ヨハネの福音書における聖霊と永遠のいのちについて
ゴードン・フィーの本(要約:264000字)が会員資料室に入りました!
ゴードン・フィーの本(要約)をやっと「会員資料室」に入れることができ、本当にホットしています。とにかく、20年以上かかりました。ワーダン・スピリットの会の働きにとっても、非常に価値のある本だと思っています。お祈りと励ましを感謝いたします。

また、HPの最初のページにある「はじめに」も新しくなりましたので、これもお読みください。

さて今は、特にヨハネの福音書における聖霊と永遠の命の関係について考えています。どちらも、確かに、ヨハネにおいて重要なテーマです。永遠のいのちは、ヨハネ書の中心目的であり、聖霊も、イエス様ご自身の働きにとっても、のちの弟子たちの歩みと働きにおいても不可欠なお方です。さらに、今考えていることですが、永遠のいのちと聖霊とは密接な関係にあることに気づきました。

もっと早く気付くべきでしたが、最近、やっと考えるようになりました。3章5?8節、4章14節、6章63節、7章37-39節などです。
御子イエス様のことも含めて、短くまとめるとこんな風です。私たちは、御子を信じると救われて、御霊によって永遠のいのちが備えられる、ということです。御子は永遠のいのちの基ですが、御霊はそのいのちを実際に私たちに与えて下さるお方であると言えます。

また、こんな風に言ってもよいでしょう。信じて救われるとこれまでに味わったことのない「喜び」が与えられます。これは、聖霊による「永遠の命」の喜びのことでしょう。神様との交わりや兄姉との交わりにおける喜びも、永遠のいのちの喜びなので、この喜びも聖霊から来ていると言えます。7章38節の「生ける水の川が流れ出る」はまさに、聖霊による永遠のいのちの祝福を表現していると思います。4章14節の「その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出る」もほとんど同じです。

聖霊に満たされている喜びも、ほとんど、実質的に永遠のいのちの喜びであると言ってもいいでしょう。。。今、そんなことを考えています。とにかく、聖霊と永遠のいのちの関係が少しだけ見えて来ましたので、感謝しています。ハレルヤ!

来週の土曜日は2回に渡って「聖書にこだわる聖霊」(奥多摩福音の家、ウェブセミナー)ということでお話をすることになっています。このように、いつでもどこでも、ご聖霊についてお話できる機会が与えられていることに感謝します。ハレルヤ!
2023-05-19 18:12:58[投稿番号:320]

最近は、会堂内をグルグル回るのが増えてきました!
最近の様子など
寒い冬を越して、玄関の「花」たちの芽が出て来てホットしています。ひょっとして寒さにやられてしまったかなと心配しておりました。ブーゲンビリア、台湾レンギョウ、そしてついに、ハイビスカスの芽も出てきました。感謝!

それから、冬に何も食べないで約3?4か月冬眠していたメダカたちも元気でまた泳いでいます。次々に卵を産んで困ってしまう程です。これも感謝!

最近は、調子が悪かったり、迷ったりすることがあると、すぐに部屋から会堂に移動して、グルグル回りながら祈るようにしています。すぐそばに、会堂があるので、黙想したり、おしゃべりしたり、祈ったりできるのは本当にありがたいです。朝のお祈り散歩だけでなく、いろいろ黙想しながら祈ることが増えてきているように思います。

さて、ゴードン・フィーの例の本の「前書き」もほとんど終わりました。あとは、HPの刷新に合わせて、データを「会員資料室」に入れたいと思いますので、関心のある方はぜひお読みください。900頁以上の本でしたが、約20年位かけて、やっと(ようやく)要約ができました。「完訳」とまではいきませんし、拙い訳ですが、フィー先生の本の内容は確かで、価値のあるものなので、ぜひお読みください。
全体で、285600字あります。『舟の右側』の原稿は通常1回分で「7000字」(4頁)なので、これで換算しますと、約40回分になります。つまり、3年3か月分に相当します。感謝いたします。

