「舟の右側」9月号の原稿から!
イザヤ書の聖霊について
 きょう、『舟の右側』9月号の原稿を送ることができ、ホットしています。毎回、いろいろな発見をします。ただ、これを7000字にまとめることは、いつも大変で苦労します。

今回は、特にイザヤ書において、ご聖霊のことがどのように語られているか、あらためて学び、まとめました。特に、教えられたことは、多くの終末の預言の中に、聖霊の預言があって、これが重要な基軸になっているということです。もちろん、メシア預言は中心的です。しかし、終末において神様がなそうとしておられる刷新や回復のためにご聖霊の臨在と働きが不可欠であることは確かです。

また、中心的なメシア預言に関しても、その中で三回も、「メシア+聖霊預言」という形の預言があったということです。
当然のことですが、聖書が「終末」と言う時、それは、終末的なイスラエルの民と新しいイスラエルである私たちとが関係しているということです。

例えば、メシアは預言の通り、2000年前に来られましたが、それは、イスラエルの民と新しいイスラエル(教会)のために来られたと言えます。「メシア+聖霊預言」も、終末の聖霊預言(例えば、ヨエル書の預言)も、すでに成就しましたが、また、終わりのエスカトンまで、成就しつづけると言ってもよいでしょう。

あらためて、イザヤ書にある終末の預言に含まれている聖霊預言の重要性について教えられました。確かに、神様のみこころのご計画において、聖霊なしに、終末の御業はないと言えます。

イザヤの聖霊預言が、既に成就し、さらに成就していくことを覚えたいと思います。ハレルヤ!
2022-08-12 20:30:43[投稿番号:279]

今、おいのりしていること
最善をなしていてくださる最善の神様に祈る!
 最近、いろいろな方々からお祈りの要請をいただいております。また、私自身の年代に近い方々は、それなりに歳も進み、当然のことですが、心身においていろいろな痛みや弱さに直面しておられます。ですから、お祈りの要請は当然、多くなります。

毎日、家内と一緒にお祈りし、またディボーションや、それ以降の生活の中で、祈りの要請を覚えて祈っています。奉仕の準備の中で、また何かをしている時に、ふと思い起こして、今、どんな状態かなと想像しながら祈っています。

そんな時、何よりも思うことは、私たちの神様は「最善の神様」であるということです。つまり、最善以下(未満)のことは決してなさらないということです。
もちろん、私たちが考える「最善」と神様が考えておられる「最善」がいつも一致しているとは限りません。しかしそれでも、最善を信じ、信頼して祈りつづけます。またたとえ、自分の考えている最善が現れなくても、神様の最善のほうが「最善」であると信じます。

時には、これは本当に「最善だ!」と思えないことがあります。しかしあとで、必ず、それが最善であることが明らかにされます。

今、新しい、天的で霊的で、永遠に適った身体を着るために、今の地上的で、一時的な身体を脱いで、着替えを始めておられる方々がおられます。これは、神にあって厳かな着替え(衣替え)です。
私も、いつか、着替えを始める時が来ます。確かに近づいています。そう感じます!「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです」(ルカ21:28)。

その時まで、互いにとりなしあい、最後に信頼をもって、御子を待ち望むことができますように。ハレルヤ!
2022-08-05 19:32:37[投稿番号:278]

今していること・・・
「夏の宿題」
(前回、ブログを準備しましたが、掲載できませんでしたので以下に掲載します)

奉仕をさせていただいています二つの神学校のクラスがお休みなので、8月末までにやるべき宿題を確認し、少しずつ進めています。

一つは、前にも皆さんにブログでお話ししておりました、ゴードン・フィーの著作『Gods Empowering Presence』(約1000頁)の要約を完了することです。A4サイズで、約130頁、約30万字ありますので、『舟の右側』のサイズで言いますと170頁になると思います。拙著『ジャンルを大切にして聖書を読む』のサイズで言いますと、1頁約1000字なので300頁の本になります。とにかく、2004年にこの本の要約を始めて、約800頁まで来ましたが、そのままになっていました。しばらく前にこのままではいけないと思い、残りの分の要約を再スタートしました。

ほとんど終わったのですが、読み返すと訳が分かりにくかったり、英文の意味やニュアンスが理解できないところがいくつもあることがわかりました。それで何度もやり直し、それでも難しい箇所は、アメリカの友人たちに質問しながら、訳(要約)を整えています。夏に息子が帰ってきたら、最後の確認をしたいと思っております。

