2021年の最後の日を迎えました! | この一年、ワーダン・スピリットの会を覚えて下さり感謝します | 会のブログは、週に一回、だいたい金曜日の夜に書くようにしています。それが、今年最後の日になりました。ご聖霊のことで、一年を振り返ってみますと、どんなことが言えるでしょうか。
前半のことはあまり覚えていませんが、後半では、第一に、東海聖書神学塾のリトリートで、最後の説教も入れて、ご聖霊について五回の集会の奉仕をさせていただきました。久しぶりの機会で、少しチャレンジでしたが、久しぶりにまとめ直すこともでき、いろいろ再発見することもありました。これからも、さらに学びつづけていきたいと願っています(特に、ローマ書の聖霊、コリント第一、第二の聖霊、エペソ書の聖霊など)。
第二に、これも東海神学塾で担当しておりますクラスの一つですが、聖霊論のクラスを4月から2月までの予定でつづけています。いろいろ大切な質問や応答をいただく事が出来ましたので、クラスの皆さんと一緒に考えながら、ここまで来ることができました。ロイドジョンズの聖霊理解(聖霊のバプテスマ)についても、長い間そのままにしていましたが、やっと真正面から学ぶことができました(書評を準備しましたのお読みください)。
第三に、『舟の右側』の連載(あなたのディボーションのために)が、この12月で終わりましたので、来年の1月から、新しい連載を始めることが許されました。いろいろ悩んで、祈りながら、ここまで来ましたが、ついに、「時」が来たかな、と思っております。前回、前々回のブログをご覧ください。今は、2月号の連載準備をつづけております。奇跡的な賜物が継続しているかどうかに関して、準備しながら感じたことですが、このテーマの重要性、影響力の大きさが、ますます分かって来ました。
第四に、以前、一応、フィーの本の翻訳(要約、抄訳)が終わっていましたが、もっと分かりやすいものにしようと、再びやり直していましたが、いくつかの箇所を残して、ついに終えることができました(いくつかの箇所とは、フィーの神学の分かる人で、ネイティブの人に質問して翻訳をチェックしなければならないと思っている箇所のことです)。
最後に、フィーがパウロの聖霊論のまとめとして書いている所を読みながら、ジーンと来てしまいました。また、今、フィー先生は、アルツハイマーで療養しておられると聞いていますので、神様に祈らずにはおれませんでした。
七項目で纏められていました。第一に、パウロ神学における聖霊理解の重大性。中心はキリストであるが、無くてはならない役割をもっておられる。特に、クリスチャン生活、経験の領域において。第二に、「まだとすでに」というパウロの終末論的枠組みにおける聖霊の臨在と働きの中心性。第三に、個人的にも、教会的にも、救われたあとの継続的歩みにおける聖霊のダイナミックな経験的性質の意義。第四に、神ご自身が、神の民の中に、間に、臨在して下さる方法として聖霊がおられること。ひとり一人において、また教会において、神は御霊として人格的に内在されること。第五に、パウロの三位一体論的理解における聖霊の人格性や、御父と御子との関係。第六に、救いそのもののために御父は御子を送り、その後の信仰生活のために、御父は御霊を送っておられること。第七に、クリスチャン生活全体における聖霊の絶対不可欠性など。
新しい一年も、御父と御子と御霊の交わりの中に入れていただいて、永遠の命の恵みと交わりで生かしていただけますことを感謝いたします。皆さんのこれまでのお祈りとお交わりを感謝いたします。ご聖霊のことは、最後までなしつづけていくべき「ライフワーク」と思っております。神様のお許しのある限り、続けていきたいと願っておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さん、お一人お一人の上に、三位一体の神様の確かな臨在と豊かな導きがございますように。共にこの恵みに応答していきましょう! ハレルヤ! | 2021-12-31 20:42:24[投稿番号:241] |
クリスマスおめでとうございます! | クリスマスイブのプログラム紹介です。 | 今週もいろいろと忙しい毎日が続きました。少し疲れています。たぶん、私よりも忙しく、疲れているのは教会の青年たちでしょう。
現在、クリスマスイブのプログラム準備中で、特に、今週の日曜日から明日まで、仕事をしながら、夜に教会に集まって(時には、早朝まで)プログラム制作に集中しています。一緒に、朝と夜、食事をしています。とにかく、明日24日の夜7時から、ユーチューブで配信する予定です。お時間がとれましたら、ぜひご覧ください。7時から8時頃まで、伝道的なクリスマスになります。
