風邪を引いてしまって… | | 2コリント1章3‐4節 | 最後に風邪を引いたのはいつだったでしょうか。思い出せません。少なくとも、3年以上前のことであることは確かです。
今週は、風邪を引いてしまい、全ての予定を断念し、ひたすら休んでおりました。いつ回復し、土日の奉仕に間に合うだろうかという心配もありました。
しかし全ての予定を諦めた瞬間から、短い言葉で(言葉にならない時も)、思いつくたびに、神様とお話しし、お祈りをすることができるようになりました。本当に久しぶりの感じでした。
こんなに神様とお話しながら、交わりたかったはずでしたのに、普段はできなかったことが、突然できるようになったのです!
もちろん、元気な妻がいてくれたおかげで、私は、衣食住をほとんど考えずに休むことに専念し、近所のクリニックにも行くことができました。
きょうは、ほとんど平熱に戻り、礼拝説教の準備も進めることができました。ブログも書くことができました。それから、10日締切の「舟の右側」の原稿も送ることができます(この後で)。
2コリント1章3節と4節のみことばをおもいだしました。
「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」
私も、御父と御子と御霊の慰めで、少しでもそのような人になれますように。ハレルヤ! | | 2022-06-10 20:08:03[投稿番号:265] |
もう一度、献身について | | 献身と聖霊 | 最近、あらためて「(再)献身」について教えられた。いつの間にか、自分は献身しているから大丈夫と、「献身」をそのままにしていたようだ。
今週、講壇交換があって、創世記12章1-5節から、ある教会で「75歳で献身」というテーマでメッセージをさせていただいた。説教のテーマが「献身」なので、ただ語るだけでなく、説教者である自分自身も本当に献身しているか、あらためて自分の献身を点検してみた。
お祈りをしながら、気づいたことがいろいろ出て来た。何よりも、自分は「献身している」と思っていても、本来の献身とその恵みから、ズレていることがよくあるということだ。本当に、「献身」は、大切なので、繰り返し、繰り返し、点検する必要がある。すぐにズレとしまい、間違いを犯すからだ。自分自身がそうであった!
献身からズレているのに、自分は献身していると思い込んでいることほど、悲しい、残念な、愚かなことはないと言っていい。
また、この機会に、いろいろ「献身」について考えてみた。確かに、献身は目標ではなく、最低ラインだということだ。ここから、初めてクリスチャンとしての歩みが始まる。お祈りするにしても、礼拝するにしても、聖書を読むにしても、他の兄姉と交わるにしても、献身は目標ではなく、それらの土台、出発点であると言える。それでこそ、真に祈れる、礼拝できる、交わることができる道である。なぜなら、まず何よりも、三位一体の神様ご自身が、私達のために愛の献身をしていてくださるからである!
献身は出発点であるとすると、この後、どのように私たちは歩んでいったらよいか。一つは、献身から献身である。最後まで、続けていく事。特に、点検は不可欠になる。
そして、さらに、みことばとみたまによって、また兄姉との交わりの中で、自分の献身が点検され、チェックされ、変えられて行く必要がある。献身なしに、クリスチャン成長はない!
