中間時代の聖霊から新約へ
私塾も少しずつ・・・
 中間時代の聖霊から新約時代の聖霊に移りました。今は、少しずつ、福音書のデータを確認し、マタイの福音書とマルコの福音書における聖霊について学び始めるところです。

ここで忘れてはいけないことがあります。福音書記者は、イエス様とその生涯の伝記的ナラティブを書いていますが、記者と読者は、ペンテコステ後の人々で、新しい時代の聖霊をよく知っていたということです。このことを意識しながら、学んでいきたいと思います。

中間時代の聖霊については、30年以上前に学んだだけで休んでいましたので、もう一度、この機会にいろいろな文献を読んで、調べることができました。
結論は、中間時代の聖霊について、特別な変化、展開はなかったということです。ただし、いくつかのことについて教えられました。

一つは、多くの専門家たちは、中間時代の聖霊は「預言の御霊」としていましたが、調べていくうちに、もっと多様に見て行ってもいいのではないかと考えるようになりました。

もう一つは、中間時代には、もちろん、ご聖霊の正典的働きはありませんでしたが、しかし、この時代(約400年間)にも、聖霊の様々な働きがあったと考えた方がいいように思うようになりました。
つまり、中間時代は、聖霊の臨在や働きの暗黒時代だとする必要はないということです。

このことが、新約の聖霊の学びに繋がっていくことになります。新約の人々に大きな影響を与えたのは、旧約聖書の聖霊と聖霊の約束、新約時代になってからの特別な聖霊体験、神様からの啓示体験など。そして、最後に、中間時代からつづく文脈です。

しばらく、休んでいた、ゴードン・フィー先生の「パウロの聖霊論」の翻訳(抄訳)もだいぶ進みました。あと少しです!
ただし、また、全体を読み直すと「問題」を発見してしまうので、やり直さなければなりません。覚えて、お祈りください。

「私塾」も、クラスがいくつか可能になってきました。もうしばらくしましたら、「成立したクラスとその時間」を発表したいと思います。感謝いたします。ハレルヤ!
2023-02-17 21:59:59[投稿番号:306]

どうして聖霊到来の描写がないのか?
見える御子と見えない御霊?
前回で最後と思ってましたが、旧約の聖霊についてのまとめの最終のテーマが一つ残り、今書いています。それは、聖霊到来の事実や出来事についての言及は多いのですが、どのように聖霊が来られたのか、その描写が全くないのです。また、聖霊到来の結果についての説明はいろいろありますが、その説明の正確な意味が分かりにくいのです。
その時、人々はどのようにして聖霊の到来を知ったのでしょうか。本人や周りの人々は何を見て、聖霊が来られたことに気づいたのでしょうか。聖書には書かれていませんが、人々は何かをみたのでしょうか。感じたのでしょうか。

おそらく、本人は、少なくとも、内的に感じるものがあったのではないかと思います。一言でいえば、「満たし」です。

話は、もう一度、初めに戻りますが、聖霊の到来(降臨)について、それを語っている聖書記者はどのようにこの事実を知ったのでしょうか(記者の全能性)。

色々考えながら、結論としては、新約も含めて、聖霊ご自身も、その到来も、私たちの目には見えないものだということです。いろいろな比喩はありますが(例えば、イエス様の場合は、鳩のように、ペンテコステの弟子たちの場合は、火のように)、ご聖霊は、根本的に「目に見えないお方」であるという確信(?)を持ちました。だから、聖霊の到来の言及はいろいろあっても、到来の様子は書けないのです。これは、むしろ聖書全体で、一貫して私たちに語られている大切な真理の一つではないかと思うようになりました。

こうして、最近、御子とその働き、御霊とその働きをパラレルに並べて、いろいろ比較したりして考えています。全く、別の働きや分野ありますし、うまく棲み分けができているように見える働きや領域もあります。いろいろ重なっているように見える分野もあります。これは、新約の聖霊の学びで確認したいと思っている分野ですが。。。

さて、結論です。御子イエス様は、何よりも、私たちに見えるお方として来られ、人として最後まで歩み、見えない御父を私達に見せてくださいました。では、御霊は、どうでしょか。それは、御子とは全く反対に、見えないお方として来られ、見えないお方として、私たちの心にも、教会にも来て、臨在(内住)しておられるということです。