とにかく、ゴードン・フィーの大著で、パウロの全ての手紙に基づいてパウロ神学における聖霊論を紹介しています。ご聖霊に関心のある方々に読んでいただきたいと思っております。アメリカの出版社から許可が出れば、プリントパックか何かを使って、印刷・製本したいと思っております。

もう一つは、この秋の10月から神学校で『霊性…スピリチュアリティ』のクラスを担当しますので、そのためのテキスト(資料)準備をしたいと考えております。昨年度、1年に渡って、「あなたのディボーションのために」を『舟の右側』で連載させていただきましたので、これを基に、テキストとして印刷・製本をしたいと考えております。

第三は、『ジャンルを大切にして…』を読んでいきますと、いくつかの重要なミスがありましたので、「正誤表」を作りたいと思っております。

いろいろありますね。本当に、全部できるかどうか分かりませんが、少しずつ、休みの日や休みの時間を使って、準備していきたいと思っております。出来上がって来ましたら、また、皆さんにお知らせいたします。

昔(?)子どもの頃、夏休みが始まるとすぐに、宿題も含めて、夏休みにやるべきことの予定表を作ったものです。自由研究以外は、7月末までに終える予定でした。しかし、初めの2,3日は頑張るのですが、結局、いつも、8月末になっても終えることができないという苦い夏の思い出があります。…できれば、こんな風になりたくないのですが。。。

すみません。今回は、報告ばかりで・・・。ブログになりませんね。
2022-08-05 19:05:31[投稿番号:277]

時代を超える聖霊
つづけて、エゼキエル書の聖霊
 ディボーションでエゼキエル書を読んで来ましたが終わりました。これまでのブログでも触れましたように、本当に教えられるみことばがいくつもありました。感謝です!

また、『舟の右側』で「旧約の聖霊」について連載していますので、ご聖霊についても教えられることがいくつかありました。

一つは、以前から大切だと考えて来ましたエゼキエル36章26‐27節です。これは、新しい時代に向けて最も重要な預言の一つであると思います。神様は、「わたしの霊を授ける」と言っておられます。この御霊によって、何よりも、イスラエルは内的に変えられるということです。「石の心」から「肉の心」になるのです。

では、どのようにそうなるのでしょうか。このことは重大なことなので、もっと知りたいと思いますが、聖書には説明がありません。次の37章でも、イスラエルの再生(復活)が予告され、平和ととこしえの契約が結ばれるとありますが、聖霊が内的にどのように働かれるかは何も書かれていません。わたしにとって、一番の関心事です。これからも、考えていきたいと思います。

もう一つの箇所にも注目しています。それは、39章の最後の29節です。ここに、「わたしの霊をイスラエルの家に注ぐ」とあります。
この個所は、位置的に構造的に重要です。33章から39章までが一つの区切りですが、その最後のことばとして29節があり、これは、とても意味深です。
神様は、最後のまとめのことばとして、「わたしの霊をそそぐ」と言っておられるのです。ここはまた、ゼカリヤ4章6節のことばにもつながってくるのではないかと思います。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とあります。

神様は、終わりの新しい時代にむかって、御霊によって行動されるようです。聖霊は、メシアと共に、新しい時代のための担い手であると言えます。
この御霊が、新しい今の時代に、私たちと共にいて下さいます。
ハレルヤ!感謝します!
2022-07-15 19:28:10[投稿番号:271]

旧約時代の聖霊についての七不思議?
つづけて、旧約の聖霊について学んでいます!
 久しぶりに、ディボーションでエゼキエル書を読んでいます。構造を考えながら、ある個所はじっくり、ある個所は速く読んでいます。教えられることが沢山ありますね。今朝は、37章でした!

今回は、『舟の右側』の原稿がまとまらなくて焦ったのですが、だいぶ、整って来ました。感謝です!なんとか、締め切りまでに書き上げたいと思います。その中で、次回の8月号でも少し触れ、全体は、9月号になると思いますが、「旧約の聖霊についての七不思議?」を紹介したいと思っています。

旧約聖書における聖霊について学びながら、いろいろな不思議や分かりにくいこと、疑問が、ドンドン出て来ました。果たして、七つ(の不思議)で終わるか分かりませんが、いくつかを以下に紹介したいと思います。

