステ・メッセージから
 きょうは、久しぶりに(?)東海聖書神学塾の礼拝でご奉仕をさせていただいた。ペンテコステ礼拝の後でもあるし、私が説教させていただくことは、ご聖霊のことしかないと思って、稲沢教会の礼拝メッセージ(5月23日)と同じテーマでメッセージをさせていただいた。

なにせ、時間は、20分しかないので、大切なみことばとその簡単な説明で、あっという間に20分以上が過ぎてしまった。ただの学びではなく、礼拝になるようにと願って奉仕させていただいたが、どうであったか??・・・祈るばかり!

礼拝奉仕の前に、メッセージのイントロを準備しながら確認をした。クリスマスは待降節があるので約一か月ほど前から準備する。十字架と復活の準備も、レントがあって、約1か月半の準備をしていく。しかし、しかしである。ペンテコステ(礼拝)の準備は、どうなっているだろうか。また、教会歴としてどれくらい準備しているだろうか。

この点でも、三位一体を信じていると言っても、現実には、二位一体のままになっているかもしれないと考えた。本当にご聖霊を信じ、ご聖霊が分かってくると、三位一体論もイキイキしてしてくるのではないか。だから、今年のペンテコステも強調していきたい。

ちなみに、稲沢教会に遣わされて4年目になるが、過去の3年間(4回のペンテコステ)をどのように過ごしてきたか、礼拝メッセージの資料で確認してみた。なんと、それぞれ、毎回、ペンテコステ礼拝の前後に、4週の礼拝において、「ご聖霊」について、連続で礼拝メッセージをさせていただいていることが分かった。すっかり忘れていただったので、このことを知って、びっくりした。

たぶん、今年も、三回か四回、ご聖霊に関わるメッセージをさせていただくことになるだろう(30日に、2回目は終わった)。なぜなら、ご聖霊は、この地に残されている私たちにとっては、「益」であるお方であるから(ヨハネ16章)。私たちの信仰生活や教会生活にこれほど、身近な神様はおられないから!
 今年もハレルヤ!
2021-06-01 20:33:50[投稿番号:208]

今朝のディボーションで教えられたこと
創世記31章13節「わたしはあのベテルの神だ」
 最近は、朝のディボーションで、ずっと創世記を読んでいます。1章ずつ読むようにしていますが、ディボーションの限られた時間の中で1章読むのはかなりきつい、長いと思う場合があります。

きょうの箇所も長かったのですが(55節も)、途中の16節で止めました。それは、13節のみことばが凄かったからです。2017訳では、「わたしは、あのベテルの神だ」となっています。第三版は、「わたしはベテルの神」、他の英訳(例えば、NIV)は、「 I am the God of Bethel」などです。注目したのは、2017訳(だけ)にある「あの」です。

実は、ここは、ヘブル語の文法で言うと「合成形:Construct」なので、「神(エール)」の前に「冠詞(英語で言うとthe)」が置けないはずです。ところが、原文で「神」の前に冠詞があって、英語で言うと「the God」になっているのです。おそらく、例外的に、または標準的な文法を超え、あえて冠詞がつけられた可能性があります。つまり、ある種の強調のゆえに、「あの」をつけ、「わたしは、あのぺテルの神」と訳されたのではないかと推測します。13節を直訳しますと、「このわたしは、ベテルのあの神である!」となります。

ヤコブは、兄のエサウから殺されることを恐れ、家から逃げ出し、東の国に住む伯父さん(ラバン)の家に向かう旅の途中で、不思議な経験をしました。ここが、ベテルでした。神様は、この時から14年以上経っていましたが、この時の出来事を思い起こさせ、「このわたしは、ベテルのあの神である!」と言って、ヤコブに語りかけられたのです。

この時、ヤコブはどれほど大きな励ましを経験したことでしょうか。こうして彼は、14年以上前に、旅の途中の経験した出来事を思い起こし、もう一度自分の家に戻る決心をしたのです。