私は、このことを御子との対比で考えるとき、積極的な意味で、御霊が見えないお方であり、そのように到来され、そのように臨在しておられることの積極的な意味、恵みを感じるようになりました。
正に、ご聖霊は、私たちの心に内住し、私たちと一つになって下さるお方なので、むしろ、目に見えないことに、目に見えない形で来られたことに大切な意味があるのではないでしょうか。

大昔、FBマイヤーだったでしょうか。彼がこう書いているのを読んで大変感動したことを昨日、思い出しました。「なぜ、御霊には身体がないのか。それは、あなたと一つになるためです!」…こんなようなことを言っていたと思います。

確かにそうかもしれません。とにかく、身体をもって私たちに見えるように来られた御子イエス様の恵みと、身体なしで、私たちに徹底的に見えないように来られ、私たちと一つになってくださった御霊の恵みを覚え、御子と御霊に賛美をおささげしたいと思います。ハレルヤ!
2023-02-10 18:25:30[投稿番号:305]

今読んでいるいくつかの論文から
中間時代の聖霊について
 最近は、中間時代(または、少し拡大して、第二神殿時代)の聖霊論に関する論文をいくつか読んでいます。私が気づかないうちに、こんなにもたくさんの論文が書かれていたんだと少し驚いています。

旧約時代の聖霊が終わり、新約時代の聖霊の学びを始める前に、旧約の聖霊理解が中間時代にどうなったのか、またさらに、それが新約時代にどのような影響を与えたか、知りたいところです。この質問に答えてくれそうな論文はすくないのですが、それでも、当時書かれた文献などから、中間時代の聖霊とその働きについていくらか見ることができたことはうれしいことです。

また、これまで、少し考えてきたことと違う見解などの論文も読むことができて感謝しています。一つは、中間時代の聖霊について、これを「預言の御霊」ということがありますが、これは絶対的ではないこと。もう一つは、今のことと関係がありますが、この預言の御霊は、イスラエルから完全に姿を消されたというものですが、調べてみると、確かに正典的な預言の働きは終わりましたが、それでも、聖霊の働きは続いていたと考える材料はあるということです。

ですから、新約の聖霊について考えるとき、聖霊の働きは全く失われていましたが、新約の時代に復活したということではなく、聖霊の働きは、いつでもどこでも継続的にありましたが、その中から、さらに新たに聖霊の働きが始まったということになります。

小さなことに聞こえるかもしれませんが、私にとってはこのほうが、これまでの自分なりの聖霊理解に繋がって来ると考えます。

さて、
4月から「私塾」が始まります。たぶん来週、クリスチャン新聞に公告が載ると思います。神様が、ふさわしく(参加してくださる方の数も適度に)用いて下さり、必要を感じている参加者が起こされますように。

今は、中間時代の聖霊についての学びを続けています(舟の右側の原稿のため)。また、特に、クリスチャンの「成熟」の分野に関わる、御子イエス様とご聖霊の働き(役割)で重なる部分についていろいろ考えています。聖書的な知恵が与えられますように。感謝いたします! きょうは少し休めました!ハレルヤ!
2023-02-06 18:04:30[投稿番号:304]

ゴードン・フィーが召された!
今週、1月29日付のクリスチャン新聞から
昨日届いた「クリスチャン新聞」を読んでいて、びっくりしました。恩師のフィー先生が天に召されたことが記事になっていました。今でも、フィー先生の書かれたものを読んで、何か教えられたことがあると(今でもあります!)、アルツハイマー病で長年治療を受けておられるフィー先生を覚えてお祈りしていました。
寂しい気持ちはありましたが、やっと念願の神様のもとに行かれたことを考え、ホットした気分にもなりました。

カナダ時代に最も影響を受けた人を三人挙げるとしますと、JIパッカー先生(2020年召天)、スタンレー・グレンツ先生(2005召天)、そしてゴードン・フィー先生(2022年召天)になります。いずれも、すでに天に召されています。

この三人の中でも、ゴードン。フィーは特別です。そのように言っていいでしょう。今でも、影響を受けつづけ、そのもとを歩んでいる感じです。これほどに影響を受けた人はいないでしょう。聖書神学的に(特に、聖霊論と聖書解釈の分野において)影響を受けてきました。聖書神学的に影響を受けているということは、私にとっては、これまでと今と、この後の生き方そのものに影響を受けて来たということです。なぜなら、聖書神学は聖書の教えですから、単なる知識でおわりません。生き方にかかわってくるからです。とにかく、感謝いたします!