第一に、ソロモン以下の王たちや祭司たちと聖霊の関係については旧約においてほとんど触れられていません。第二に、エリヤとエリシャの間でのことですが、「エリヤの二つ分(?)の霊を下さい」とエリシャが祈ったことの意味がまだよく分かりません。第三に、1サムエル記16章などに繰り返し出て来る「神からの災いの霊」の意味は何か。第四に、どうして「聖霊に関する預言」は終末的預言に集中しているのか。第五に、どうして、エレミヤ書には聖霊がおられないのか。第六に、サムソンにとっての聖霊は、ただ「力」だけの聖霊に見えます。それでいいのか。第七に、エゼキエル36章26?28節の預言は非常に重大であると思いますが、「わたしの霊を授ける」の意義は何か。新しい時代に向かって何が意図されているのか。

他にも、疑問が出て来そうですが、旧約時代のご聖霊の豊かな臨在と働きを味わい、学びながら、さらに教えられていきたいと思います。果たして、七不思議で終わるでしょうか。

次回の『舟の右側」8月号では、上記の第三について考えています。

初めは、新約時代(ペンテコステ以後)の聖霊について、より相応しく読む為に、旧約時代の聖霊に注目しましたが、確かに、旧約の聖霊を知ることによって、新約の聖霊がもっと分かって来るような気がします。これも、本当に感謝です。ハレルヤ!
2022-07-08 18:16:51[投稿番号:270]

ディボーションで教えられたこと
エゼキエル14章から
 まず、エゼキエル14章全体を読んでいただくとよいと思いますが、特に、7節と8節に注目したいと思います。「イスラエルの家の者でも、イスラエルに寄留している者でも、だれでもわたしから離れ、心の中に偶像を秘めて、自分を不義に引き込むものを顔の前に置きながら、わたしに尋ねようと預言者のところに来る者には、【主】であるわたし自身が答える。わたしはそのような者に敵対してわたしの顔を向け、彼をしるしとし、語りぐさとして、わたしの民の間から絶ち滅ぼす。そのときあなたがたは、わたしが【主】であることを知る。」

神様を求め、みこころを聞こうと預言者の所に来るわけですから、霊的に模範的に見えます。しかし実際には、心の中は、全くそうではなく、神様から離れ、偶像を心にもち、不義に引き込むものを顔の前に置いているとあるのです。

これらの人々は、二心であり、神様も、預言者たちも、自分の利益のために利用しようとしていたのかもしれません。
自分の心の中の「悪」に気づかず、平気で、神の預言者のところに求めて来たのかもしれません。

あらためて、この個所を読みながら、自分の献身を点検しました。本当に献身しているのか。献身のフリをしているだけなのか。また、フリをしながら、結局は、神様をも自分のために利用しようとしていないか、と。

神様を求めています。預言者をたずねています。そのように見えます。しかしそれは、すべて、自分のためにしようとしていないか。自分の王国を建て上げるために、自分がそこで王になるために、祈ったり、礼拝したり、みことばを学んだりしていないか、ということです。

以前、ブログでも触れましたように、「献身した」と言っても、献身はゴールではなく、出発です。自分の献身を色々な形で点検し、吟味していかないと、献身のズレに気づかないままになってしまいます。不完全な献身はたくさんあります。

へりくだって、きょうも、神様が神様であることを心から告白し、表明して、進んで行きたいと願っています。ご聖霊も、みことばを用いて、これからも教え、導いて下さることを感謝します。「献身している!」と言っても、神様のみ思いから、ズレてしまいませんように。ハレルヤ!
2022-07-01 17:39:40[投稿番号:268]

きょうのディボーションから
エレミヤ7章16節から「祈るな!」から
 毎日のディボーションでは、ここしばらく、新約の手紙をずっと読んできましたので、最近、預言書に移りました。今、「預言者と聖霊」について考えているので、ちょうどいいのではと思ったからです。

今朝は、エレミヤ7章16節の「祈ってはならない。とりなしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないから」に注目しました。類似したみ言葉は、他にも二カ所あります。

神様は、なぜ、わざわざ、エレミヤにこんなことまで言われたのでしょうか。いろいろ考えました。第一に、神様は、エレミヤ(私達)の祈りに耳を傾け、答えて下さる方なので(答えなければならないので)、前もってこれを止めておられる。第二に、神様は、すでに、エレミヤ(私達)が今考え、祈ろうとしていることを知っておられるが、その通りにはならず、別のご計画を決めておられるから。

