ローマ8章16節について
最近の動きについて
 明けましておめでとうございます!新しい一年も、どうぞよろしくお願いいたします。ワーダン・スピリットの会としても、大切な一歩が始まる一年になります。覚えて、お祈りください。

今度の礼拝において、昨年12月4日まで続けてきたローマ書からの礼拝メッセージを再開する予定です。そんなことで、今週は、ローマ書全体の教えの中心と言ってもよい8章12?17節から学び、準備して来ました。これまで、どちらかというと、16節はあまり集中的に取り上げて来なかったように思います。特に、「ともに証しして下さる」とは、いつ、誰に向かっての証しなのか、いろいろ考えました。
現在とすると、聖霊と私達の霊がより広く一般的に証言することになりますが、終末とすると、神様に向かって、聖霊と私達が証言することになります。両方の可能性がありますが、私としては、前後の文脈を考えながら、後者を強調したいと考えるようになりまいた。

つまり、終わりの時に、神様の前で、私が「神の子どもであること」を証言するのですが、共にいてくださる御霊も証言してくださるということです。
これは、なんとありがたいことでしょうか。正に、エペソ1章14節などにつながってきます。御霊が、御国を受け継ぐことの保証になって下さることの意味内容がここにあると言えるかもしれません。専門家の中でここまではっきり言っている例を見つけることができませんでしたが、きょうは、一人で喜び、感謝していました。
なお、間違っているかもしれませんので、調べて、確認していきたいと思います。

さて、年末年始に少し休みが取れましたので、いくつかのことを進めることができました。ひとつは、『舟の右側』の連載です。やっと、「旧約の聖霊」の最後をまとめることができそうです。これは、2月号用です。

ながらく、そのままになっていましたG.フィーの聖霊論の翻訳も少し進めることができました。息子に、本の内容や文脈を説明しながら、翻訳で最も難しかった箇所のいくつかをクリヤーすることができました。感謝です。あと、5、6箇所について考えたいと思います。

「私塾:ワーダン・スピリット」については、ホームページに少しずつ載せられるようになりましたので、お読みください。今度は、公に宣伝を始めたいと思っています。4月からスタートです。

子どもたち、孫たちが帰っていき、少し寂しくなりましたが、同時に、また学びに集中できそうです。今年も、家内と共に、牧会と伝道と私塾を、どれくらい続けられるか分かりませんが、最後までよろしくお願いいたします。感謝します。ハレルヤ!
2023-01-06 20:13:08[投稿番号:300]

今年もあと1日です!
ホームストレッチに差し掛かって
 皆さん、この一年も、拙いブログを読んでくださり、感謝いたします。できるかぎり、聖霊論を中心にしたいと願いつつも、時々、ハチャメチャな内容になってしまいました。お許しください。

今年もあと一日となりました。感覚的には、ゴールは見えていませんが、ホームストレッチに差し掛かっているように思います。新しい年には、私塾をスタートさせることと、フィーの聖霊論の翻訳完成と、『舟の右側』の連載の継続(今度は、新約の聖霊になります)があります。また、超教派で講演の依頼を受けていますので、「霊性」や「聖書にこだわる聖霊論」などについてお話しをさせていただきたいと考えております。

牧師館の一つの部屋が、「聖霊論」関係の書籍中心に(他に、霊性、福音派、説教、解釈、牧会なども)、一杯になっていますので、そろそろ、これらを他の方に明け渡すこと(引き継いでもらうこと)を考えております。

私塾については、たぶん、間もなく公にできると思います。そうしましたら、受付を開始しますので、覚えておいのりください。
神様が、どこまで、どのようにやることを願っておられるか、分からない部分がいろいろありますが、お祈りしながら、進めていきたいと願っております。

きょうも、ここまで読んでくださり、感謝します。
一日早いですが、新しい一年、神様にあっておめでとうございます。ハレルヤ!
2022-12-30 21:00:59[投稿番号:299]

「二つのクリスマス」について
私塾のつづき
 今週の礼拝は、ガラテヤ4章1?7節から、「二つのクリスマス」と題して説教させていただきました。ひとつは、御子のクリスマスで、もう一つは、御霊のクリスマスです。