始めて、フィー先生のクラスをとってびっくりしました。今でも、覚えていますが、学生たちに最も人気のあるクラスの一つでした。最初は、聖書のみことばについて、緻密に、アカデミックに分析し説明していくのですが、途中で、たぶん適用に近づいていくと、叫び出し、火のように燃えて、預言者のようになるのです。
ほとんど毎回、聖書の御言葉に対する怖れと愛、徹底的な熱情を感じさせる講義になっていたと思います。

個人的には、フィー先生から聖書的な聖霊論の存在を教えていただいたと言ってよいでしょう。「聖書的」というのは、徹底した聖書釈義にもとづき、これを信じ、信頼して(そのためにはあらゆる面からの精査を通して点検した上でということですが)、その上で聖書的な聖霊論の構築を目指していくということです。

学者として、分からないことは分からないと率直に語りながら、聖書釈義的に答えを求めていく姿勢はいつも変わることがなかったと言えるでしょう。また、自分がそのようにして見出した聖書の教えに関して(聖書の教えであると信じる限りにおいて)は、それまで一般に受け入れられた来た教えに(たとえ、自分が属してきた教団の教理であっても)そぐわない面が出てきた場合、いろいろとインターアクトしながらですが、自分の釈義を信じ、従っていかれる姿勢からも学ばせていただきました。

自分勝手で、独りよがりな解釈なら問題ですし、この危険をみとめながらですが、神様の真の教えを追及しておられた姿を忘れることができません。聖書解釈者として、本当になくてはならない模範を示してくださいました。

クリスチャン新聞は、アメリカの福音派で読まれている『クリスチャニティ・トゥデイ』誌からの引用として次の一節を紹介していました。「もし、パウロにクリスチャンとは何かと定義を求めたら、『クリスチャンとは、キリストに関するXとYの教義を信じる人です』と言わず、『キリストを知り、御霊の中を歩む人です』と言ったでしょう」とフィーは語った。」とありました。
正に、アーメン、アーメンです。

キリがありませんが、とにかく、今、天の神様のもとにおられるフィー先生に感謝を表したいと思います。

このような出会いを豊かに用いて下さった神様に賛美を捧げます。ハレルヤ!
2023-01-27 18:13:41[投稿番号:303]

旧約の聖霊についての学びから教えられたこと
私塾の準備がほとんどできました!
 今週、旧約の聖霊についての総まとめを、一つの課題を残して、編集社に送ることができました。いよいよ、中間時代、そして新約時代に入ります。これまでにも書きましたが、旧約の聖霊についての学びがこれほど長くつづくとは全く思っていませんでした。しかし、今、本当に感謝しています。

私としては、聖霊について、また聖霊預言について、最も重要な箇所と考えていますのは、エゼキエル36章26?27節です。またここにあります預言内容に関連した箇所になります。

と言いますのは、26節にある「新しい心、やわらかい従順な肉の心」に変えられること、また27節にある「神様の掟に従い、定めを守り行うようになる」ことについては、以前から信じられない内容でした。
すでに、イスラエルは、最初の契約に基づいて与えられた律法を破ったわけです。守れなかったのです。それなのに、神様は、新たに彼らと契約を結び、今度こそは、神様の御心にしたがって歩むようになると言っておられるのです。

実際に守れなかったイスラエルが、次は、大丈夫だという保証はあるのかと考えていました。しかし、今回の旧約の聖霊の学びを通して、26節の刷新の理由が27節にあって、神様がご自身の御霊(ルアッハ)を与えられることにあることを知ったのです。

これが、本当の意味でイスラエルが内から変えられる秘訣ではないかと考えるようになりました。詳しくは、次に出ます『舟の右側』をお読みください。これが、新約において、聖霊の内住という驚くべきことによって成就し、実現していくと考えました。私は、あえてこの恵みを、「聖霊の内住神学」と呼ぶようになりました。

一度失敗したイスラエルに、もう一度、与えられた新しい道は、聖霊の内住の恵みによって、神様の御心である真の律法を聖霊的に、内的に成就していくということです。

こんなことで、新約の聖霊に移りますが、あらためて新約における聖霊、特に聖霊の内住神学について学ぶことができることを喜んでいます。ご聖霊についての学びの良さは、学びでとどまらず、今の、これからの私自身の生き方に関わってくることです。感謝いたします。

私塾の準備がほとんどできましたので、次回の『舟の右側』に宣伝を出す予定です。また、費用はかかりますが、『百万人の福音』や『クリスチャン新聞』にも、一度は、広告を出したいと思います。

