『舟の右側』来年1月号の準備
「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動』を求めて
 きょうは葬儀がありまして、果たして原稿が間に合うか心配でしたが、今、一応『舟の右側』の編集長に送ることができました。ホットしているところです。

問題は、変なタイトルなので、受け入れていただけるか、ちょっと心配しています(上記の通り)。これから、もし許されれば、聖書神学的な聖霊論から、組織神学的な聖霊論(統合でもあります)、そして最後に、実践的に「聖霊運動など」について触れていくことができればと考えています。

どれくらい時間がかかるか検討もつきませんが、とにかく、福音派に必要な聖霊論を聖書から求めていきたいと考えております。今回の原稿の書き出しはこんな感じです。

「タイトルについて
 「いいかげん」には三つの意味があるようです。肯定的に「よい程あい」、否定的に「徹底せず無責任」、副詞的に「相当。かなり」(広辞苑参照)です。この連載のタイトルには、少なくとも、三つの意味があります。第一に、『舟の右側』には、他にもたくさんの論文やエッセイがありますので目立つものを考えました(?)。第二に、これまで、様々な聖霊神学や聖霊運動と出会い、学んで来ましたが、これからも、「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動」について考え、求めていきたいのです。微妙ですが、足らなくもない、行き過ぎでもない、「ちょうどいいかげん」がゴールです。第三に、「ちょうどいいかげん」は、その難しさを表しています。コーヒーと紅茶と煎茶を描出する時のちょうどいい温度は違いますし、それぞれの温度についても専門家たちの間で微妙に異なっています。聖霊のことに関しても、「ちょうどいいかげん」を見つけることは本当に難しいと思います。すべてにおいて聖書が規準ですが、聖書がほとんど何も言っていないように見えることもあります(例えば、聖霊に満たされる方法とか?)。さらに、聖書にこだわり、徹底的に聖書的でありたいと願っていますが、聖書解釈する私自身に問題があります。規準になれないのにいろいろと判断しなければなりません。」

これ以上は書くことは止めますが、関心をもっておられる方はどうぞ、『舟の右側』をお読みください。少しでも、聖書的な聖霊論を求めていきたいと思っています。お祈りください。

きょうは、葬儀などで本当に疲れていますので、これくらいで終わりたいと思います。お読みくださり、感謝いたします。ハレルヤ!
2021-12-10 20:06:30[投稿番号:238]

今年はじめてのクリスマス会
50年前にクリスチャン学生寮に入りました
 約50年前になりますが、岐阜の田舎から東京に出て、クリスチャン大学生、約20人で共同生活している「クリスチャン学生寮(タイラヌスホール)」に入寮しました。初めは修道院のような所かと思いましたが、全く違っていました。寮の中でも、当時はやっていた学生運動まがいのことが時々起こりました。

オンラインでしたが、久しぶりに皆に会えると思い、クリスマス会に参加しました。一緒に生活した懐かしい方々や寮母さんの顔もありました。クリスマスメッセージと参加者約20名の近況報告がありました。インドから参加された方もおりました。牧師になっている人たちも結構いましたが、職種は様々でした。

私も、挨拶の中でお話ししましたが、この寮で教えられたことを、その後も、今も続けていることを知って大変驚きました。例えば、この寮生活の中で、ディボーションをすることを学びました。また、個人聖研の仕方について、寮に来られたゲスト・スピーカーから学びました。その方法を、今も続けています。さらに、年に一度、寮生たちは自由なテーマでエッセイのようなものを書かされましたが、その時、私が書いたのは、『ヤジロベー式聖書解釈法』でした。何と今も、ディボーション、個人聖研をつづけ、聖書解釈も、ライフワークのようにして、神学校や教会の皆さんにおしえているのです。

楽しいことも沢山ありましたが、悩みや失敗もイロイロありました。その中で、一番悩み、その中で発見したことの一つは、ご聖霊によって歩むことの重大さと、今聖霊が内住していて下さるということでした。このことも、ずっと今も変わらず、私のライフワークの一つのようになっています。

本当に不思議ですが、今も、教会や神学校でやっていることの大部分は、50年前に入寮したクリスチャン学寮で教えていただき、訓練してもらい、その時始めたものばかりです。あらためてこの4年間の恵みに気づきました。若い時代の霊的訓練は本当に貴重ですね。このために、多くの祈りがあり、交わりがあり、多くの方々の献身と愛の業があったことを感じています。一人で、自分の力で、ここまでやって来たのではなかったのです。 ハレルヤ!
2021-12-03 20:23:21[投稿番号:237]