この個所は、私自身がずっと追いかけているテーマに関係して、とても重要で教えられる箇所です。私達の信仰生活(聖化、成熟)について聖霊のことを考慮しないでお話しできませんが、では、御子は私達の信仰生活における聖化、成熟にどのように日々関わってくださるのでしょか。私たちの信仰生活の初め、土台について、御子とその御業なしに何も語ることができませんが、その後の信仰生活と御子の関係はなんでしょうか。

私は、ご聖霊のことを考えれば考えるほど、御子と私達の信仰生活の関係は何か考え、求め続けております。これからも、学びつづけていくつもりです。

さて、ガラテヤ4章のみことばに戻りますが、ここには、私達の信仰生活にとって最重要な「子とされること」「子として歩むこと」「内住のめぐみ」について語られています。しかも、御子と御霊の働きに密接な関係(連関)があります。御子は、私達をアドプトして下さる(子でない者が子とされる)。御霊は、内的に、さらに子であることを教え自覚させ、子として歩むことができるように導かれます。これが、「アバ父」と呼ぶ(叫ぶ)御子の御霊の導きです。
「心」(複数形)に遣わされているという御言葉は重要ですね。

これからも、私達の信仰生活(聖化、成熟)と内住の聖霊の臨在・
働きを確認しながら、御子がこのことにどのように関わり続けてくださるのか、期待して学びつづけていきたいと願っております。
ハレルヤ!


以下は、前回の「私塾」の続きです。カレンダー以外、だいたい、概要ができましたので、前回のものと一緒に、お読みください。

入塾条件:三つあります。第一は、三つの献身の重要性を認め、三つの献身をしておられる兄姉でしたら、どなたでも入塾できます(R.オートランド著『神・教会・社会への献身』参照)。三つの献身とは、神様に対する献身(マルコ12:29?30、ルカ9:23、エペソ5:18、ガラテヤ5:16)、教会とその交わりに対する献身(マルコ12:31、ヨハネ13:34、ガラテヤ6:2、エペソ4:1‐3)、この世界・社会に対する献身(マルコ12:31、ヨハネ20:21、マタイ28:18‐20)のことです。もちろん、この献身を測定する「物差し」はありませんので、この三つの献身の重要性を認め、実際に神様の前にこの献身を表明された兄姉ということになります。私たちは、献身についても、繰り返し失敗しやすい者たちですが、それでも、諦めずに、居直らずに、自惚れずに、日々献身を新しくしていくことを強調したいと思います。第二は、自分が属している教会のリーダー(牧師、または役員会)の許可をもらって下さい。第二の献身としてこれが必要です。第三は、上記の基本方針、神学的立場や方向性をご理解ください。よろしくお願いいたします。

*その他の重要事項:
  *第一に、以下のクラスのための受講料はありません!無料です!…ただし、参考書代などは購入していただくことになります。また、入塾(クラス)に際して、感謝として、重荷をもっておられるパラチャーチに献金されることをおすすめします。

  *第二に、クラスでの学びが完了しても、単位、修了証書、卒業証書はありません!…あなた自身が証書です。

  *第三に、クラスは、例外を除いて、3名以上で成立しますが、可能な時間帯から選んでいただくことになります。都合の良さそうな時間帯をできるだけ多く選んでください(重複選択はOKです)。なお、詳細は、別項のカレンダーで確認してください:月曜日午後から夜まで。火曜日午後から夜まで。日曜日から木曜日までの夜。

  *第四に、クラスの内容は、これまで神学校で教えてきた内容に準じたものになりますが、同時に、できるかぎり参加される兄姉の必要に合せていきたいと思います。

  *第五に、一回のクラス時間は、100分を考えています。つまり、1学期は100分×10回になります(一年に、4学期あることになります)。また、クラスによっては、1学期ではなく2学期になる場合もあります。