現在は、「孤独のすすめと交わりのすすめ」というテーマで、来週開かれる教団泉会でのお話の準備と、再来週のウェブセミナーの「聖書にこだわる聖霊論」の準備をしています。また、来週の15日が、『舟の右側』の原稿の締め切りです。いろいろ重なっていますね。。。
いろいろありますが、感謝もいろいろあります。ハレルヤ!
2023-05-12 21:05:47[投稿番号:319]

昨日、対面の私塾交わり会を開きました!
最近の状況について
昨日、対面で「私塾:交わり食事会」を開くことができました。自己紹介、昼食と交わり、質問タイムなどを持ちましたが、あっという間に時間が経ってしまいました(11時から2時まで)。

クラスがみな同じではなく、初めてお会いする兄姉もおられ、しかも、参加者が属しておられる教団、教会はいろいろ。普段、経験できない交わりの素晴らしさを共に味合うことができました。これこそ、み言葉と御霊に基づく(ワーダン・スピリット)の交わりになったと言えます。感謝します!

私塾のそれぞれのクラスは、四回目、五回目を迎え、これから後半に入っていきます。上記のように対面の交わり会も開き、また、「若手?牧師会」も第一回を持つことができました。希望として、10人までを考えておりましたが、ちょうど参加者は10人でした。これから、毎月、第四月曜日に「若手?牧師会」を開くことになります。

5月の後半になりますと、夏学期(7月から9月まで)の準備が始まります。参加希望の皆さんは、準備しておいてください。

フィー先生の本は翻訳が終わりましたので、「前書き」ができ次第、ワーダン・スピリットの会のHPをリニューしていきたいと考えています。

今は、「御霊に対する罪は赦されない」というマルコ、マタイ、ルカの福音書にある御言葉について考え、奮闘しております。なんとか、次回の『舟の右側』に間に合うように原稿を準備したいと考えています。

それから、5月27日(土)の午後、奥多摩福音の家主催のウェブセミナーで、『聖書にこだわる聖霊論』という題で、お話することになっています。ペンテコステ礼拝の直前です。関心のあられる方は、奥多摩福音の家にお申込みください。

毎回のことですが、5月の連休には、あれをしよう、これをしようと考えておりましたが、どうも思うようにはいきませんでした。どれも、大切なことなので、焦らないで、神様の前にお委ねしながら、相談しながら、進めていきたいと思います。

きょう、結婚して43年の記念日を迎え、家内と共に神様に感謝をお捧げしました。また、新しい一年に向かって再出発です。ハレルヤ!

ここまで、お読みくださり、感謝いたします。ハレルヤ!
2023-05-05 19:50:29[投稿番号:318]

キリストの交わり、聖霊の交わり
最近の状況について
 今、特に気なっていることがあります。それは、「キリストの交わり(コイノニア)」、「聖霊の交わり(コイノニア)」です。ギリシャ語で言いますと、名詞コイノニアにキリストや聖霊が属格でかかっている場合に、「の」をどのように理解するかということで、仮にこの「の」の意味が対格的属格であるとすると、「キリストとの交わり、聖霊との交わり」ということになって、この場合、真の意味は何かということになります。

実際に聖書では、たとえば、1コリント1章9節(キリストとの交わり)や2コリント13章13節(聖霊との交わり)にあります。

実は、今から約46年前に、当時の聖書神学舎(今の聖書宣教会)を卒業しましたが、その時の卒論のタイトルが、『コイノニア…Genitive用法を手掛かりにして、「キリストの交わり」、「聖霊の交わり」を考える』でした。昔の卒論が、手もとにあるので、今、少し読んでチェックをしています。

果たして、実際の生活の中で、「キリストとの交わり、聖霊との交わり」とはどういうことになるのでしょうか。臨在を感じることでしょうか。心を静めて、できるだけ対話的に祈ることでしょうか。御子や御霊の愛を感じながら、神様を愛し、隣人を愛することでしょうか。毎朝しているように、散歩しながら、神様とお喋りすることでしょうか。瞑想や黙想をすることでしょうか。

また、あらためて考えていることは、キリストとの交わりと聖霊との交わりの類似点と相違点です。イエス様との交わりはすんなり入ってくるのですが、聖霊との交わりはどういうものでしょうか。聖霊に満たされ、聖霊に導かれて歩むことでしょうか。