ジャンルを大切にして聖書を読む
多様なジャンル!
 11月23日に教団の学び会(第二回)をすることができました。25人ほどの兄姉が参加してくださり、午前2時間(新約の手紙の読み方)、午後2時間(旧約のナラティブの読み方)、オンラインでお話することができました。時間が限られていること、また参加された皆さんの状況や関心、必要の違いなどもありますので、いろいろなことを考えながら、少しでも分かりやすいものにしたいと時間をかけて準備しました。

前にも書きましたように、今、週三回、テキスト『ジャンルを大切にして聖書を読む』を使って読書会をしています。一回1時間で、ジャンルにもよりますが、章ごとに、だいたい4回から6回かけて進んでいます。ほとんど「詩篇」が終わり、今度は、「律法の読み方」に移ることになっています。

そんなことで、聖書のジャンルの多様性、つまり、神様が聖書を通して、多様に、豊かに、語っていてくださることにあらためて驚いています。また、ジャンルが多様なので、神様のみ心の現れも多様です。ですから、聖書を読み、解釈する私たちも、その多様さに相応しく読んでいくことになります。

神様のみ心の現れ方も違います。神様のみ心の内容についても、当然、其々のジャンルに相応しいものが出て来ます。もちろん、どのジャンルにも共通の普遍的な教えもありますが、其々のジャンルでしか出て来ないような特徴的な内容(普遍的な教え)もあります。

例えば、ナラティブでしたら、神様の歴史的な取扱いとか、歴史的に導かれる神様とか。詩篇でしたら、詩篇の記者の内奥の祈りにしか見られないような神様についての表現、告白とか。手紙でしたら、より神学的に表現された神様の救いの御業や教えとか。

次回から、いよいよ、「律法の読み方」について学ぶことになります。ある意味で、一番ほど遠くて難しいジャンルのように見えますが、これは旧約のほとんどすべてのジャンルを貫く重大な(小)ジャンルです。チャレンジですが、もう一度、学び直していきたいと思っています。

今やっていることです。つづけて、フィーの本の要約をしています。要約の最後の確認です。また、来年1月から『舟の右側」で新しい連載が始まります。テーマは、「聖霊論」に関するものです。
よろしくお願いいたします。感謝いたします。ハレルヤ!
2021-11-26 18:28:55[投稿番号:236]

東海聖書神学塾の聖霊論のクラスから
ロイドジョンズの聖霊論(聖霊のバプテスマ論)
 神学塾での「聖霊論」の担当をさせていただいて、20年以上になると思います。教職課程の神学生がいない時もありましたが、たいてい、隔年で「聖霊論」をもたせていただいております。

今年は、初めてロイドジョンズ著『栄えに満ちた喜び』から、著者の聖霊論、聖霊のバプテスマ論について、クラスで共に考え、学んでおります。私も、以前、英語版ではいろいろ読んでいましたが、ちゃんと「甘辛文献紹介(書評)」の形ではまとめたことがありませんでしたので、この夏少しずつ、時間をとり、教えられることと、賛成できないことに分けて、やっと書き上げることができました。

ロイドジョンズの考えは、今の福音派からも聖霊派からも、全面的には支持を受けられないものになっています。以前のピューリタンやきよめ派の聖霊理解により近いかもしれません。

私にとってチャレンジだったことは、著者が、回心における聖霊も認め、強調し、回心後の聖霊(のバプテスマ)も強調しながら、結局は、後者の聖霊経験を前面に押し出しているところでした。確かに、この点について、ロイドジョンズは、適切に、御霊の主権を重視し、人間的な小細工などを否定するのですが、それでも、回心後の聖霊経験が全てになって、聖書を解釈していこうとしています。

著者は、パウロの手紙などの読者の(ほとんど)全て聖霊のバプテスマを受けている人々であると考えています。私は、回心後の聖霊経験を否定しませんが、回心における聖霊とこれに基づく聖霊生活を重視したいと考えています。