昨年は、メッセージと賛美とサンドアートという感じでしたが、今回は、メッセージを中心にしながら、これに賛美、切り絵?を加え、さらに「映画仕立て」になっています。伝道のために用いていただけましたら、感謝です。
あとは、最後まで準備が守られ、無事に配信できることを願っています。お祈り下さい。
今週は、あまり進みませんでしたが、フィーの本の翻訳、教団学び会の準備、『ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動」を求めて、の第二回原稿準備をしています。
今年も、あと1週間となりました。『慰めに満ちておられる神様』を礼拝します。皆様の上に、クリスマスの祝福が豊かにございますように。感謝いたします!ハレルヤ! | 2021-12-23 18:40:49[投稿番号:240] |
「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動」を求めて | 少しずつ、2月号の準備を始めました! | 後で時間がなくなるといけませんので、2月号の準備を少しずつしています。テーマは、セセーショニズムとノン・セセーショニズム(超自然的な賜物はおわったのか、今も継続しているのか)です。
これは、福音主義においても、意見が二つに分かれる重要な課題です。「福音派」の多くは、その間で、右に行ったり、左に行ったりしているのが現状でしょう。この問題を、釈義的に、歴史的に、2月号で扱って、3月号から、聖書神学的に、旧約の聖霊、ヨハネの聖霊、ルカの聖霊、パウロの聖霊という感じで、進めて行きたいと考えています。
今の段階としては、これからのだいたいの流れを考えているだけで、実際に、このテーマをどのように展開していくか、まだ分からないところがいろいろあります。お祈りしながら、また曖昧なところは更に学んで加えていきたいと願っています。
神さまがお許しくださるなら、最後に、「聖霊運動」にまで、たどり着くことができればと思っています。とにかく、聖書にこだわり、福音主義的な「ちょうどいいかげん」を求めていきたいと思います。また、少しでも分かりやすいものを心がけていきたいと願っています。覚えて、お祈りください。
ここまで来るまでに、本当に多くの方々から助けていただき、導いていただいたなあ…と心からそう思っております!
ゴードン・フィーの本の要約は一度、終わったのですが、少しでも読みやすいものにしようと訳し直しています。今は、最後の16章「どこからどこへ行くのか。パウロの聖霊論の関連性」を訳しなおしています。時に、本当に翻訳の壁(難しさ)にぶつかってしまいます。
それから、来年1月10日(祝日)に予定しています「教団役員会主催の学び会:第三回:律法と預言書の学び方」の準備も始めています。ますます、「律法」の重大さを感じています。
あと、CBSの神学校のクラスも来週で、秋学期終了です。また、牧師さんたちとの「伝道者の書」の学び会も20日で、10章が終わる予定です。1か月に1回のペースでやってきましたが、いよいよ、伝道者の書の結論である11章?12章に入ります。コロナ前に始めましたので、随分、時間がかかりましたが、これもやっと先が見えてきました。感謝します!ハレルヤ! | 2021-12-17 19:55:27[投稿番号:239] |
『舟の右側』来年1月号の準備 | 「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動』を求めて | きょうは葬儀がありまして、果たして原稿が間に合うか心配でしたが、今、一応『舟の右側』の編集長に送ることができました。ホットしているところです。
問題は、変なタイトルなので、受け入れていただけるか、ちょっと心配しています(上記の通り)。これから、もし許されれば、聖書神学的な聖霊論から、組織神学的な聖霊論(統合でもあります)、そして最後に、実践的に「聖霊運動など」について触れていくことができればと考えています。
どれくらい時間がかかるか検討もつきませんが、とにかく、福音派に必要な聖霊論を聖書から求めていきたいと考えております。今回の原稿の書き出しはこんな感じです。
「タイトルについて