とにかく、最近、これらのことについて考えているところです。答えはまだですが、さらに考え、求めていきたいと思います。

最近の状況については、フィー先生の本(要約、抄訳)について、現在は、前書きの準備中です。私塾は、三週目、四週目を迎えました。お祈りを感謝いたします。延べて24人の兄姉が参加していて下さるので感謝です。また、若手?牧師会も今週、始まりました。これから、月の第4月曜に続けていくことになりました。これも、感謝です。

関西でのご奉仕も守られて感謝でした。牧師先生たちのと交わりも楽しかったです。なつかしい先生がたともお会いすることができました。5月は、同盟福音の「泉会」での「交わり」についてお話しし、ペンテコステ直前の土曜日には、「聖書にこだわる聖霊論」ということで、二回のセミナーでご聖霊についてお話する予定です。
いろいろ特別なご奉仕も与えられつつあります。

大きな感謝とともに。すべてにおいて神様のみ名があがめられますように。ハレルヤ!
2023-04-28 21:21:13[投稿番号:317]

1ペテロ1章から教えられたこと
…最近していること
 最近、ディボーションにおいて、1ペテロの手紙を読んでいます。1章を読んでいて、教えられたことがあります。13-16節は、再臨のキリストを覚えながら、聖なる神様に倣って「聖なる者であれ」と言われているところです。

私は、ここを読みながら、何か足りないものを感じました。それは、「聖なる者となりなさい」(15節)とありますが、自分の力や思い、決心でそれができるはずはありません。どうしたら、このみことばに応答できるのか、考えました。こじつけではありませんが、ここにもやはり、ご聖霊の助けと導きが必要ではないかと考えました。

そうしたら、なんと、聖さに関しても「聖霊についての言及」が、この手紙にあることが分かったのです(パウロの手紙まで行かなくてよかったのです)。それは、1章2節に「御霊による聖別によって」とあったのです。第二版の訳は、「御霊による聖めによって」とあります。NIV訳は、たぶん、私が期待していた訳になっていました。それは、「through the sanctifying work of the Spirit 」です。ギリシャ語では、名詞なので、このように動詞的に訳すことができるか疑問が残りますが、その後に、「イエスキリストに従うように」とありますので、救われたときだけの「聖別」ではなく、信仰生涯全体に渡る聖さ、つまり、「the sanctifying work of the Spirit 」と考えてよいと思われます。

こうして、1章15節の「聖なる者となりなさい」は、1章2節から、「聖霊がきよめて下さる、その働きに従って」聖なる者となりなさいと解釈できるのではないでしょうか。

私は、このような理解を最初から求めていたわけではありませんが、結果的に、この箇所も、聖霊的に解釈することができました(一つ、増えた感じです)。パウロで言えば、ここはまた、2コリント3:18に繋がって来ます。

これからも、キリスト論的に、聖霊論的に、聖書を読み続けていきたいと思います。

私塾も守られています。感謝します。また、月一回の「若手?牧師会」も始まろうとしています。また、今度の主日礼拝の後、ご奉仕のために関西に行くことになります。
いろいろDoingが増えてきましたが、神様の御もとでしずまるBeingも大切にしていきたいと思います。
お祈りを感謝いたします。ハレルヤ!
2023-04-21 18:17:24[投稿番号:316]

「聖霊」のない箇所をどのように聖霊的に読むか
私塾は2週間目に迎えました!
このところ、ずっと「ヨハネの手紙」を読んで来ました。それほど、「御霊(聖霊)」の言及は多いわけではありませんが、聖霊論的に読んでみました。2章の「注ぎの油」も、3章の「神の種」も聖霊、または聖霊に関係する言葉でしょう。また、御子と御霊は一つですが、その御子と密接な関係がある「真理、いのち」とも、御霊は深くかかわっておられます。

ヨハネの福音書と比較して、ヨハネの福音書は、「御霊が与えられること」を予告していますが、ヨハネの手紙では、御霊はすでに与えられたお方として教えられています(4:13)。

最後に、ヨハネの手紙で最も教えられたことの一つは、有名な言葉である5章14節は、その前の13節と「ギリシャ語、カイ(そして)」で繋がっていることです。問題は、どういう意味で繋がっているかです。

「永遠の命」を持っている者は、「神のみこころ」が分かるということではないでしょうか。つまり、そういう交わりにあるということが「永遠のいのち」であると言えます。これは、大きな恵みを表していますね。感謝します!