例えば、ルカ11章9節から13節には、よく知られています「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」が含まれていますが、最後は、13節で、寛大な天の父が御霊を与えてくださるという約束で纏められています。ロイドジョンズは、たしか、これを聖霊のバプテスマに適用しています。しかし私は、回心の時に、寛大な御父が、聖霊を私たち全てに与えてくださる恵みに適用しています。

これは、聖書解釈の違いが表れる一例ですが、私は、あくまでも、憐み深い御父がおられるので、この父が、もれなく、全ての回心者(御父の子どもたち)にご自身の御霊を注いでくださると解釈しています。私は、この個所から、大きな慰めと恵みをいただいていますが、ロイドジョンズの解釈に立てば、多くのクリスチャンは、未だに、寛大な御父からの聖霊を受けず、受けないままで亡くなっているということになります。私は、ルカ11章13節を読むだけでも恵まれるのですが、間違っているでしょうか。ハレルヤ!

今もやっていることです。一つは、23日の教団の学び会(第二回)用の資料を作っています。もう一つは、ゴードン・フィーの本の要約を続けています。できましたら、アメリカの出版社に連絡して、日本語で出版できないか交渉したいと思っています。

なお、ロイドジョンズ聖霊論などの続きをお読みになりたい方は、『会員資料室』をご利用ください。感謝いたします。
2021-11-19 20:23:22[投稿番号:234]

「交わり」(コイノニア)について
教会の交わりに臨在される聖霊
 しばらく前のことですが、ご聖霊が個人的に私の心に内住しておられることを意識して歩むようになりました。もちろん、すっかり忘れて行動している時もあります(1コリント6:19以下)。

その後、今度は、1コリント3:16から、同じご聖霊が、教会に、また教会の交わりに内住(臨在)しておられるので、この恵みの真理も意識するようになりました。これも、時々忘れていますが。。。

こうして、神様にある色々なタイプの交わりのただ中に臨在していてくださるご聖霊を意識するようになり、いろいろな交わりの中に私自身が置かれていることの恵みをより深く想い、もっと大切にすることを考えるようになりました。

それから、特に二種類の交わりについて考え始めました。一つは、同盟福音(教団)における70歳前後の教役者との交わりです。考えて見ますと、同じ神学校を卒業し、今、同じ教団で奉仕を続けている牧師が4人います。こうして、10月18日に、ズームを使いながら、楽しい交わりの時をもつことができました。
そうしたら、それぞれの夫人たちが、ズームではなく、直接会って交わりがしたいということで、次は、クリスマス前ですが、一緒に食事会と交わりの時を持つことになりました。

もう一つの交わりは、約45年前に同じ神学校を卒業し、約20年前に一度、京都で同窓会(同期会)をしたのですが、今回は、ズームでやることにしました。ズームの使い方に慣れていない人もいて、調整に時間がかかりましたが、6人でなんとか交わりの時をもつことができました(11月8日)。其々、牧師、伝道者として、北は北海道から、南は九州まで、ほとんど現役で牧師をつづけていました。1時間半の予定でしたが、これまでの20(45)年間の歩みと神様の恵みを分かち合いながら、あっという間に、時間が経ってしまいました。同じ牧会奉仕していると言っても、本当に奉仕状況は多様でびっくりしましたが、神様の召しに応答して45年間、それぞれが、これまで守られて来たことに感謝しました。

これからも、この地上で生かされている限り、このような交わりも大切にしながら、共に歩んでいきたいと願っております。御霊にある交わりの素晴らしさ、偉大さを感じております。ハレルヤ!

今、やっていることは、例のゴードン・フィーの本の最終要約を続けています。ディボーションの原稿は校正もすべて終わっています。あとは、11月23日(祝日)の学び会用の準備をしています。最後に、甘辛文献紹介として、ロイドジョンズ著『栄えに満ちた喜び』を準備しました。3種類あります。19頁、17頁、5頁です。関心のある方は、「会員資料室」に来週早々入ると思いますので、お読みください。感謝いたします。
2021-11-12 20:08:34[投稿番号:233]

『舟の右側』あなたのディボーションのために
最後の原稿をほとんど書き終えました!
 一年前、地引網出版の谷口さんから、2020年1月号で、「ディボーションの励まし」になることを書いてほしいという依頼がありました。お引き受けしたのですが、それがなんと、一年かけての連載に発展し、今度の12月号でついに終わることになりました。

最後の原稿もほぼ終わって、少しホットしているところです。最後の確認を8日にすればいいだろうと思っています(締切はだいたい10日頃)。いろいろな方々に読んでいただき、「私もディボーションをすることにしました!」という声もお聞きし、本当にうれしかったです。私自身も、これまでの自分自身の「ディボーション」をあらためて振り返ることができました。また、たくさんの方々や本からも教えられ、励ましをいただいてきたこともたくさん思い出すことができました。本当に感謝いたします!