  *第六に、ほとんどのクラスは、ズームで行いますが、対面の交わりも必要なので、一学期に1?2回、祝日などを使って対面のクラス(または交わり)を考えています。この場合、食事代(実費)と会場費(教会へ)が必要になります。

  *第七に、受講可能なクラスは次の通りです。例外を除いて、最大で2クラスまで受講できます。聖書解釈(?旧約、?新約)、?聖霊論、?霊性、ヘブル語(?文法、?講読)、?旧約の釈義から説教、ギリシャ語(?文法、?講読)、?新約の釈義から説教、?終末論、?牧会論、?旧約小預言書概論、?各書(ヘブル語、ギリシャ語なし):伝道者の書、ルカの福音書、ヨハネの福音書、使徒の働き、パウロ書簡、黙示録など。?各書(ヘブル語、ギリシャ語あり):ヨナ書、ルツ記、伝道者の書、ヨハネの福音書、使徒の働き、パウロ書簡、黙示録など(他に追加するかもしれません)。特に??については、牧師先生たちとの交わりの学び会になる可能性があります。

  *第八に、申し込み方法は、カレンダーを見て、時間がとれそうな時間帯に、例えば、月曜日午前?とか、水曜日の夜?とか、書いて申し込んでいただきたいと思います。なお、時間帯の詳細は、後ほどお知らせいたします。三人以上そろった時点で、クラスは成立します。申込期限は3月18日です。

  *第九に、「私塾:ワーダン・スピリット(W&S)」は、4月第一週からスタートする予定です。よろしくお願いいたします。春学期は、4月初めから6月末までになります。

  *その他の連絡事項に関しては、HPの「私塾:ワーダン・スピリット」をチェックしていただけますと、最新情報を見ることができます。また、さらに何か質問などがありましたら、メールでお尋ねください。wordanspirit@nifty.com.まで、お願いいたします(渡辺睦夫)。
2022-12-23 17:37:20[投稿番号:298]

「…人間をとる漁師にしてあげよう」:マタイ4:19
「私塾」のつづき:
 今朝、聖書を読んでびっくりしました。イエス様は、「人間をとる漁師になりなさい」と言っておられるのではなく、「人間をとる漁師にしてあげよう」と言っておられることに気づきました。

いつ頃からか、私は、「人間をとる漁師にならなければ…」とか、「私はどれくらい人間をとる漁師になれたのか」ばかりを考えて来たように思います。しかし、御子は、「わたしが」人間をとる漁師にしてあげる、と言っておられるのでした。

ですから、私がなすことは、自分の力で「漁師になること」ではなく、「漁師にしてくださる御子に、みことばと御霊によって、従って行くこと」であることに気づきました。

少し楽になり、ホットするとともに、何について考え、何を祈り求め、何を大切にすべきか、何について吟味すべきか、ハッキリして来ました。自分自身がこれまで、どれだけのことをしてきたのかについて考えたり、数えたりすることではなく、漁師にしてくださる御子を見上げて、ついていきたいと思います。ハレルヤ!


「私塾」の準備がかなり進んで来ました。以下に、そのいくつかを書かせていただきたいと思います。皆さん、どうぞ、お祈りください。
*発足の経緯:2001年に「ワーダン・スピリットの会」として公に活動を始めて22年になります。年齢的にも、70代に入り、残された歩みについて考えるようになりました。この地上で、あと1年か、3年か、5年か、全く分かりませんが、この会を、最終的にまとめる時期が来たことを感じています。また、これまで奉仕をさせていただきました東海聖書神学塾(約25年)とキリスト聖書学園(約15年)からも、来年3月末で離任させていただくことにしました。そのような中で、少しずつはっきりしてきたことは、ワーダン・スピリットの会の最終ゴールとして「私塾」を始めることでした。「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」(ヤコブ4:15)
 この私塾を何年つづけられるか分かりません。ただ神様のお許しと導きの中で、これまでの牧会奉仕と神学校での経験を生かしながら、「みことば(聖書解釈学)」と「御霊(聖霊論)」を中心に、ズームを使って(時に、対面も)、聖書の学びを共にさせていただきたいと考えるようになりました。
 今から52年前に、神様は「人間をとる漁師にする」(マタイ4:19、マルコ1:17)と言われ、従いました。これからも、最後まで「人間をとる漁師」のままですが、合せて「人間をとる漁師にする」という神様のお働きに少しでも加わらせていただければと願っています。私も、たくさんの支えと励ましをいただいて、ここまで来ることができました。感謝いたします!