「いいかげん」には三つの意味があるようです。肯定的に「よい程あい」、否定的に「徹底せず無責任」、副詞的に「相当。かなり」(広辞苑参照)です。この連載のタイトルには、少なくとも、三つの意味があります。第一に、『舟の右側』には、他にもたくさんの論文やエッセイがありますので目立つものを考えました(?)。第二に、これまで、様々な聖霊神学や聖霊運動と出会い、学んで来ましたが、これからも、「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動」について考え、求めていきたいのです。微妙ですが、足らなくもない、行き過ぎでもない、「ちょうどいいかげん」がゴールです。第三に、「ちょうどいいかげん」は、その難しさを表しています。コーヒーと紅茶と煎茶を描出する時のちょうどいい温度は違いますし、それぞれの温度についても専門家たちの間で微妙に異なっています。聖霊のことに関しても、「ちょうどいいかげん」を見つけることは本当に難しいと思います。すべてにおいて聖書が規準ですが、聖書がほとんど何も言っていないように見えることもあります(例えば、聖霊に満たされる方法とか?)。さらに、聖書にこだわり、徹底的に聖書的でありたいと願っていますが、聖書解釈する私自身に問題があります。規準になれないのにいろいろと判断しなければなりません。」
これ以上は書くことは止めますが、関心をもっておられる方はどうぞ、『舟の右側』をお読みください。少しでも、聖書的な聖霊論を求めていきたいと思っています。お祈りください。
きょうは、葬儀などで本当に疲れていますので、これくらいで終わりたいと思います。お読みくださり、感謝いたします。ハレルヤ! | 2021-12-10 20:06:30[投稿番号:238] |
今年はじめてのクリスマス会 | 50年前にクリスチャン学生寮に入りました | 約50年前になりますが、岐阜の田舎から東京に出て、クリスチャン大学生、約20人で共同生活している「クリスチャン学生寮(タイラヌスホール)」に入寮しました。初めは修道院のような所かと思いましたが、全く違っていました。寮の中でも、当時はやっていた学生運動まがいのことが時々起こりました。
オンラインでしたが、久しぶりに皆に会えると思い、クリスマス会に参加しました。一緒に生活した懐かしい方々や寮母さんの顔もありました。クリスマスメッセージと参加者約20名の近況報告がありました。インドから参加された方もおりました。牧師になっている人たちも結構いましたが、職種は様々でした。
私も、挨拶の中でお話ししましたが、この寮で教えられたことを、その後も、今も続けていることを知って大変驚きました。例えば、この寮生活の中で、ディボーションをすることを学びました。また、個人聖研の仕方について、寮に来られたゲスト・スピーカーから学びました。その方法を、今も続けています。さらに、年に一度、寮生たちは自由なテーマでエッセイのようなものを書かされましたが、その時、私が書いたのは、『ヤジロベー式聖書解釈法』でした。何と今も、ディボーション、個人聖研をつづけ、聖書解釈も、ライフワークのようにして、神学校や教会の皆さんにおしえているのです。
楽しいことも沢山ありましたが、悩みや失敗もイロイロありました。その中で、一番悩み、その中で発見したことの一つは、ご聖霊によって歩むことの重大さと、今聖霊が内住していて下さるということでした。このことも、ずっと今も変わらず、私のライフワークの一つのようになっています。
本当に不思議ですが、今も、教会や神学校でやっていることの大部分は、50年前に入寮したクリスチャン学寮で教えていただき、訓練してもらい、その時始めたものばかりです。あらためてこの4年間の恵みに気づきました。若い時代の霊的訓練は本当に貴重ですね。このために、多くの祈りがあり、交わりがあり、多くの方々の献身と愛の業があったことを感じています。一人で、自分の力で、ここまでやって来たのではなかったのです。 ハレルヤ! | 2021-12-03 20:23:21[投稿番号:237] |
ジャンルを大切にして聖書を読む | 多様なジャンル! | 11月23日に教団の学び会(第二回)をすることができました。25人ほどの兄姉が参加してくださり、午前2時間(新約の手紙の読み方)、午後2時間(旧約のナラティブの読み方)、オンラインでお話することができました。時間が限られていること、また参加された皆さんの状況や関心、必要の違いなどもありますので、いろいろなことを考えながら、少しでも分かりやすいものにしたいと時間をかけて準備しました。