これからも、私自身の生活パターンなどが変わることがあっても、そこでまた、生ける神様と交わり、ディボーションとディボーション・プラスを続けていきたいと思っています。

最後の原稿にも書きましたが、ディボーションとディボーション・プラス、そして聖書を自炊する個人聖研は、ある意味で、三位一体のような関係にあります。この三つを大切にしながら、これらの間で共にいて働き、導いていて下さる「内住のご聖霊」にお頼りして歩んでいきたいと願っています。これまでのお祈りを感謝いたします。

今やっていることは、ゴードン・フィーの例の本の最後の要約を続けています。また、11月23日に教団役員会主催の「学び会」の第二回がありますので、その資料を準備しているところです。

「舟の右側」の来年一月号から、新しいテーマが始まります。まだ公にしていませんが、楽しみにしていてください。ハレルヤ!
2021-11-04 20:15:25[投稿番号:232]

礼拝の後に「交わり会」を始めました!
「交わり」とは?
 今週の礼拝から、1時間の短縮礼拝の直後に「交わり会」を始めました。やっと、神様にある横の交わりが与えられるようになり、ホットしていますし、喜んでいます。

内容は、これからいろいろ考えていきたいと思っていますが、何よりも、聖書的な交わりを考え、求めて、実践していきたいです。今回は、ある姉妹がブラジルに帰国されることもあって、交わり会の大部分は、歓送会になりましが、それでも、主にあるふさわしい交わりを求めながら、進めることができました。

特に、取り入れましたのは、ロザリンド・リンカーの祈りの本で以前学んだことがあります、「一文の祈り」を皆さんに、おすすめし、することができました。初めは、大丈夫かなと不安がありましたが、皆さん、うまく、「一文の祈り」に加わってくださいました。

来週の礼拝後の交わりには、誕生会とクリスチャンの「喜怒哀楽」を加えてみたいと考えています。どうなるか分かりませんが、祈りつつ、よりふさわしい交わりを求めていきたいと思います。

交わりの中で、今特に考えていることは、「教会にも内住しておられる聖霊」(1コリント3:16)を意識して、交わりを進めていくことです。個々のクリスチャンにも聖霊が内住しておられるので、これを意識することをおすすめしていますが、さらに、兄弟姉妹との交わりの間にも、ご聖霊が内住しておられるので、このことも意識しながら、交わりを進めていきたいと願っています。

今していることは、ゴードン・フィーの本の要約(15章に入りました)、「あなたのディボーションのために」の原稿準備、そして、11月23日の祝日に持つ予定の教団役員会主催の「学び会第二回」の準備などです。『ジャンルを大切にして聖書を読む』の第二章、三章を、それぞれ2時間かけて学ぶことになっていますので、学び会が少しでも分かりやすくなるように準備しています。

毎日の牧会時間とは別に時間をとってこれらの準備をしていますので、とても忙しいです。おまけに昨晩は、夜中に蚊が二匹現れ、大変でした。きょうは、少し寝不足です。それでも、ハレルヤ!
2021-10-29 17:57:01[投稿番号:231]

ついに、パイプオルガンが来ました!
…音の風に包まれている感じ
 待ちに待ったパイプオルガンが、日曜日の夜9時過ぎに稲沢教会に到着しました! 礼拝直後、教会の兄姉6人と、静岡で待っていた人たちも加えて、清水教会に行ってきました。重さは、たぶん200キロ位あったようですが、献品していただいた世界最小(?)のパイプオルガン(パイプの数は168本)をトヨエース(バン)に積み込み、稲沢まで帰って来ました。

また、稲沢教会で夜遅くまで待っていてくださった10人位の方々と一緒に会堂に運び込むことができました。当初は、二階まで持って行く予定でしたが、重量が重いのと階段から運び上げることは難しいということで、急きょ一階の会堂に置くことにしました。

その後の調律も大変だったようです。長時間かけて運んで来たので、いろいろな歪みが生じて、たぶん、全部のパイプを確認する必要があったようです。全部で、調律のために丸二日半、早朝から夜9時半までかけて、徹底的に調律してくださいました。大感謝!