*基本方針:この私塾は、主にある兄弟姉妹の「三つの献身」(下記で説明)を少しでも励まし、深め、広げ、刷新して行く「広場」になればと考えています。また、この中から、直接献身(フルタイムの奉仕者)に導かれる兄姉が起こされましたら、これまでお交わりをいただいています、「東海聖書神学塾、キリスト聖書学園、聖書宣教会、聖契神学校、北海道聖書学院」などに、喜んで紹介させていただきたいと考えています。「神様の畑、神様の建物」が分裂したり、これを分裂させるなら意味がありません。「成長させてくださる神様」にあって「一つ」であることを大切にしながら、神様にある諸教会に仕えさせていただきたいと願っています(1コリント3:6?9)。

*神学的立場や方向性:福音主義と言えば、「聖書の最高権威性、イエス・キリストの尊厳性、聖霊の主権性、個人的回心の必要性、伝道活動の優先性、キリスト者共同体の重要性」(A.マクグラス『キリスト教の将来と福音主義』)などを挙げることができますが、これらに基づく「福音的な超教派性」と「福音の中心性」(『福音主義神学37「霊性」』を強調します。その他の信仰告白につきましては、「ワーダン・スピリットの会」HPの「会の方針」をお読みください。
 また、私塾の名称「ワーダン・スピリット」にありますように、「健全な聖書解釈とこれに基づいた聖霊論」を二つの柱として、これを大切にし、また求めていきたいと考えています。

お読みくださり、感謝いたします。
2022-12-16 18:34:13[投稿番号:297]

一人の姉妹を天に送って!
私塾:ワーダン・スピリットのつづき
 今週、一人の姉妹が天に召されました。ご主人から、ほとんど毎週、姉妹の様子についてお聞きしていましたので、家内と共に祈り続けました。ローマ4章18節に「望みえない時に望みを抱いて信じ」とありますので、このみことばを思い起こしながら、祈り続けました。ただ、最後には、あまりの痛みで苦しんでおられたので、「神様!本当に天国がそんなにいい所なら、姉妹を痛みから解放してください」と祈るようになりました。

時々、このような場合、どのように祈ったらいいのか、迷ってしまいます。また、私自身だけでなく、家族のために、どのように祈ったらいいのか、考えてしまいます。

最近も、いくつかの召天と葬儀を経験しましたが、その度に、ビリーグラハムが遺言のように語ったことばを思い起こします。「私が亡くなったという知らせを聞いても、それを一言も信じてはいけません。私は、今よりも、生き生きとすることになる(more alive!)。私は、ただ、神様のみもとに行って、住所が変わるだけである」

姉妹の拾骨にも参加させていただきましたが、その間、エゼキエル書37章を思い出していました。「見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは行き返る!」
確かな望みがあるから。しかもこれは、復活の望みです!
ですから、また、主にあってお会いしましょうと祈って来ました。


私塾については、準備を進めています。月曜日午後と火曜日午前、午後、そして、日曜日から木曜日までの夜がクラス時間になると思います。参加者は、各クラス、最低3人位は与えられると幸いですね。
クリスマス頃には、その全体像を、このHPから見ていただけるようになると思います。よろしく、お願いいたします。1月から募集を始めたいと考えています。お祈りください。
2022-12-09 18:28:59[投稿番号:296]

聖化とイエス様
私塾:ワーダン・スピリットのつづき
つづけて、ご聖霊の働きと聖化について考えています。ちょうど、ローマ書を学んでいますし、ディボーションでは、ガラテヤ書からコリント書になりましたので、私たちの信仰生活(成熟、信仰成長)にご聖霊がどのように関わり、導いてくださっているのかさらに知りたいと願っています。

また、聖化とご聖霊について考えていますので、当然、それと並行して、聖化とイエス様の関係にも注目しています。しかし、救いの初め(入信)に関しては、イエス様ご自身と私たちの関係は密接で、聖書において繰り返し書かれていますが、その後の聖化とイエス様の関係は、あまり多く書かれていないのです。どうしてでしょうか?