御言葉を読み、味わいながら、私自身にも与えられたかつての神様からの語りかけなどを思い起こすことができました。約50年前の神様の語りかけ(救いの経験)や約35年前の神様の語りかけ(留学すること)などです。神様は、ヤコブ自身と、ヤコブに約束されたことをはっきりと覚えておられ、ヤコブに「時」が来たことを知らされました。ここから、神様の変わらないご真実とあわれみを覚えますが、それはまた、私自身にも変わらず注がれている恵みであることを深く覚えることができました。「このわたしは、あのベテルの神である!」ハレルヤ!
2021-05-25 20:29:06[投稿番号:207]

ペンテコステを迎える!
今、考えていること、していること
 今度の主日礼拝はペンテコステ!どこから礼拝メッセージをさせていただこうかと先週からいろいろ考えてきました。初めは、旧約聖書に出ている聖霊で、新約時代以降の私たちにとって最も関わりのある箇所の一つ、エゼキエル書36章からメッセージをと考えていましたが、これを変更して、もっとも単純に、ご聖霊の基本に戻ることにしました。私自身にとっても、また教会の兄姉にとっても、まずご聖霊の基本に戻ることが必要ではないかと思ったからです。説教題は、まだどうなるか最終決定していませんが、内容の中心は、「内住の聖霊を意識する」ということになるでしょうか。

毎日の生活の中で、「臨在の神様」を断続的に意識することは毎日の私自身の究極の課題ですが、このことと「内住の聖霊」を毎日意識することは一つ、または、その入り口になると言っていいでしょう。ここから、礼拝、再献身、満たし、喜び、従順が出てきます。

たいてい、ペンテコステの時期には、2、3回、ご聖霊についてのメッセージをさせていただいていますが、再来週は、たぶん、ルカの福音書における「聖霊とイエス様」についてお話しをさせていただければと考えております(また、変わるかもしれませんが)。とにかく、毎年、クリスマス→イースター→ペンテコステがあるのは嬉しいですね。本当に、感謝ですし、教えられます。信仰がまた吟味され、新しくされます。ハレルヤ!

今、していることは、少し遅れていましたG.Fee先生の本の翻訳(抄訳、要約)を続けています。あと30頁位です。Fee先生のことを思い浮かべながら、ご聖霊のことについて考えられるので感謝です!

また、三つの『読書会』は、『ジャンルとしての手紙』が終わりましたので、来週から『ジャンルとしての旧約のナラティブ』に入ります。これも、ただの読書会ではなく、私もいろいろ教えられながら、交わりを楽しみながら、会を進めて行けるのでうれしいです。

6月14日から17日まで、今年はオンラインですが、教団の教役者研修会があり、『ジャンルを大切にして・・・』を使って、四回(4×70)の学び会を導くように頼まれていますので、これも準備をしています。

以前から、「現在的な預言運動、聖霊運動」について、何か書くべきか、いろいろと考えているところです。材料はあるのですが、これが、本当に他の兄姉に役に立つものか、私が書いてよいのか、なお吟味し、祈り続け考えています。本当に役に立つと思われるのでしたら、皆さんのご意見もお寄せください(→メールでお願いします)。

毎週火曜日は、セミナリーです。午前はCBSで、午後は東海聖書神学塾で教えています。すべてオンラインです。たくさんの神学生にオンラインでヘブル語を教えることは大変です。初めは少し悩みましたが、これにも少し慣れてきました。二つの神学校でのクラスを終え、最後に、4時30分から、50分間(一年かけて)聖霊論のクラスがあります。このクラスの初めは、ほとんどいつも、息が切れ、クタクタの状態ですが、ご聖霊のことについて考え、お話しをさせていただいていますと、別のところから力があたえられるのか、全く新しくされ、すべての疲れが吹っ飛んでしまう感じです。一年間、ご聖霊について学び、教えられていけることは感謝です。ハレルヤ!