前にも書きましたように、今、週三回、テキスト『ジャンルを大切にして聖書を読む』を使って読書会をしています。一回1時間で、ジャンルにもよりますが、章ごとに、だいたい4回から6回かけて進んでいます。ほとんど「詩篇」が終わり、今度は、「律法の読み方」に移ることになっています。
そんなことで、聖書のジャンルの多様性、つまり、神様が聖書を通して、多様に、豊かに、語っていてくださることにあらためて驚いています。また、ジャンルが多様なので、神様のみ心の現れも多様です。ですから、聖書を読み、解釈する私たちも、その多様さに相応しく読んでいくことになります。
神様のみ心の現れ方も違います。神様のみ心の内容についても、当然、其々のジャンルに相応しいものが出て来ます。もちろん、どのジャンルにも共通の普遍的な教えもありますが、其々のジャンルでしか出て来ないような特徴的な内容(普遍的な教え)もあります。
例えば、ナラティブでしたら、神様の歴史的な取扱いとか、歴史的に導かれる神様とか。詩篇でしたら、詩篇の記者の内奥の祈りにしか見られないような神様についての表現、告白とか。手紙でしたら、より神学的に表現された神様の救いの御業や教えとか。
次回から、いよいよ、「律法の読み方」について学ぶことになります。ある意味で、一番ほど遠くて難しいジャンルのように見えますが、これは旧約のほとんどすべてのジャンルを貫く重大な(小)ジャンルです。チャレンジですが、もう一度、学び直していきたいと思っています。
今やっていることです。つづけて、フィーの本の要約をしています。要約の最後の確認です。また、来年1月から『舟の右側」で新しい連載が始まります。テーマは、「聖霊論」に関するものです。
よろしくお願いいたします。感謝いたします。ハレルヤ! | 2021-11-26 18:28:55[投稿番号:236] |
東海聖書神学塾の聖霊論のクラスから | ロイドジョンズの聖霊論(聖霊のバプテスマ論) | 神学塾での「聖霊論」の担当をさせていただいて、20年以上になると思います。教職課程の神学生がいない時もありましたが、たいてい、隔年で「聖霊論」をもたせていただいております。
今年は、初めてロイドジョンズ著『栄えに満ちた喜び』から、著者の聖霊論、聖霊のバプテスマ論について、クラスで共に考え、学んでおります。私も、以前、英語版ではいろいろ読んでいましたが、ちゃんと「甘辛文献紹介(書評)」の形ではまとめたことがありませんでしたので、この夏少しずつ、時間をとり、教えられることと、賛成できないことに分けて、やっと書き上げることができました。
ロイドジョンズの考えは、今の福音派からも聖霊派からも、全面的には支持を受けられないものになっています。以前のピューリタンやきよめ派の聖霊理解により近いかもしれません。
私にとってチャレンジだったことは、著者が、回心における聖霊も認め、強調し、回心後の聖霊(のバプテスマ)も強調しながら、結局は、後者の聖霊経験を前面に押し出しているところでした。確かに、この点について、ロイドジョンズは、適切に、御霊の主権を重視し、人間的な小細工などを否定するのですが、それでも、回心後の聖霊経験が全てになって、聖書を解釈していこうとしています。
著者は、パウロの手紙などの読者の(ほとんど)全て聖霊のバプテスマを受けている人々であると考えています。私は、回心後の聖霊経験を否定しませんが、回心における聖霊とこれに基づく聖霊生活を重視したいと考えています。
例えば、ルカ11章9節から13節には、よく知られています「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」が含まれていますが、最後は、13節で、寛大な天の父が御霊を与えてくださるという約束で纏められています。ロイドジョンズは、たしか、これを聖霊のバプテスマに適用しています。しかし私は、回心の時に、寛大な御父が、聖霊を私たち全てに与えてくださる恵みに適用しています。
これは、聖書解釈の違いが表れる一例ですが、私は、あくまでも、憐み深い御父がおられるので、この父が、もれなく、全ての回心者(御父の子どもたち)にご自身の御霊を注いでくださると解釈しています。私は、この個所から、大きな慰めと恵みをいただいていますが、ロイドジョンズの解釈に立てば、多くのクリスチャンは、未だに、寛大な御父からの聖霊を受けず、受けないままで亡くなっているということになります。私は、ルカ11章13節を読むだけでも恵まれるのですが、間違っているでしょうか。ハレルヤ!