これは、ある意味で、驚きです。これに比べ、ローマ書やガラテヤ書では、聖化に関わるご聖霊の働きは非常に多く説明されています。
それなのに、どうして、この点について聖霊のことが語られるのが少ないのでしょうか。これからも、さらに新約聖書全体から学び直してみたいと思っております。

最近、気になっている聖書箇所の一つは、ローマ13章14節のみことばです。「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。」ガラテヤ3章27節はよく分かるのですが、どうしてローマ13章14節では、これが、命令になっているのでしょうか。これは、私たちの入信時に起こったことのはずなのに、パウロは、再び、ここで「キリストを着なさい」と命じているのです。もし、この個所をそのままとりますと、これは、キリストと聖化に関わる一か所になってくるでしょう。そして、おそらく、この背後にも、聖霊の働きが必要になるでしょう。

とにかく、聖化にかかわる聖霊の働き、キリストの働きに関心があります。これからも、さらに深め、広げていきたいと願っています。これは、私自身の問題、課題でもありますし、皆さんの問題、課題でもありますね。

最近の学びの一つとして、「Jewishness」(ユダヤ性)は永続的なものか、そうではなくて現在においては、ほとんど、「クリスチャン性」に吸収されれているのか、考えております。まだ、答えは出ていませんが、つづけて追及していきたいと思っています。関心のある方は教えてください。

「私塾」については、ホームページを準備していて下さる方がかなり準備を進めていてくださっています。しばらしくしたら、皆さんにもみていただきたいと思います。スタートは、来年4月からですが、来年の1月頃から募集を始めることができればと考えております。関心のある方がおられましたら、ご参加ください。ズーム+対面(一回か二回)でやりたいと思います。宜しくお願いいたします。
色々書いてしまいました。お読みくださり、感謝します。ハレルヤ!
2022-12-02 20:17:52[投稿番号:295]

北海道聖書学院で学んできました!
つづき…私塾:ワーダン・スピリット
 皆さん、お祈りを感謝いたします。北海道では、一足早く、初雪(ホンの少しだけ)を経験しましたが、守られて、無事に帰って来ることができました。帰りの便の中で、腰の筋が随分痛くなって苦しかったのですが、セントレアに着陸し、ホットしました。今のところ、コロナにも感染していないようです。明日の朝まで、チェックしたいと思います。

北海道聖書学院では、三回の聖書解釈関係の講義をさせていただきましたが、むしろ逆に、私のほうが、多くのことを学び、また気づかされた時になったと思っています。

ひとつは、学院の先生や神学生の皆さん、そして地域教会の先生たちとの交わりから多くの大切なことを学びました。北海道を大切に思い、道民の方々に愛をもって伝道しておられることを覚えることができました。コロナ禍にあって、どこでも、ある種の危機がありますが、その中で、神様にあって労しておられました。また、この聖書学院には「寮」があって、神学生の皆さんが一緒に(仲良く)寮生活をしておられました。とても懐かしかったですし、また、今の時代にも必要な恵みの場であることを痛感しました。

もう一つは、講義をしながら、質問を受けながら、聖書解釈の分野は、適用も含めて、過去のことではなく、今も重大で、これからも学びつづけるべき課題のあることを痛感しました。「本」を書いて終わったのではなく、これからも学び、直面していきたいと思います。聖書の御言葉がある限り、聖書解釈は重大な課題ですから。正に、ワーダン(みことば、解釈)スピリット(聖霊)の会の働きそのものを表していると思います。

「私塾:ワーダン・スピリット」は、基本的に無料でいきたいと思っていますが、気軽に入学し、気軽に途中退学されてはいけないので、どうしたらよいか考えています。良い知恵があたえられますように。また、今、「私塾」のホームページ用の内容を考え、準備しています。「工事」が済みましたら、おしらせしますので、よろしくお願いいたします。