コロナ禍にあって、しかも緊急事態宣言中で、伝道牧会の壁にぶつかって悩んでいますが、それでも、今年、一人でも救われる人が起こされるように祈っています。ハレルヤ!
2021-05-21 07:16:38[投稿番号:206]

『見分けることについての神学』
・・・現在的な預言運動について考える・・・
 前回、会報16号の簡単な説明をしましたが、今回は、これも最近完成しました『見分けることについての神学』について説明をさせていただきます。

現在的な預言が今も継続的にあることを信じているものの、あまりにも間違った預言が多く、またその混乱や問題があることから、「預言するための神学」ではなく、「現在的な預言を見分けるための神学をめざして」というタイトルで、20年前に小論を書き始めました。約10年間、少しずつ書き続けましたが、その後の10年休んでいました。しかし、また最近、現在的な預言運動とその問題に触れるようになりましたので、以前書いてきたものをまとめ、これに結びをつけて完成することができました。

この小論が、必要とされる兄姉に届いて、用いられることを願っております。感謝いたします。以下に、内容の概略を載せたいと思います。「出版案内」にあるものと同じです。

まえがき
1章:「見分けることについて」の神学をめざして:概観(4頁)
2章:「見分けることについて」の神学をめざして:見分けることの難しさ(7頁)
  *「見分けるため」の基準の実際的問題について: 
3章:「見分けることについての神学」をめざして:その他の基準(9頁)
  *「見分けるため」のその他の基準: 
4章:「見分けることについての神学」をめざして:詳説(聖書の不思議なバランス)(10頁)
  *聖書の驚くべきバランス感覚を発見する! 
5章:「見分けることについての神学」をめざして:吟味の実際(システム)を考える(1:聖書の時代から)(14頁)
6章:「見分けることについての神学」をめざして:吟味の実際(システム)を考える(2:初代教会から) (17頁)
7章:「見分けることについての神学」をめざして:吟味の実際(システム)を考える(3:現代の教会の中で):「現代の聖霊運動(預言運動)について(その1):20世紀初期」(20頁)
8章:「見分けることについての神学」をめざして:吟味の実際(システム)を考える(4:現代の教会の中で:カリスマ運動)「現代の聖霊運動(預言運動)について(その2):20世紀中期以降」(24頁)
9章:「見分けることについての神学」をめざして:吟味の実際(システム)を考える(5:現代の教会の中で:カリスマ運動):「現代の聖霊運動(預言運動)について(その3):20世紀後半」(27頁)
10章:「見分けることについての神学」をめざして:Jonathan Edwardsの「真の霊性のしるし」について考える(36頁) 結びに代えて(最近の一つの預言運動について考える)(42頁)

 付録1:釈義的アプローチ:「超自然的賜物(例えば預言の賜物)」は終わったのか?(44頁)
 付録2:アレックス・ブキャナン著、『預言』 マルコーシュ・パブリケーション、1996年(Alex Buchanan: Prophecy, Sovereign World, 1991)(48頁)
 付録3:George M. Marsden, Jonathan Edwards: a Life, Yale University, 2003 (49頁)
 付録4:ジョナサン・エドワーズ著、訳:渡部謙一(葡萄の実・翻訳ミニストリー)『宗教感情論』(Jonathan Edwards: The Religious Affections, The Banner of Truth Trust, 1746)(58頁)
 付録5:ビル・ハモン著、クリスチャン・インターナショナル・アジア翻訳委員会訳『預言者と個人的預言』クリスチャン・インターナショナル・アジア、1996年(Bill Hamon: Prophets and Personal Prophecy: God’s Prophetic Voice Today, Destiny Image, 1987)(74頁)
 付録6:秋元パウロ著『預言―その実際と運用―』雲の間にある虹出版、1999年(78頁)
2021-05-14 20:00:56[投稿番号:205]

W&S会報16号ができました!
11年ぶりに、発刊できます!
 5月の連休を使って最後の準備をすることができました。ついに、会報16号が11年ぶりに発刊できました。感謝いたします!これまでは、紙ベースのものでしたが、これからは、メールなどを使ってデータを送らせていただきます(ですから費用も掛かりませんので、無料です)。