調律の後、パイプオルガンを目の前にしながら、家内にいくつか弾いてもらいました。パイプオルガンが凄いと分かっていたつもりでしたが、「音の風」を全身で感じながらの音楽は凄まじいものとなりました。今まで、音楽は、耳で聴くものとして、耳で聴いていましたが、この時は、全身で、肌でも、聴いたようでした。

創世記1章2節(神の御霊、神の風)、エゼキエル37章1節以下(神の霊、いのちの息、風)、使徒の働き2章1‐4節(全身的な聖霊経験)のみことばを思い起こしました。 ハレルヤ!

今やっていること:ロイドジョンズ著「栄えに満ちた喜び」の書評(4頁)は出来上がりました。神学校の聖霊論のクラスで使用しましたら、あとで、「会員資料室」に入れますので、お読みください。

『舟の右側』の「あなたのディボーションのために」の最終稿の準備(12月号用)を始めました。G.フィーの本の要約も少し休んでいましたが、最後の確認を再開しました。もうすぐ、15章に入ります。終われば、プリントパックで印刷したいと願っています。また、来週、お会いしましょう!ハレルヤ!
2021-10-21 19:45:45[投稿番号:230]

コロナ感染者数が減って来ましたが…
注意しながらクリスマスに向かっていきます!
 今していることを中心に書かせていただきます。

 コロナ感染者数もかなり減って来たこともあって、教会堂に来られる兄姉の数がいくらか増えて来ているようです。そんなことで、今までは、10時半から11時半までの短縮礼拝でしたが、礼拝後、約30分間、「交わり」の時間を加えることを考え、準備しています。

「交わり」の重要性と素晴らしさを感じていますが、あらためて聖書的な交わりとは何か考えています。ある意味で、「交わり」ほど分かっているようで、クリスチャンに分かっていないものはないと言えるのではないでしょうか。

「交わり」ならずっとやって来たので、分かっていますと言いたいのですが、本当に、クリスチャンの、クリスチャンによる、クリスチャンのための交わりについてよく考え、ふさわしく実行してみたいのです。

以前、ロイジョジョンズの『栄えに満ちた喜び』の書評を準備しました。最初に準備したものはあまりにも長くて、20頁以上になってしまったので、もう少し短いものをと、頑張って縮約版を準備しましたが、結局17頁になってしまいました。
これでは、短時間に何が良くて、何が問題か分かりにくいので、思い切って、5頁の書評を今準備しています。これなら、たぶん、分かりやすいだろうと思います。

今週、『舟の右側』の「あなたのディボーションのために」の原稿を出版社に送りました。これで、11回です。あと1回で終了です。このような機会が与えられ、あらためて、歴史的に、また命題的に、ディボーションについてまとめる事が出来て感謝しています。昔のことを思い出すのに大変なこともありましたが、本当にありがたい経験でした。少しでも、用いられれば、なお感謝です。

では、最後に、前回の続きになりますが、神学校のリトリートでお話しした「パウロの聖霊」の付録です。以下にありますので、関心のある方はお読みください。パウロの聖霊をまとめながら、いくつかの点で、なお調べて学ぶべきポイントがあるのを発見しました。もしできれば、これらについても、学びつづけていきたいと思っております。

その他のパウロの手紙における聖霊について、特に注目したい5つのことがある:

第一(ローマ書):ローマ書の聖霊は、ガラテヤ書の聖霊といくつかの点で類似している(この二つの手紙が書かれた時期が非常に近かったということも理由の一つかもしれない:律法と聖霊、内住の御霊、子とする御霊など)。ローマ書における聖霊は、他の章に「聖霊」の言及が全くないわけではないが、8章に集中している(全体で約40回「プニューマ」があるが、その半分が8章にある)。8章には、ローマ書の教えの結論があると言ってよいが、ここに聖霊の働きに関する重要な教えが記されている。確かに、ローマ書では、御子についての教えと御霊についての教えの区別が意識されていると言える。
 ローマ書の聖霊に関して:特に御霊の内住、子とする御霊、弱い私たちをとりなす御霊、律法を全うする聖霊、終末論的聖霊などについて詳しい説明がある。
 特に、注目したいことは、御子(その働き)と御霊(その働き)の間に緊密な関係があるが(8:3‐4、9)、それだけではなく、御霊と私たちクリスチャンの親密な交わり(例えば、8:14、16、23、26など)とそれゆえに御霊の特有の役割が詳しく明記されていることである(8:13?16、26‐27)。
 *「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます」(8:14?16)。
 *「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」(8:26)。