今もやっていることです。一つは、23日の教団の学び会(第二回)用の資料を作っています。もう一つは、ゴードン・フィーの本の要約を続けています。できましたら、アメリカの出版社に連絡して、日本語で出版できないか交渉したいと思っています。
なお、ロイドジョンズ聖霊論などの続きをお読みになりたい方は、『会員資料室』をご利用ください。感謝いたします。 | 2021-11-19 20:23:22[投稿番号:234] |
「交わり」(コイノニア)について | 教会の交わりに臨在される聖霊 | しばらく前のことですが、ご聖霊が個人的に私の心に内住しておられることを意識して歩むようになりました。もちろん、すっかり忘れて行動している時もあります(1コリント6:19以下)。
その後、今度は、1コリント3:16から、同じご聖霊が、教会に、また教会の交わりに内住(臨在)しておられるので、この恵みの真理も意識するようになりました。これも、時々忘れていますが。。。
こうして、神様にある色々なタイプの交わりのただ中に臨在していてくださるご聖霊を意識するようになり、いろいろな交わりの中に私自身が置かれていることの恵みをより深く想い、もっと大切にすることを考えるようになりました。
それから、特に二種類の交わりについて考え始めました。一つは、同盟福音(教団)における70歳前後の教役者との交わりです。考えて見ますと、同じ神学校を卒業し、今、同じ教団で奉仕を続けている牧師が4人います。こうして、10月18日に、ズームを使いながら、楽しい交わりの時をもつことができました。
そうしたら、それぞれの夫人たちが、ズームではなく、直接会って交わりがしたいということで、次は、クリスマス前ですが、一緒に食事会と交わりの時を持つことになりました。
もう一つの交わりは、約45年前に同じ神学校を卒業し、約20年前に一度、京都で同窓会(同期会)をしたのですが、今回は、ズームでやることにしました。ズームの使い方に慣れていない人もいて、調整に時間がかかりましたが、6人でなんとか交わりの時をもつことができました(11月8日)。其々、牧師、伝道者として、北は北海道から、南は九州まで、ほとんど現役で牧師をつづけていました。1時間半の予定でしたが、これまでの20(45)年間の歩みと神様の恵みを分かち合いながら、あっという間に、時間が経ってしまいました。同じ牧会奉仕していると言っても、本当に奉仕状況は多様でびっくりしましたが、神様の召しに応答して45年間、それぞれが、これまで守られて来たことに感謝しました。
これからも、この地上で生かされている限り、このような交わりも大切にしながら、共に歩んでいきたいと願っております。御霊にある交わりの素晴らしさ、偉大さを感じております。ハレルヤ!
今、やっていることは、例のゴードン・フィーの本の最終要約を続けています。ディボーションの原稿は校正もすべて終わっています。あとは、11月23日(祝日)の学び会用の準備をしています。最後に、甘辛文献紹介として、ロイドジョンズ著『栄えに満ちた喜び』を準備しました。3種類あります。19頁、17頁、5頁です。関心のある方は、「会員資料室」に来週早々入ると思いますので、お読みください。感謝いたします。 | 2021-11-12 20:08:34[投稿番号:233] |
『舟の右側』あなたのディボーションのために | 最後の原稿をほとんど書き終えました! | 一年前、地引網出版の谷口さんから、2020年1月号で、「ディボーションの励まし」になることを書いてほしいという依頼がありました。お引き受けしたのですが、それがなんと、一年かけての連載に発展し、今度の12月号でついに終わることになりました。
最後の原稿もほぼ終わって、少しホットしているところです。最後の確認を8日にすればいいだろうと思っています(締切はだいたい10日頃)。いろいろな方々に読んでいただき、「私もディボーションをすることにしました!」という声もお聞きし、本当にうれしかったです。私自身も、これまでの自分自身の「ディボーション」をあらためて振り返ることができました。また、たくさんの方々や本からも教えられ、励ましをいただいてきたこともたくさん思い出すことができました。本当に感謝いたします!
これからも、私自身の生活パターンなどが変わることがあっても、そこでまた、生ける神様と交わり、ディボーションとディボーション・プラスを続けていきたいと思っています。
最後の原稿にも書きましたが、ディボーションとディボーション・プラス、そして聖書を自炊する個人聖研は、ある意味で、三位一体のような関係にあります。この三つを大切にしながら、これらの間で共にいて働き、導いていて下さる「内住のご聖霊」にお頼りして歩んでいきたいと願っています。これまでのお祈りを感謝いたします。
今やっていることは、ゴードン・フィーの例の本の最後の要約を続けています。また、11月23日に教団役員会主催の「学び会」の第二回がありますので、その資料を準備しているところです。
「舟の右側」の来年一月号から、新しいテーマが始まります。まだ公にしていませんが、楽しみにしていてください。ハレルヤ! | 2021-11-04 20:15:25[投稿番号:232] |
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