全体で約50頁になります。必要な方はメールでご連絡ください。そのまま、送らせていただきます。ぜひ、自己紹介などお願いいたします。

それでは、会報16号の内容を簡単に紹介いたします。
今回の「会報16号」に関して、以下に簡単な説明を入れましたのでご参照ください。感謝いたします。渡辺睦夫

 1)(**)ゴードン・フィー(Gordon D. Fee)の神学について学びつづけています。…今回も、大著『God’s Empowering Presence: The Holy Spirit in the Letters of Paul』のつづきです。あともう少しですが、今回は、最後の「統合の部:13章」の抄訳(要約)になります。

 2)(*、**)黙示録における三位一体について(『ジャンル別新聖書解釈入門』から):御父・御子・御霊について黙示録から三位一体の神様について分かること…以前書いたもので、拙著『ジャンルを大切にして…』にも含まれています(多少の違いはあります)。新約の最後の書である黙示録を読んで、三位一体に関して何が分かるか、まとめたものです。

 3)(**)「見分けることについての神学」をめざして:結び
これまでの16回の会報の中で、11回に渡って「現在的な預言運動」とそれをどのように見分けていくか、いろいろ学んで来ました。今回は、その結びとして、これまでの学びを踏まえて、一つの現在的な預言運動について考えています。


4)甘辛文献紹介(その15)
  ?(**、***)Karel Blei著『Oepke Noordmans: Theologian of the Holy Spirit』
本書の紹介文は長いです。これでもかなりまとめたのですが、これ以上まとめすぎると、内容が伝わらないと考え、そのまま残すことにしました。これまで紹介させていただいたことがある「ファン・ルーラー」に大きな影響を与えたと思われる神学者とその神学について書かれた本です。私としては待ちに待った本でした。

 ?(*、**)ケン・シゲマツ著『賢者の生活リズム』(いのちのことば社、2015年)
本書は、実践的な聖性(霊的成長)を教えるものとして、今一番おすすめしたいものです。読みやすいと思いますので、個人的にも、また教会の学び方などにも使われているとよいと思います。

 ?(*、**)秋元パウロ著『預言―その実際と運用―』(雲の間にある虹出版、1999年)
現在の聖霊運動、預言運動について考えるようになって、以前紹介された本書を読み直しました。特に、現在的な預言について分かりやすく、また実際的に書かれていますので、参考になると思います。

会報16号は、1か月位しましたら、ワーダン・スピリットの会の「会員資料室」に入れる予定です。こちらからも、お読みいただけます。
2021-05-11 19:56:35[投稿番号:204]

連休にお薦めした本の一冊
『賢者の生活リズム』ケン・シゲマツ著
 前回のブログで書きましたのように、今、会報16号の準備をしていますが、甘辛文献紹介の一書として、『忙しい人を支える賢者の生活リズム』を読んでいます。もう一度、読みながら、「これはいい!ここがいい!」と唸っています。そんなことで、連休が終わる前に、早めにブログでお薦めをすることにしました。

稲沢教会で、本書を使って読書会をしていましたが、コロナ問題で途中で止めなければならなくなり、そのままにしていました。しかし、できるだけ、早く再開したいと思っています。

本書の内容は非常に幅広く、簡単に内容の紹介はできませんが、実践的な『霊性』について学びたいと思っておられる方がいましたら、読むことをお勧めします。北米の文脈の中で書かれたものですが、今の日本の私たちにも十分に適用できる、大変教えられることの多い、完成度の高い著作と言えます。

著者は、トレリス(ツル植物に使う格子垣)を用いて、「霊的成長」に不可欠な「生活のルール(ふさわしく生きるために支え導くもの)」を、分かりやすく、順序立てて、根本的な部分から実践に至るまで教えています。安息日、祈り、聖書、信仰の友、性、家族・家庭、食べること・寝ること・運動すること、遊び、金銭の使い方、仕事、永遠に残るあり方・生き方、証伝道など・・・とにかく、私たちの生活のほとんど全部が扱われていると言ってもいいでしょう。著者は、リアルで、全人格的な霊的成長を求めていくあり方とその道を、現代の私たちに明らかにしています。本当に、教えられることの多い著書です。お薦めいたします。