また、献身と「聖霊に満たされて歩むこと」は一つである。献身なしに、聖霊に満たされることはない。献身があって、初めて聖霊に満たされることが始まるだろう。
ただし、自分が献身していると思っていても、じつはそうではない場合もある。つまり、ズレている自分が、真に見えていないということもある。この場合は、やはり、みことばと御霊によって、また、兄姉との交わりの中で、点検されて行く必要がある。
自分自身の献身を点検し、悔い改めて祈った時、重荷は消え、「自分が自分が」という思いは静まり、神様との交わりの「清々しさ」が戻って来たように感じた。
また、同じ失敗をしそうであるが、それでもまた、献身を繰り返し点検しながら、御霊に満たされて、歩んでいきたいと願っている。ハレルヤ! | | 2022-06-03 18:13:40[投稿番号:264] |
つづけて「旧約聖書のご聖霊」について | | …旧約のみことば一つひとつに注目しながら | つづけて、旧約聖書のご聖霊について、最近教えられていることなどに触れてみたいと思います。
前にも、ブログで書きましたように、旧約の聖霊については、一回位にまとめて、すぐに新約に移ろうと考えていました。しかし、一つひとつ調べていきますと、本当に新約や今の私たちの歩みにも関係してくるようなみことばの教えに出会います。そんなことで、もうしばらくじっくりと、旧約の聖霊について学んでいきたいと思っています。
ある程度までですが、「旧約時代の聖霊の内住」の可能性について考えがまとまって来ましたので、今は、旧約のリーダーたちに注がれた聖霊とその役割について考えています。モーセやヨシュアたちもいれば、士師たち、サウル王、ダビデ王などもいます。
リーダーシップの御霊を受ければ、そのリーダーは失敗しないというわけではありません。モーセも、サウルも、ダビデも、いろいろな失敗もしています。しかし、神様は、大切な神の民、契約の民を、荒野やカナンの地で守り、導くために、相応しいリーダーたちを立て、さらに彼らに御霊を注がれたのです。ここにも、神様の愛のケアのみ心を知ることができます。
私が、今注目しているのはヨシュアです。民数記27章18節で、任命される前の彼のことについて、「神の霊が宿っている人…彼の内に神の霊がいる人」と書かれているのですが、その後で、もう一度、申命記の最後、34章9節で、「ヨシュアは知恵の霊に満たされていた。モーセがかつて彼に手を置いたから」とあるからです。これは、民数記27章で彼が任命された時のことを指していると思います。
つまり、任命される前に、すでに聖霊を受けていたと考えられるヨシュアですが、また、任命されたときに、リーダーとしての知恵の御霊を受けたことになります。ここで、面白いと思ったことは、二重に、また必要なら、何重(何回)でも(?)、聖霊を受けることがありうると思ったからです。新約の聖霊について考えている時にも、同じようなことを発見しました。
旧約にも、このようなこと(恵み、現象)が起こったことを知り(私の読み方が間違っていなければ)、嬉しくなりました。神様は、必要があれば、このようなこともして下さるのです。また、ヨシュアの場合、民数記27章以前に受けていた聖霊の役割と27章の最後に、任命される時に受けた聖霊の役割は、少し異なっていたと考えてもよいかもしれません。後者は、先に触れましたように、リーダーとして奉仕をするための御霊で、前者は、もっと広い意味で、「御霊の人」として歩むための聖霊に与っていたかもしれません。
とにかく、旧約のみことばを丁寧に読んでいきますと、あらためて、ご聖霊について考えさせられ、発見させられることも出て来ます。これらのことは、それこそ、ご聖霊ご自身のことなので、ご聖霊がこの学びを助け、導いてくださるように願っています。
私も、牧師として、ある意味でリーダーとされていると言えます。この奉仕をつづけ、全うできるように、御霊によって新たに(再度)助けていただきたいと思います。ハレルヤ! | | 2022-05-27 18:20:26[投稿番号:263] |
オンギジャンイのことを中心に | | 教会の活動も少しずつ… | 今度の日曜日(22日)、夜7時からオンギジャンイ(韓国の賛美チーム)のライブコンサートがあります。ぜひ、皆さん、ユーチューブでお聴きください。https://youtu.be/_3-kdXcUjQM
あらためて、オンギジャンイとの関係について振り返ってみました。出発点は、カナダ時代に牧会をしていた時、教会に韓国人や中国人、台湾人など兄姉たちも来ておられ、よい交わりがあったことです。そのことから、少しずつ、アジアの諸教会について関心をもつようになり、帰国後も、その思いは変わりませんでした。そんな時、岩倉教会時代ですが、韓国の賛美チーム「オンギジャンイ」のことを聞き、私たちの教会にもお招きしました。とても素晴らしい賛美と証しをしてくださいました。
それから、オンギジャンイの東海地区委員会にも入れていただき、考えてみると、もう20年以上になりました。稲沢教会にも来ていただき、賛美宣教の働きをしていただきました。
コロナの感染問題は、少しずつ落ち着いて来たのでしょうか(?)、今後のオンギジャンイの活動について考えるようになりました。まずは、ユーチューブを使ってのライブコンサートですが、日本全国に向けてできるようになりました。いつ、対面の形でやれるようになるか分かりませんが、オンギジャンイをご存じでなければ、ぜひ、この日曜日(22日)のコンサートをお聴きください。
今も、車の運転中は、たいてい、オンギジャンイの賛美を聴いています。
「ゼロコロナ」ではありませんが、「ウィズコロナ」で教会の活動について少しずつ考えるようになり、一歩を踏み出すことになりました。役員全員で考えました。もちろん気をつけながらですが、交わり、小グループ、賛美チーム、伝道チームを始めつつあります。2年半前まで、教会に来て下さっていた方々にも声をかけてみたいと思います。
まだまだ、周りで陽性者が出ていますので、本当に注意が必要ですね。これからも、祈り、考え、少しずつ行動していきたいと思います。
6月5日はペンテコステですね。今回は、御子と御霊の関係から教えられたいと願っています。私たちの信仰生活には、御子と御霊の両方が共にいてくださり、それぞれが、無くてはならない導きと助けを与えていて下さることを感謝いたします。ハレルヤ! | | 2022-05-20 18:04:25[投稿番号:262] |
きょうは孫の誕生日!ハレルヤ! | | 旧約時代の信仰者と聖霊の内住?私の願い? | きょうは、孫の誕生日!…いつも、ニコニコしている子なので、本当に「慰めの子(バルナバ?)」です。確かに、自分の子を見る目と、孫を見る目とは違いますね。時々、来てくれるので、それだけで感謝、嬉しいです!