少しずつ運転できるようになりました。机に向かっていると腰の筋が痛くなるのが時々辛いのですが、12月末(クリスマス)のコルセット脱着日を楽しみに歩んでいきたいと思います。少しずつ、朝の散歩も始めました。感謝いたします。ハレルヤ!
2022-11-25 18:05:55[投稿番号:294]

(続)私塾:ワーダン・スピリット
再来週のご奉仕の準備をしています(北海道聖書学院)
 「私塾:WS」の準備のために一歩踏み出しました。ワーダン・スピリットの会のホームページの中でいろいろな情報を発信していきたいと思います。皆さん、よろしくお願いいたします。予定ですと、来春から、ズームを使って始めたいと思います。実際に、希望者が与えられないといけませんが、クラスの可能性として、聖霊論、霊性、解釈学(旧約、新約)、ギリシャ語、ヘブル語、中級から上級へ(釈義から説教へ)、終末論、聖書の各書研究、牧会学などがあります。

基本的に無料で、内容は、それぞれ、入門編と神学校レベルのものがあります。これから、どうなるか分かりませんが、お祈りしながら、求めていきたいと思います。み心のままに…これが一番です。

皆さん、どうぞ覚えてお祈りください。これが、長年進めてきた「ワーダンスピリットの会」のゴールになるのかなと思っています。

今は、再来週、北海道に行って聖書学院での三回の集会の準備をしています。限られた中での準備ですが、北海道の皆さんの必要に届くようにと願っております。感謝いたいます。

また、「舟の右側」の連載の原稿も締切が来ました。なんとか、まとめさせていただきたいと願っています。本当に、難しいテーマに直面しますと、祈らざるをえません。

とにかく、一日のなかでも、断続的な祈りをつづけながら、歩ませていただきたいと思います。ハレルヤ!
2022-11-11 21:01:59[投稿番号:293]

「私塾:ワーダン・スピリット」について
ピリピ2章13節のみことば
 今週は、「特別な」行事や出来事のほとんどない一週間でした。その分、少し落ち着いて、考えたり、学んだり、行動することができました。

そろそろ、「私塾:ワーダン・スピリット」について結論を出さないといけないと感じて、祈りつづけています。背骨を圧迫骨折したことだけではありませんが、神様が残していてくださる時間をどのように歩んだら、神様の前に相応しいか、より良いことか、判断しようとしています。

以前ブログで、「私塾:ワーダン・スピリット」について考えていることに触れましたが、これが、神様のみこころに相応しいことなら、これにできるだけ、専念していく必要があると思っております。

重要な決断をする時は、これまで、たいてい、一度、神様の御手に全てを捧げてしまいます。そして、その後、それが本当に必要なことで、み心なら、もう一度、神様の御手から受け取るように導かれます。さあ、今回は、どうなるでしょうか。。。

ピリピ2章13節の意味について気になり、最近、少し考えるようになりました。この個所は、しばしば、自分勝手に解釈し、乱用される可能性のある個所です。その前の13節と、また、実際には、1章27節以下の文脈の中で読む必要がありますね。

2章13節は、「キリストの福音に相応しく生活しなさい」(1:27)、「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それは、キリスト・イエスのうちにも見られるものです」(2:5)、「恐れおののいて自分の救いを達成してください。」(12節)などとも繋がっています。

したがって、「あれをするか、これをするか」というレベルのことでもなく、まして、自分の今の思いを正当化させようとして用いる御言葉でもありません。

果たして、自分の心の中にあることが、単なる自分の願いに過ぎないのか、それとも、御霊の導きのもとで、キリストの福音に相応しく生きることに含まれるのか、また、自分の救いを達成することに含まれるものなのか、最後の最後まで、考えつづけ、祈り続けていきたいと思います。

皆さんのお祈りを感謝いたします。背骨の骨折は守られております。ハレルヤ!
2022-11-04 20:14:52[投稿番号:292]