また、この出来事から、あらためて、神様が、祈るエレミヤ(私達)を大切に扱っておられることが分かりました。わざわざ、神様は「いのるな!」とまで言っておられるのです。また、そこまで言っておられる神様は、私たちが祈るいのりを本当に聞いて、答えて下さるお方であることが分かります。そうでなければ、どうしてわざわざ、エレミヤの祈りを止められる必要があったでしょうか。

このみことばを味わいながら、私として、信仰をもって祈り続けることの足りなさや問題に気づきました。また、神様のみ心でないことを祈っても意味がありませんが(聞かれないので)、しかししばしば、それが神様のみ心かどうか分からないという問題もあります。こんなときは、神様が、「祈るな、祈り必要がない」と教えてくださるまで、いのりつづけていいことも教えられました。

時々、今、自分が祈っていることは御心に沿ったものなのかどうか、分からず、迷うことがあります。しかし、神様が、エレミヤに対するように、私(たち)にも、このことを教えてくださることを信じ、その時まで、祈り続けることを教えられました。

祈ることが沢山あります。迷うことはありますが、分かる時まで、信じて、期待して祈り続けましょう。。。ハレルヤ!
2022-06-24 18:06:45[投稿番号:267]

もう一度、使徒の働き19章1節について
「何人かの弟子たち」とは?
 最近、旧約時代の聖霊とその働きについて、ずっと学び、考えています。そしてその流れ(感覚)で、新約の聖霊について考えることを試みています。こうすることで、これまで分からなかったこと、また気づかなかったことについて、新しい視点で聖書を読めるようになって来たかもしれません。

その一つとして、今度の礼拝メッセージの箇所である、使徒の働き19章1?7節について、今、いろいろ考えています。これは、新約的な「救い」のための聖霊の受容なのか、それとも、旧約からの続きで、ある種の「業・働き」のための聖霊の受容なのか、さらにこれらのどちらも含むものなのか。

また、1節の「何人かの弟子たち」の意味ですが、「何人かの」でなく、「ある」と訳し、「弟子たち」は、クリスチャン(イエスキリストの弟子)ではなく、バプテスマのヨハネの弟子を指している可能性についても考えるようになりました。

この個所については、何十年も前に、この「弟子たち」はキリストの弟子たちのことであるという結論を出してから、ずっとそのままでした。
しかし、言語的に、冠詞がなく「ある」という不特定な意味をもつ形容詞が、「弟子たち」を修飾していると考えますと、この弟子たちは、イエス様の弟子としないで、3節から、バプテスマのヨハネの弟子たちを意味している可能性も出て来ます。このように考えますと、文脈的に、2節以下の文をよりスムースに理解できるように思います。

この解釈が正しいとしますと、この個所の出来事は、10章にあるカイザリアの出来事に非常に類似していることになります。
そしてこの個所も、イエス様を信じて、聖霊をいただいて、信仰生活、また御霊に導かれた奉仕が始まることを教えていることになります。

確信をもって歩んでいくことは必要だし、よいと思いますが、時には、自分の長年の聖書解釈を変えなければならない場合も出て来ることに気づきました。
心を開いて柔らかく、これからもみ言葉と御霊によって教えられながら、変えられていきたいと願っています。

今週も、御子を信じて救われ、御霊に導かれていくという信仰生活は変わりませんね。感謝いたします。ハレルヤ!
2022-06-17 20:19:39[投稿番号:266]

風邪を引いてしまって…
2コリント1章3‐4節
 最後に風邪を引いたのはいつだったでしょうか。思い出せません。少なくとも、3年以上前のことであることは確かです。

今週は、風邪を引いてしまい、全ての予定を断念し、ひたすら休んでおりました。いつ回復し、土日の奉仕に間に合うだろうかという心配もありました。

しかし全ての予定を諦めた瞬間から、短い言葉で(言葉にならない時も)、思いつくたびに、神様とお話しし、お祈りをすることができるようになりました。本当に久しぶりの感じでした。

こんなに神様とお話しながら、交わりたかったはずでしたのに、普段はできなかったことが、突然できるようになったのです!

もちろん、元気な妻がいてくれたおかげで、私は、衣食住をほとんど考えずに休むことに専念し、近所のクリニックにも行くことができました。

きょうは、ほとんど平熱に戻り、礼拝説教の準備も進めることができました。ブログも書くことができました。それから、10日締切の「舟の右側」の原稿も送ることができます(この後で)。

2コリント1章3節と4節のみことばをおもいだしました。
「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」

私も、御父と御子と御霊の慰めで、少しでもそのような人になれますように。ハレルヤ!
2022-06-10 20:08:03[投稿番号:265]