お祈りしていただけましたら、感謝です。ハレルヤ!
2023-01-20 20:15:02[投稿番号:302]

三か月半、やっとコルセットを外すことができました!した
私塾の準備が進んでいます!
 皆さん、お祈りを感謝いたします。きょう、これまでずっとつけておりましたコルセットを外すことができました。散歩中に転んで、背骨を折ってしまい、コルセット生活をつづけておりましたが、きょうで終わることができました。皆さんのお祈りを感謝いたします。

毎朝、コルセットを着けると、コルセットを軽打しながら、御父と御子と御霊がこのように取り囲んでいてくださる、って祈りました。このような祈りの儀式(?)は終わりますが、これからも、三位一体の神様が取り囲み、導いてくださることを感謝します。

年末年始は、子どもと孫を合わせて、プラス9人、全員11人で生活をしました。牧師館がいっぱいになり、時々、息苦しい(?)時もありました。
毎朝、ジィジィ(じいちゃん)は、みんなのことを覚えて祈り続けるので、お祈りの課題を書くように頼みました。みんな書いて帰りましたので、それから毎日、顔を思い浮かべながら祈り続けています。

祈りの課題の中に一つ、自分の弱さについて書いているものを見つけました。私は、本当にうれしくなり、心動かされました!

お祈りの課題を出すとき、分かち合うとき、どんな祈りの課題を出したらいいか、時と場所も考えながら準備しますね。表面的な祈りの課題もあります。その人自身のことではない、祈りの課題もあります。とても個人的な祈りの課題もあります。毎日、神様に祈り、その祈りが深まっているなあと感じる祈りの課題もあります。

出来事について祈って下さい、とお願いされることもあります。その人が苦しんでいるなあと感じる祈りの課題もあります。自分でも、何を祈ったらいいか分からない場合もあります。祈りの課題を一つに絞ることの難しさもあります。

ある意味で、「祈りの課題」を求めることは最も難しいことを求めることですね。神様を知っていないと言えません。自分自身のことも知っている必要があります。「祈り」についての理解や信仰も不可欠です。
しかしそれでも、これからも、家族や教会の兄弟姉妹から祈りの課題を聞き出し、祈り続けていきたいと願っています。

私自身の祈りの課題はなんでしょうか。いろいろな出来事や兄弟姉妹たちのための祈りの課題もたくさんありますが、一つだけ挙げなさいと言われたら、たぶん、こうなるでしょう。「私が、どんな時、どんな状況においても、主の道を外れることがないように」ということでしょう(?)

わけの分からないことをダラダラと書いてしまって、申し訳ございません。
私塾の広告に関しては、まず『舟の右側』掲載をお願いしました。たぶん、お金がつづけば(?)、『百万人の福音』、『クリスチャン新聞』などにも掲載したいと思っております。私塾の入塾申込は、2月1日から始まります。皆さん、どうぞご参加ください。お祈りください。御心がすべてなりますように。

また、『舟の右側』で連載させていただいております「旧約の聖霊」に関しての原稿を送りました。旧約の聖霊預言の中でも最も大切だと思っている箇所(エゼキエル36章26-27節)について書くことができました!…これまでの学びを纏める意味で、この箇所について触れることができたことは、本当に感謝です。ハレルヤ!
2023-01-13 18:37:40[投稿番号:301]

ローマ8章16節について
最近の動きについて
 明けましておめでとうございます!新しい一年も、どうぞよろしくお願いいたします。ワーダン・スピリットの会としても、大切な一歩が始まる一年になります。覚えて、お祈りください。

今度の礼拝において、昨年12月4日まで続けてきたローマ書からの礼拝メッセージを再開する予定です。そんなことで、今週は、ローマ書全体の教えの中心と言ってもよい8章12?17節から学び、準備して来ました。これまで、どちらかというと、16節はあまり集中的に取り上げて来なかったように思います。特に、「ともに証しして下さる」とは、いつ、誰に向かっての証しなのか、いろいろ考えました。
現在とすると、聖霊と私達の霊がより広く一般的に証言することになりますが、終末とすると、神様に向かって、聖霊と私達が証言することになります。両方の可能性がありますが、私としては、前後の文脈を考えながら、後者を強調したいと考えるようになりまいた。