さて、最近の様子をいくつかお分かちさせてください。

一つは、教会のことです。ほとんど(?)コロナ感染問題が終わり、教会としての新たな歩みが始まった感じです。3年間は、本当に長かったです。奉仕グループの活動が始まり、礼拝直後のスモールグループも始まりました。役員会内での学び会も始まりました。牧師訪問も始めました。やっと牧会が始まった感じで、ほっとしています。感謝しています。

もう一つは、私塾の2週目が終わりました。少し、各クラスと参加していてくださる皆さんに慣れてきた感じです。聖霊論のクラスは一番参加者が多くて、10名になりました。感謝いたします。

ゴードン・フィーの例の本『パウロの聖霊論…神の力ある臨在』の翻訳(要約、抄訳)がやっと終わりました。2004年に始めましたので、なんと19年かかったことになります。900頁の本なので、お許しください。途中、他の奉仕が重なり、止めていた時期もありましたし、翻訳そのものが難しすぎて止めていた時期もありました。しかし、今読んでも、新しく教えられることが出てきます。本当に、フィー先生に感謝を捧げたいと思います。今は、部分的に調整していますが、全てが完成しましたら、皆さんにお知らせいたします。多分、会員資料室に入ると思います。

「若手?牧師会」の案内を、私塾の案内に入れましたので、関心のある方はお読みくださり、ご参加ください。なお、きょう、『舟の右側』の編集者に原稿を送りました。やっと、新約(福音書→マルコ書)の聖霊が始まります。感謝いたします。ハレルヤ!
2023-04-14 20:09:49[投稿番号:315]

敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。
私塾が始まりました!
皆さん、お祈りを感謝いたします。
今週、ついに「私塾」が始まりました。延べにして、20人以上の皆さんが参加してくださいました。クラスの持って行き方について、まだまだ、変えていくべきところがあることが分かりました。とにかく、始めることができて、ホットしています。感謝です!

以前、1テモテ4章7節の「…敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい」の意味について触れたことがありました。この意味は何でしょうか。また、きょうのディボーションで、「…キリストが清い方であるように、自分を清くします」(1ヨハネ3:3)とありました。自分を清くするとはどういうことでしょう。

かなり能動的に聞こえますが、どうすることが求められているのでしょうか。1ヨハネ3章を更に読んで行くと、9節に「神の種が留まっている」とあります。「神の種」の意味については議論がありますが、おそらく、ご聖霊を指している可能性が大きいです(2:20の「注ぎの油も」)。もしご聖霊を指しているなら、「清くする」も聖霊的に考えてよいのではないかと考えるようになりました。

ついでに(?)、先ほどの1テモテ4:7の「敬虔」も、聖霊の実の一つと考えますと、これも、単なる能動的な勧めではなく、「聖霊に導かれて、聖霊に応答して」という意味になるのではないかと考えます。

何でも、かんでも、聖霊的に考えすぎているかもしれませんが、かと言って、聖霊を抜きにして、信仰生活、信仰成長はないと思います…。どうでしょうか。

「若手?牧師会」の案内も掲載したいと思います。よろしくお願いします。また、ゴードン・フィーの本の翻訳も、あとわずかとなり、先が見えてきました。翻訳にはエンドレスなところがありますので、そろそろ、手離そうと考えていまず。本当に、たくさんの時間がかかりました。少しでも、用いられますように。ハレルヤ!
2023-04-07 18:16:42[投稿番号:314]

マルコの福音書の聖霊から
いよいよ私塾が始まります。感謝します!
『舟の右側』の連載のために、やっと、新約聖書における聖霊についての原稿を書き始めることができました。

マルコの福音書の聖霊に関しては、頻度も少なく、内容的にも、他の福音書とほとんど同じで、ほとんど特徴がないように見えます。マルコは、聖霊に関心がないのかなと思ってしまいそうです。実際に、マルコは、イエス様の生涯を(省エネで?)描く目的があったかもしれませんので、聖霊についての言及は限定的であるのは当然であるとも言えるでしょう。