第二(1コリント書):1コリント書における「プニューマ(霊)」は約40回使用され、大部分は「聖霊」のこと。また「プニューマの形容詞(プニューマティコス)」の使用も多く、注目できる。パウロは、自分の奉仕が御霊の啓示や力によって導かれたことを強調しているほか、何よりも、12章から14章にかけて、御霊は一つであるが、その賜物は多様であることが詳しく説明される。また15章でパウロが、復活後に与る新しいからだについて、「プニューマティコス」(聖霊に属する「からだ」)を多用しているのは注目に値する。
 1コリント書の聖霊に関して:パウロの奉仕における聖霊の働き、回心の聖霊と内住の聖霊(教会と個々人を「神殿・宮」とする)、復活後の聖霊に属する新しいからだ(この場合、名詞ではなく形容詞)、そして一つの御霊と多様な聖霊の賜物とその用い方について。
 特に注目したいことは、一つの御霊と聖霊の賜物の多様性の関係について、一つの御霊にふさわしい、調和のある用い方が強調されていることである。また、直接的な教えではないが、愛をもって賜物を用いることが教えられている13章は、「賜物の継続性」に関する議論で、よく用いられる聖書箇所である(8‐13節)。私は、ここから、「賜物の継続性(non-cessationism)」支持するようになった。
 *「愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(13:8?12)。

第三(2コリント書):2コリント書の聖霊(プニューマ)について、約10回(聖霊の意味)使用されているが、大部分は、前半、特に3章に集中している。ここでパウロは、自分自身の使徒性を疑う人々を意識して、自分が続けて来ている奉仕がどういうものであるか説明している。その中で強調していることは、パウロは、旧い契約ではなく新しい契約に仕える者とされ、御霊によって義とし、いのちを与える務めに与っているということである。
 特に注目したいことは、新しい契約の時代における聖霊による回心、聖化、奉仕の働きが、旧い契約の時代と対比して語られていることである。他に、13章13節の三位一体的な最後の祈りは、この後の三位一体論形成の大切な手がかりとなったみ言葉の一つである(「聖霊との交わり」を考えている。
 *「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます」(3:6?8)。
 *「しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(3:16?18)。
 *「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(13:13)。

第四(エペソ書):エペソ書の聖霊(プニューマ)について、それほど頻度は多くないが(約15回)、注目できる教えが含まれている。それは、個々のクリスチャンを導く御霊の働きは前提であるが、エペソ書全体で、教会に臨在し教会を導く御霊のことが教えられていることである。5章18節の「御霊に満たされなさい」も、文脈的には教会論的な教えであると言える。
 エペソ書の聖霊に関して:聖霊の証印(回心における聖霊)、保証の御霊、教会の交わりにおける御霊の一致、聖霊の悲しみ、聖霊に満たされよという命令など
 特に注目したいことは、5章18節の「御霊に満たされなさい」が命令になっていること。しかも、この命令は、一つの長文(ギリシャ語)の中心動詞になっていることである。
 *「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」(エペソ5:18?21)。

第五(その他の書):ピリピ2:1「御霊の交わり」、3:3「御霊によって礼拝する」、コロサイ1:8「御霊によるあなたがたの愛」、1テサロニケ1:5、6「力と聖霊と強い確信を伴って」福音が語られ、「聖霊による喜びをもって」み言葉が受け入れられたこと、19?21「御霊は消してならない、預言を軽んじない、全てのことを見分ける」、2テサロニケ2:13「御霊の聖めによる回心」、2テモテ1:6?7「神の賜物である聖霊をうけた。力と愛と慎みの霊」、テトス3:4?6「回心の聖霊を受けた」などに注目できる。

以上です。パウロの聖霊についてはもっと学び、まとめていく必要を感じています。また、G.Feeのものと比較しながら、確認していきたいと願っております。大きな感謝とともに。ハレルヤ!
2021-10-15 20:37:43[投稿番号:229]