最近は、ずっと旧約時代のご聖霊のことばかり、やっています。今でも、いろいろ発見し教えられることがあります。今回は、締切日に、原稿(旧約の聖霊:パート3)を送ることができ、ホットしています。
そして、いろいろ調べている時に、旧約時代の聖霊の働きの一つとして、旧約時代の信者に「聖霊の内住」はあったかどうか、色々議論されていることが分かりました。今、その論文などを読んでいます。これまでに4本読みましたので、あと1?2本読んでから、自分なりの見解をまとめたいと思います。これも、次回の「ちょうどいいかげんな聖霊神学」の原稿内容になると思います。また、この問題は、旧約時代の救済論(救いとは何か)とも絡んできます。ぜひ、皆さん、『舟の右側』を読んでください。
旧約時代のご聖霊の働きを考えますと、いろいろ分からないことが出て来ますね。その一つ一つと向き合い、整理していきたいと思います。
それから、今、少しずつ祈り初めていることがあります。来年度から、「私塾:ワーダン・スピリット」を開講すべきかどうか、考えています。すべてズームですが、時々、「オフ会」のようなものをします。受講料はもちろん、無料です。これまで、神学校で担当させていただいたものを中心にクラスを開講できればと思っています。「聖霊論、ギリシャ語1,2と新約釈義、ヘブル語1,2と旧約釈義、終末論、牧会学、小預言書、霊性」などです。他に、教会論、説教学、解釈学、聖書の各書研究も可能性としてあります。信徒のためのクラスもありますし、牧師の継続教育というクラスもあります。
まだ、どうなるか分かりませんが、まず神様のみ心、導きを求めています。まだお約束はできませんし、自分の健康、体力的なことなども考える必要があります。
皆さんのほうで、なにか考えておられること、願っておられることがありましたら、教えてください。ワーダン・スピリットの会も、ソロソロまとめていかなければならないと感じています。
神様の御国に入れていただく前に、これまで沢山の方々の愛の献身によって助けられ、導かれて来ましたので、感謝をもってお返しをしたいと思っています。それが、最初に私を召して下さった神様への最後の応答ではないかと考えています。「人間を捕る漁師にしよう」と言われた神様から、私は、「直接の漁師」(伝道者)というよりも、たぶん、賜物として、直接の漁師さんを励まし、お支えする働きに召されているかもしれないなあと思っております。
何年続けられるか全く分かりません。1年間か、5年間か分かりませんが、最後に、少しでもそのような働きができましたら、大感謝です。み名を賛美いたします。ハレルヤ! | | 2022-05-14 07:24:26[投稿番号:261] |
私の花壇にも春が来ました! | | …つづけて、旧約時代の聖霊の臨在と働き | 私は花壇を三つ持っています。室内(メダカの上)、ベランダ、玄関の両サイドにある小さな空地です。ベランダのものは、冬が近くなりますと室内に移動します。
さて、今、室内には、ゴムの木、ガジュマル、ジャカランタ、そしてパイン(の木)が三本あります。見ているだけで、少し(亜)熱帯(沖縄?)気分になれます。だからいいんです。
玄関の両サイドの空き地には、台湾レンギョウ、ハイビスカス、ブーゲンビリアがあります。今年初めて、冬の寒さ除けのカバーなしで、冬が越せるかどうか、試してみました。
なんと、台湾レンギョウはもちろん、ハイビスカスの2本(黄色とピンク?)からも芽が出てきて、最近、あきらめかけていましたブーゲンビリア2本からも、なんと芽が出てきているのを発見しました(あと2本ありますので、これも要観察です)。
本当に嬉しかったです。大喜びです。この夏は、ブーゲンビリアも、ハイビスカスも、台湾レンギョウも、沢山の花を咲かせてくれるでしょう!