一昨年の夏に、トロントにある日系諸教会から特別集会のご奉仕に招かれ、13?4年ぶりにカナダとアメリカに行ってきました。久しぶりのカナダ・バンクーバーでもあり、少しだけケン・シゲマツ先生とも知り合いになっていましたので、先生が牧会しておられますテンス教会の礼拝に出席しました。先生はお留守でしたが、奥様の早基子さんとお会いすることができ、嬉しいお交わりのひと時が与えられました。また、『霊性』を実践しておられる教会を目の当りにすることができ、感謝でした! ハレルヤ!
2021-04-30 10:13:08[投稿番号:203]

会報16号の準備中!
11年ぶりに『会報』を発行します
 先週の月曜日にTEF(東海福音フェローシップ)の総会があり、出席しました。
コロナ禍で心配しましたが、約50名ほどの牧師さんたちが集まって来られました(TEFは、東海地区で奉仕している福音派(福音主義)の牧師さんたちの交わりですが、この交わりが中心となって、2023年に東海地区(岐阜市)で開催予定の日本伝道会議の準備をしています)。久しぶりにお会いした牧師さんたちや、初めてお会いする牧師さんたちとの対面での交わりの素晴らしさを味わいました。

良い機会でしたので、許可をいただき、「ワーダン・スピリットの会」の宣伝をしたり、『ジャンルを大切にして・・・』や『使徒の働き解釈学』の販売をしたりしました。本当に、小さな働きですが、ワーダン・スピリットの会の働きを続けております。

今、11年ぶりに会報16号の準備をしています。たぶん、5月の中ごろには、発刊できるのではないかと思っています。内容は次の通りですが、一部、変更するかもしれません。

1)ゴードン・フィーのGod’s Empowering Presence: The Holy Spirit in the Letters of Paul (統合の部のつづき):
2)「フィリオクエ問題を基にして」(その8):つづき
3)Karel Blei著『Oepke Noordmans: Theologian of the Holy Spirit』
4)ケン・シゲマツ著『賢者の生活リズム』
5)秋元パウロ著『預言ーその実際と運用ー』

皆さん、また連絡いたします。11年ぶりの会報ですが、よろしくお願いいたします。感謝いたします。ハレルヤ!
2021-04-26 08:16:19[投稿番号:202]

先週から神学校が始まりました!
・・・これも牧会ですね。
 先週から、キリスト聖書学園(CBS)と東海聖書神学塾(TBTS)の授業がはじまりました。CBSはヘブル語1で、TBTSはヘブル語1と聖霊論です。今回少し変わったのは、CBSのヘブル語をいつもでしたら、火曜日の午前9時から12時20分まで、3時間20分の長?いクラスをもっていましたが、今回から火曜日と木曜日の二回に分けたことです(2時間と1時間20分)。文法ばかりを一度に、3時間20分かけてやるのは、神学生にとってあまりにも大変だからです(教える私も大変です!)。教会から特別許可をいただいて、木曜日の夕方に、神学校のために時間をとることができるようになりました。

それでも毎回そうですが、火曜日の午前はCBSで、午後はTBTSで、火曜日の最後のクラスである「聖霊論」のクラスになると、本当に「ヘロヘロ」になってしまいます。それでも、不思議ですが、ご聖霊について皆さんにお話しをしていると心身ともに新しくされ、燃えるものを感じます。ハレルヤ!

CBSのクラスは、今回初めてかもしれませんが、聴講の方を入れて神学生は12人です。こんなに多いのは初めてかも。しかも、オンラインなので、四苦八苦しながら、できるかぎり、手をとるようなイメージで、ヘブル語文法の説明をしています。昨年は、Zoomに慣れませんでしたが、そんなこと、言ってはおれませんでした。今は、随分慣れました。