つまり、終わりの時に、神様の前で、私が「神の子どもであること」を証言するのですが、共にいてくださる御霊も証言してくださるということです。
これは、なんとありがたいことでしょうか。正に、エペソ1章14節などにつながってきます。御霊が、御国を受け継ぐことの保証になって下さることの意味内容がここにあると言えるかもしれません。専門家の中でここまではっきり言っている例を見つけることができませんでしたが、きょうは、一人で喜び、感謝していました。
なお、間違っているかもしれませんので、調べて、確認していきたいと思います。

さて、年末年始に少し休みが取れましたので、いくつかのことを進めることができました。ひとつは、『舟の右側』の連載です。やっと、「旧約の聖霊」の最後をまとめることができそうです。これは、2月号用です。

ながらく、そのままになっていましたG.フィーの聖霊論の翻訳も少し進めることができました。息子に、本の内容や文脈を説明しながら、翻訳で最も難しかった箇所のいくつかをクリヤーすることができました。感謝です。あと、5、6箇所について考えたいと思います。

「私塾:ワーダン・スピリット」については、ホームページに少しずつ載せられるようになりましたので、お読みください。今度は、公に宣伝を始めたいと思っています。4月からスタートです。

子どもたち、孫たちが帰っていき、少し寂しくなりましたが、同時に、また学びに集中できそうです。今年も、家内と共に、牧会と伝道と私塾を、どれくらい続けられるか分かりませんが、最後までよろしくお願いいたします。感謝します。ハレルヤ!
2023-01-06 20:13:08[投稿番号:300]

今年もあと1日です!
ホームストレッチに差し掛かって
 皆さん、この一年も、拙いブログを読んでくださり、感謝いたします。できるかぎり、聖霊論を中心にしたいと願いつつも、時々、ハチャメチャな内容になってしまいました。お許しください。

今年もあと一日となりました。感覚的には、ゴールは見えていませんが、ホームストレッチに差し掛かっているように思います。新しい年には、私塾をスタートさせることと、フィーの聖霊論の翻訳完成と、『舟の右側』の連載の継続(今度は、新約の聖霊になります)があります。また、超教派で講演の依頼を受けていますので、「霊性」や「聖書にこだわる聖霊論」などについてお話しをさせていただきたいと考えております。

牧師館の一つの部屋が、「聖霊論」関係の書籍中心に(他に、霊性、福音派、説教、解釈、牧会なども)、一杯になっていますので、そろそろ、これらを他の方に明け渡すこと(引き継いでもらうこと)を考えております。

私塾については、たぶん、間もなく公にできると思います。そうしましたら、受付を開始しますので、覚えておいのりください。
神様が、どこまで、どのようにやることを願っておられるか、分からない部分がいろいろありますが、お祈りしながら、進めていきたいと願っております。

きょうも、ここまで読んでくださり、感謝します。
一日早いですが、新しい一年、神様にあっておめでとうございます。ハレルヤ!
2022-12-30 21:00:59[投稿番号:299]

「二つのクリスマス」について
私塾のつづき
 今週の礼拝は、ガラテヤ4章1?7節から、「二つのクリスマス」と題して説教させていただきました。ひとつは、御子のクリスマスで、もう一つは、御霊のクリスマスです。

この個所は、私自身がずっと追いかけているテーマに関係して、とても重要で教えられる箇所です。私達の信仰生活(聖化、成熟)について聖霊のことを考慮しないでお話しできませんが、では、御子は私達の信仰生活における聖化、成熟にどのように日々関わってくださるのでしょか。私たちの信仰生活の初め、土台について、御子とその御業なしに何も語ることができませんが、その後の信仰生活と御子の関係はなんでしょうか。

私は、ご聖霊のことを考えれば考えるほど、御子と私達の信仰生活の関係は何か考え、求め続けております。これからも、学びつづけていくつもりです。

さて、ガラテヤ4章のみことばに戻りますが、ここには、私達の信仰生活にとって最重要な「子とされること」「子として歩むこと」「内住のめぐみ」について語られています。しかも、御子と御霊の働きに密接な関係(連関)があります。御子は、私達をアドプトして下さる(子でない者が子とされる)。御霊は、内的に、さらに子であることを教え自覚させ、子として歩むことができるように導かれます。これが、「アバ父」と呼ぶ(叫ぶ)御子の御霊の導きです。
「心」(複数形)に遣わされているという御言葉は重要ですね。

これからも、私達の信仰生活(聖化、成熟)と内住の聖霊の臨在・
働きを確認しながら、御子がこのことにどのように関わり続けてくださるのか、期待して学びつづけていきたいと願っております。
ハレルヤ!