今も、旧約時代のご聖霊の臨在と働きについて、聖書を読み直し、学び、調べ、まとめています。以前、ブログで書きましたように、
はじめは、簡単に一回でまとめて、その原稿を『舟の右側』に送るつもりでした。しかし、いろいろ調べたり、旧約聖書を読み直していくうちに、旧約時代の聖霊のお働きも簡単に扱えないことが分かって来ました。
現在、旧約時代に、個々の信者のために聖霊の再生や内住があったかどうかについて、いくつかの論文を読みながら、考えているところです。いろいろな立場の専門家の見解がある中で、「ちょうどいいかげん」なところを、求めていきたいとねがっております。
いろいろ学び、調べていくうちに、ご聖霊の臨在と働きが、旧約時代にも豊かにあったことを、ますます感じるようになりました。もちろん、今もそうです!感謝いたします。ハレルヤ! | | 2022-05-05 19:59:26[投稿番号:260] |
いろいろなことが終わっていきます! | | 手離すことは、また神様の御手に委ねること | きょう、昨年9月から祝日を使って続けて来ました教団役員会主催の学び会「ジャンルを大切にして聖書を読む」が終了しました。9月、11月、1月、2月、3月、4月と、祝日全体を使って(午前2時間、午後2時間)、ズームで、ジャンルを大切にしながら聖書の「自炊」をどのようにしたらいいか、各ジャンルの説明も含めて、実践的にお話しをして来ました。
喜びもありました。また責任もありましたが、全て終えることができ、ホットしています。また、神様と参加して下さった皆さんに感謝しました。一緒に学びながら、私自身も教えられ、また足らないところも発見しました。
特に、きょう、一緒に学んだ、「黙示文学・黙示録」は大変でした。4時間で、必要だと思うところを、できるだけ分かりやすく、進める必要がありました。参加者の皆さんも、頑張ってついて来て下さったと思います。感謝します!
また、約1年間、毎週1回のペースで、同じテキストを使って、三種類の読書会を続けて来ましたが、これも、先週と今週、すべて終了しました。止めることは辛く、寂しく思いましたが、すべてを神様にお委ねしました。感謝します。肩の荷もすっと楽になりました。
また、18日には、コロナ前から、約2年半つづけてきました「ヘブル語で伝道者の書を読む会(HDYK)」も終わることができました。最後に、伝道者の書から(伝道)説教するように、参加して下さった牧師先生たちにおねがいしました。
また、しばらく前、CBSで、これも何年も前から続けて来たヘブル語の一年コース(ヘブル語初級、ヘブル語購読、旧約釈義)を22年の3月で止めることを神学校に連絡しました。今、CBSで担当していますギリシャ語の一年コース(ギリシャ語初級、ギリシャ語購読、新約釈義)や神学塾でやっている旧約釈義、10月からスタートする「霊性・スピリチュアリティ」は今後どうするか、今、考えているところです。
私としては、本当にイロイロ止めたし、終わったつもりですが、まだまだ、手で握り締めているものは、手を離し、神様の御手にお委ねしていきたいと思います。時々、難しい場合があります。もう少し、延ばしてもいいのでは、と思う時もあります。
とにかく、一つ一つ点検しながら、どちらにしても、神様にある道を歩ませていただきたいと願っています。感謝いたします。ハレルヤ! | | 2022-04-29 19:49:42[投稿番号:259] |
神の聖霊を悲しませてはいけません。エペソ4:30 | | 最近、考えていること | 前回のブログでも触れましたように、今、旧約の聖霊について原稿を準備しています。第一回が終わりましたので、今は、二回目でで、パート2です。
注目しているみことばの一つはイザヤ63章10節です。こうあります。「彼らは逆らって、主の聖なる御霊を悲しませたので…。」パウロが、エペソ4章30節で、イザヤ63章10節のみことばを直接引用したかどうか議論のあるところですが、私は、「御霊が悲しまれる」という言葉は、珍しい、また注目できる表現なので、パウロが突然思いついた言葉というより、イザヤ書からの引用ではないかと考えます。