しかし、マルコの福音書を細かく読んでいきますと、他の福音書にない特徴があるのが分かります。微妙にギリシャ語が違うし、表現が異なっている箇所もあります。文脈が違う箇所もあります。これは、使用した資料が違ったからでしょうか。マルコの意図(強調点、神学)でしょうか。広い意味では、マルコの特徴、神学とも言えます。

例えば、1章12節で、御子が誘惑の荒野に行かれる記事がありますが、ここでの主語は、御霊で、動詞には、「エクバロウー」が使われています。この動詞は、直訳すると「外に投げる(投げ出す)」ということで、かなり動的で強い意味が込められているように思います。御子が悪霊を追い出されるときにも使用されている激しい動詞です。他の福音書にある「荒野の誘惑」の書き出しとずいぶん違うのです。

私は、ここからも、御霊が、御子をリードしておられる姿をみることができると思っています。福音書において、他にもあります。ここで言いたいことは、御子の生涯において、御霊は、御子を導いておられたということです。

このことは、案外知られていないことではないでしょうか。人としてのみ子を御霊は導いておられたのです。この点を大切にしながら、これからも福音書を読んでいきたいと思います。

この同じ御霊が、今は、私達に内住して、私達を導いておられるのです。ハレルヤ!

私塾の最終的な情報を更新しましたので、お読みください。ここまで来ました。どうぞ、お覚えておいのりください。すべてにおいて、神様のみ名が崇められますように。
2023-03-31 18:35:30[投稿番号:313]

二つの箇所の「成熟」について
最近していること、フィーの本、私塾
 前回の「敬虔」についてのつづきです。テモテ書における「敬虔」の意味について、つづけて考えています。

一つは、6章11節に注目しています。こうあります。「 しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」この箇所を読みながら、内容的にも、これは、「御霊の実」と呼んでもいいのではないかと考えました。ガラテヤ5章22-23節は、「御霊の実」としてよく知られていますが、これだけに限定する必要はありません。また、実際に、「実」の内容として、両者は類似しています。私の結論としては、最後の「追い求めなさい」は、御霊に従い、御霊に満たされて歩んでいくことを表しているのではないか、ということです。

もう一つの箇所は、以前からもずっと考えていたところですが、ローマ13章14節です。この箇所も、「成熟」に関係した教えになると思います。こうあります。「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。」この箇所の意味は何でしょうか。ガラテヤ3章27節では、「(私訳)キリストの中にバプティゾーされたあなたがたは皆、キリストを着たのです」とあります。つまり、ガラテヤ書では、すでにキリストと一つで、キリストを着ているとあるのに、どうして、ローマ13章では、「キリストを着なさい」と言っているのでしょうか。

一つの可能性は、ローマ書13章の文脈で、「武具を身に着けようではありませんか」とありますので、これに倣って、終末的な生き方、成熟にふさわしい生き方を求めて、(もう一度)、強調して、意識的に自覚的に、キリストを着ることを教えていると言えるかもしれません。信仰をもって、自分がキリストに属しているものであることを確認したり、キリストに対する献身を新しくする意味がここにあるのではないかと考えます。

前にも、ブログで触れましたように、広い意味での「救済論」において、御子と御霊がどのように関わるのか知りたくて、学びをつづけていますが、今回の二つの箇所も、注目したい箇所になりました。

成熟を求めて、御子と御霊と共に歩ませていただきたいと思います。

現在、少しずつ続けているゴードン・フィーの本の翻訳も、あともう少しになりました。3月末を目標にしたいのですが、少し過ぎるかもしれません。

私塾に関して、最も新しいデータとしては、火曜日午前(聖書解釈?、3人)、火曜日午後(終末論、4人)、火曜日夜(霊性、7人)、木曜日夜(聖霊論、8人)になりました。それぞれ、クラスが始まる一週間前に、クラス資料を送らせていただく予定です。

「若手?牧師会」につきましては、3月末に詳細を発表したいと思います。

皆さん、お祈りを感謝いたします。ハレルヤ!
2023-03-24 20:37:51[投稿番号:312]