以下は、前回の「私塾」の続きです。カレンダー以外、だいたい、概要ができましたので、前回のものと一緒に、お読みください。

入塾条件:三つあります。第一は、三つの献身の重要性を認め、三つの献身をしておられる兄姉でしたら、どなたでも入塾できます(R.オートランド著『神・教会・社会への献身』参照)。三つの献身とは、神様に対する献身(マルコ12:29?30、ルカ9:23、エペソ5:18、ガラテヤ5:16)、教会とその交わりに対する献身(マルコ12:31、ヨハネ13:34、ガラテヤ6:2、エペソ4:1‐3)、この世界・社会に対する献身(マルコ12:31、ヨハネ20:21、マタイ28:18‐20)のことです。もちろん、この献身を測定する「物差し」はありませんので、この三つの献身の重要性を認め、実際に神様の前にこの献身を表明された兄姉ということになります。私たちは、献身についても、繰り返し失敗しやすい者たちですが、それでも、諦めずに、居直らずに、自惚れずに、日々献身を新しくしていくことを強調したいと思います。第二は、自分が属している教会のリーダー(牧師、または役員会)の許可をもらって下さい。第二の献身としてこれが必要です。第三は、上記の基本方針、神学的立場や方向性をご理解ください。よろしくお願いいたします。

*その他の重要事項:
  *第一に、以下のクラスのための受講料はありません!無料です!…ただし、参考書代などは購入していただくことになります。また、入塾(クラス)に際して、感謝として、重荷をもっておられるパラチャーチに献金されることをおすすめします。

  *第二に、クラスでの学びが完了しても、単位、修了証書、卒業証書はありません!…あなた自身が証書です。

  *第三に、クラスは、例外を除いて、3名以上で成立しますが、可能な時間帯から選んでいただくことになります。都合の良さそうな時間帯をできるだけ多く選んでください(重複選択はOKです)。なお、詳細は、別項のカレンダーで確認してください:月曜日午後から夜まで。火曜日午後から夜まで。日曜日から木曜日までの夜。

  *第四に、クラスの内容は、これまで神学校で教えてきた内容に準じたものになりますが、同時に、できるかぎり参加される兄姉の必要に合せていきたいと思います。

  *第五に、一回のクラス時間は、100分を考えています。つまり、1学期は100分×10回になります(一年に、4学期あることになります)。また、クラスによっては、1学期ではなく2学期になる場合もあります。

  *第六に、ほとんどのクラスは、ズームで行いますが、対面の交わりも必要なので、一学期に1?2回、祝日などを使って対面のクラス(または交わり)を考えています。この場合、食事代(実費)と会場費(教会へ)が必要になります。

  *第七に、受講可能なクラスは次の通りです。例外を除いて、最大で2クラスまで受講できます。聖書解釈(?旧約、?新約)、?聖霊論、?霊性、ヘブル語(?文法、?講読)、?旧約の釈義から説教、ギリシャ語(?文法、?講読)、?新約の釈義から説教、?終末論、?牧会論、?旧約小預言書概論、?各書(ヘブル語、ギリシャ語なし):伝道者の書、ルカの福音書、ヨハネの福音書、使徒の働き、パウロ書簡、黙示録など。?各書(ヘブル語、ギリシャ語あり):ヨナ書、ルツ記、伝道者の書、ヨハネの福音書、使徒の働き、パウロ書簡、黙示録など(他に追加するかもしれません)。特に??については、牧師先生たちとの交わりの学び会になる可能性があります。

  *第八に、申し込み方法は、カレンダーを見て、時間がとれそうな時間帯に、例えば、月曜日午前?とか、水曜日の夜?とか、書いて申し込んでいただきたいと思います。なお、時間帯の詳細は、後ほどお知らせいたします。三人以上そろった時点で、クラスは成立します。申込期限は3月18日です。

  *第九に、「私塾:ワーダン・スピリット(W&S)」は、4月第一週からスタートする予定です。よろしくお願いいたします。春学期は、4月初めから6月末までになります。

  *その他の連絡事項に関しては、HPの「私塾:ワーダン・スピリット」をチェックしていただけますと、最新情報を見ることができます。また、さらに何か質問などがありましたら、メールでお尋ねください。wordanspirit@nifty.com.まで、お願いいたします(渡辺睦夫)。
2022-12-23 17:37:20[投稿番号:298]