いずれにしても、神様(御霊)は、イスラエルの不信仰のゆえに、彼らから離れてしまう方ではありません。「悲しまれる」と言われていることは、御霊が、イスラエルと共にずっとおられることを意味しているのではないかと考えます。共におられることを止められれば、「悲しまれる」ことはないでしょう。民と共におられるので、民の不信仰、不従順について「ただ中で悲しまれる」と考えます。
イザヤ63章7-14節は、神様が、また御霊が、神の民と共におられることを教えている箇所です。旧約に、こんな箇所があるんだとあらためて思わされています。
エペソ4章30節に戻りますが、文脈では、教会の兄姉の交わりについて教えている中で、「神の聖霊を悲しませてはいけません」が引用されています。それくらい、共にいて下さる聖霊にとって、神にある兄姉の交わりはそれほどに重大なのです。神の御霊は悲しまれるほどのことなのです。
今、あらためて聖書にある聖霊関係のみことばを掘り起こし、読み直し、学び直して、教えられているところです。
最近になって、初めて、1コリント6章19-20節を覚えました。何日もかかりました。大切だと思ったみ言葉は、暗記するように頑張っています。でも、毎日一回位は思い起こさないと、すぐに忘れてしまいます。ただ暗記するだけでなく、一日の歩みのどこかで、思い起こし、味わい、歩ませていただきたいです。
この私のからだを、聖霊の宮としていてくださることは驚きです!
今晩もハレルヤ! | | 2022-04-22 19:45:22[投稿番号:258] |
真の生ける望みについて | | 黙示録などから教えられていること | 先週から今週にかけて、本当に忙しい毎日が続きましたが、やっと、例の「ちょうどいいかげんな聖書神学を求めて」の原稿を書き終え、送り出すことができました。原稿の締め切りをオーバーして送ったのは初めてかもしれません。
それくらい、「旧約時代のご聖霊」について、細かく、難しくなりすぎてしまいました。ただ、あらためて、旧約時代においても、幅広く、豊かに、多様にご聖霊が働いておられることを確認することができ、少し嬉しくなりました。ご聖霊のことは、ただペンテコステ以降だけの恵みではないからです。
神の民が生かされていると、そこにご聖霊が来られ、いつでもどこでも、伴っていてくださるのです。全能の神様は、無限のお方なので、この地上には、御霊か、御子か、御使いが用いられていると言っていいでしょう。
もう一つ、準備をつづけているものがあります。今度の29日の祝日には、午前と午後、4時間かけて、黙示録(黙示文学)の学びをすることになっています。皆さんに、宿題も出して、黙示録の章ごとの要約を書いてもらっています。今、少なくとも、23人の兄姉が準備していてくださいます。何とか、少しでも分かりやすく、黙示録に近づきたいとねがっています。
黙示録の準備をしながら教えられたことは、黙示録のメッセージの中心は、「励まし」であり、キリストにある確かな望みがあるので、「信仰と忍耐をもって歩みなさい」ということに尽きるのではないでしょうか。13章10節にある通りです。迫害下にあって、増々迫害が狂暴化して行く中で、イロイロ細かなことをゴチャゴゴチャ言っているのではありません。「確かな希望があるので、忍耐と信仰をもって歩みつづけなさい」です。
このことを考えていましたら、確かな希望があるので、「信仰と忍耐をもって」ということは、今の私たちの時代にも必要なメッセージであることが分かって来ました。当たり前のことに聞こえるかもしれませんが、オミクロン感染が継続する中で、ウクライナ戦争がどんどん深刻化して行く中で、今の私たちに対する神様からのメッセージも、確かな希望があるので、忍耐と信仰をもって歩みなさい、です。
私たちの希望は、イエス様の十字架と復活によって、本当に確かなものとなりました。これらは、やがて起こる御子の再臨に繋がっています!希望をもって歩ませていただきましょう。受難週からイースターへ!ハレルヤ! | | 2022-04-15 21:33:40[投稿番号:257] |
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