さて、CBSでもTBTSでも、今学期は、神学生の皆さんにヘブル語を教えていますが、ただ文法を教えるだけでは足らないと思っています。はっきり言うと、文法を教えながら、牧会しているという感じです。例えば、CBSでは、これから一年間、ヘブル語1、2(購読)、3(釈義)を教え、来年また(このままいけば)、ギリシャ語を一年間、ギリシャ語1、2、3を教えることになります。ですからオンラインですが、2年間の付き合いになります。交わりが与えられ、牧会をさせていただく感じになります。そして最後に、神様にある献身者として、神学生たちを、この日本に、世界に送り出すのです。

教会の牧会とともに、神学校におけるこのような牧会の場が与えられていることは大きな恵みであり、特権であると思います。いつまでやれるか分かりませんが、これからもしばらく、牧会をつづけていきたいと思います。ハレルヤ!
2021-04-16 17:54:27[投稿番号:201]

イースターおめでとうございます!
お休みをいただいたので…
 約40年日本で宣教師として奉仕してくださった先生が、いよいよ本帰国されることになり(私たちの教会のためにも、16年間ご奉仕してくだっさった)、4日の礼拝奉仕などをお願いすることができたので、先週(受難週であったが)お休みをいただくことができた。
「休み」と言っても、コロナ禍でどこかに出かけることもできないので、これまでやり残してきたことを集中的にやることにした。第一は、パウロ秋元著『預言』の甘辛書評の準備と、これまでずっと書いてきた「(個人預言、聖霊運動などを)見分ける神学」という小論をまとめることであった。かなりできたが、たぶん、もう一か月位かかるだろう。第二は、G.Feeの『God’sEmpowering Presence』の訳(抄訳、要約)を進めること。これももう少しかかるだろう。あと、40頁位。
第三は、新しくCBS神学校の教師になられたRichard Brash先生から、最近ご自身が出版された『Knowing me, Knowing God』の推薦文を書くように頼まれたので、これを読んで、推薦文の準備をした。今、奥様(日本人)が翻訳の準備をしておられるので、翻訳が終われば、たぶん日本語でも出版されることになるだろう。・・・そんなことで、先週の一週間のお休みもあっという間に終わりました。非常に良い本なので、ぜひ出版された読まれることをお薦めします。(下に、プラッシュ先生に送りました推薦文をそのまま載せたいと思います。お読みください)
昨日から、神学校のクラスが始まりました。いろいろな意味で、チャレンジですが、新しい力をいただいて進めていきたいと思います。神学校のクラスでの働きも、「牧会」だなあ、と思っています。(クラスのことについては、次回のブログで書きたいと思います)
推薦文: ?心から本書を推薦する。血の通った組織神学入門である。「組織神学」と聞くだけで何か近寄りがたさを感じてしまう多くの書の中で本書は違う。内容として、神ご自身と聖書に内在する「聖さ」(イザヤ6:5)に対する恐れはあるが、様々な面で読者中心の入門書である。組織神学「入門」に惹かれ、読んで失望する類ではない。もちろん、組織神学の世界に入るためのある種の通過儀礼(多くの専門用語と緻密なロジックに慣れること)は必要であるが、著者はBig Wordsの説明を忘れず、また議論だけで先走らないように様々な工夫をしている。構造は驚くほど明快。相反しているように見える二つの聖書的神学概念が対置され(これが一対で合せて三対ある)、読者は全体を見ながら個々の議論を読むことができる。聖書的には、みことばの解釈と引用は適切で慎重。引用は多彩で、見逃せない神学的知恵が含まれる。日本文化に関わる引用もあって、著者が日本の読者の近くにいることが分かる。
 ?本書は、聖書的に「神学する」ことを教え、励ますだけでなく、「何について、どのように神学するのか」という方向づけやあり方も明らかにしている。著者が近くにいることを感じさせる組織神学の稀な入門書である。教会では、各章の最後に準備されている神学的質問を用いて、話し合い、分かち合うことができる。すでに神学しながら歩んでいる私たちを、より良く神学する教会へと導くだろう。また、毎日個人的に、帰納法的に聖書を読んでいるのなら、聖書全体から聖書を読むために本書を読まれることもすすめたい。一本一本の木を見るだけでなく、森全体を見ることも必要だから。ここに、心から本書を推薦する。
2021-04-07 16:04:34[投稿番号:200]