「…人間をとる漁師にしてあげよう」:マタイ4:19
「私塾」のつづき:
 今朝、聖書を読んでびっくりしました。イエス様は、「人間をとる漁師になりなさい」と言っておられるのではなく、「人間をとる漁師にしてあげよう」と言っておられることに気づきました。

いつ頃からか、私は、「人間をとる漁師にならなければ…」とか、「私はどれくらい人間をとる漁師になれたのか」ばかりを考えて来たように思います。しかし、御子は、「わたしが」人間をとる漁師にしてあげる、と言っておられるのでした。

ですから、私がなすことは、自分の力で「漁師になること」ではなく、「漁師にしてくださる御子に、みことばと御霊によって、従って行くこと」であることに気づきました。

少し楽になり、ホットするとともに、何について考え、何を祈り求め、何を大切にすべきか、何について吟味すべきか、ハッキリして来ました。自分自身がこれまで、どれだけのことをしてきたのかについて考えたり、数えたりすることではなく、漁師にしてくださる御子を見上げて、ついていきたいと思います。ハレルヤ!


「私塾」の準備がかなり進んで来ました。以下に、そのいくつかを書かせていただきたいと思います。皆さん、どうぞ、お祈りください。
*発足の経緯:2001年に「ワーダン・スピリットの会」として公に活動を始めて22年になります。年齢的にも、70代に入り、残された歩みについて考えるようになりました。この地上で、あと1年か、3年か、5年か、全く分かりませんが、この会を、最終的にまとめる時期が来たことを感じています。また、これまで奉仕をさせていただきました東海聖書神学塾(約25年)とキリスト聖書学園(約15年)からも、来年3月末で離任させていただくことにしました。そのような中で、少しずつはっきりしてきたことは、ワーダン・スピリットの会の最終ゴールとして「私塾」を始めることでした。「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」(ヤコブ4:15)
 この私塾を何年つづけられるか分かりません。ただ神様のお許しと導きの中で、これまでの牧会奉仕と神学校での経験を生かしながら、「みことば(聖書解釈学)」と「御霊(聖霊論)」を中心に、ズームを使って(時に、対面も)、聖書の学びを共にさせていただきたいと考えるようになりました。
 今から52年前に、神様は「人間をとる漁師にする」(マタイ4:19、マルコ1:17)と言われ、従いました。これからも、最後まで「人間をとる漁師」のままですが、合せて「人間をとる漁師にする」という神様のお働きに少しでも加わらせていただければと願っています。私も、たくさんの支えと励ましをいただいて、ここまで来ることができました。感謝いたします!

*基本方針:この私塾は、主にある兄弟姉妹の「三つの献身」(下記で説明)を少しでも励まし、深め、広げ、刷新して行く「広場」になればと考えています。また、この中から、直接献身(フルタイムの奉仕者)に導かれる兄姉が起こされましたら、これまでお交わりをいただいています、「東海聖書神学塾、キリスト聖書学園、聖書宣教会、聖契神学校、北海道聖書学院」などに、喜んで紹介させていただきたいと考えています。「神様の畑、神様の建物」が分裂したり、これを分裂させるなら意味がありません。「成長させてくださる神様」にあって「一つ」であることを大切にしながら、神様にある諸教会に仕えさせていただきたいと願っています(1コリント3:6?9)。

*神学的立場や方向性:福音主義と言えば、「聖書の最高権威性、イエス・キリストの尊厳性、聖霊の主権性、個人的回心の必要性、伝道活動の優先性、キリスト者共同体の重要性」(A.マクグラス『キリスト教の将来と福音主義』)などを挙げることができますが、これらに基づく「福音的な超教派性」と「福音の中心性」(『福音主義神学37「霊性」』を強調します。その他の信仰告白につきましては、「ワーダン・スピリットの会」HPの「会の方針」をお読みください。
 また、私塾の名称「ワーダン・スピリット」にありますように、「健全な聖書解釈とこれに基づいた聖霊論」を二つの柱として、これを大切にし、また求めていきたいと考えています。

お読みくださり、感謝いたします。
2022-12-16 18:34:13[投稿番号:297]

一人の姉妹を天に送って!
私塾:ワーダン・スピリットのつづき
 今週、一人の姉妹が天に召されました。ご主人から、ほとんど毎週、姉妹の様子についてお聞きしていましたので、家内と共に祈り続けました。ローマ4章18節に「望みえない時に望みを抱いて信じ」とありますので、このみことばを思い起こしながら、祈り続けました。ただ、最後には、あまりの痛みで苦しんでおられたので、「神様!本当に天国がそんなにいい所なら、姉妹を痛みから解放してください」と祈るようになりました。

時々、このような場合、どのように祈ったらいいのか、迷ってしまいます。また、私自身だけでなく、家族のために、どのように祈ったらいいのか、考えてしまいます。

最近も、いくつかの召天と葬儀を経験しましたが、その度に、ビリーグラハムが遺言のように語ったことばを思い起こします。「私が亡くなったという知らせを聞いても、それを一言も信じてはいけません。私は、今よりも、生き生きとすることになる(more alive!)。私は、ただ、神様のみもとに行って、住所が変わるだけである」

姉妹の拾骨にも参加させていただきましたが、その間、エゼキエル書37章を思い出していました。「見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは行き返る!」
確かな望みがあるから。しかもこれは、復活の望みです!
ですから、また、主にあってお会いしましょうと祈って来ました。


私塾については、準備を進めています。月曜日午後と火曜日午前、午後、そして、日曜日から木曜日までの夜がクラス時間になると思います。参加者は、各クラス、最低3人位は与えられると幸いですね。
クリスマス頃には、その全体像を、このHPから見ていただけるようになると思います。よろしく、お願いいたします。1月から募集を始めたいと考えています。お祈りください。
2022-12-09 18:28:59[投稿番号:296]

聖化とイエス様
私塾:ワーダン・スピリットのつづき
つづけて、ご聖霊の働きと聖化について考えています。ちょうど、ローマ書を学んでいますし、ディボーションでは、ガラテヤ書からコリント書になりましたので、私たちの信仰生活(成熟、信仰成長)にご聖霊がどのように関わり、導いてくださっているのかさらに知りたいと願っています。

また、聖化とご聖霊について考えていますので、当然、それと並行して、聖化とイエス様の関係にも注目しています。しかし、救いの初め(入信)に関しては、イエス様ご自身と私たちの関係は密接で、聖書において繰り返し書かれていますが、その後の聖化とイエス様の関係は、あまり多く書かれていないのです。どうしてでしょうか?

これは、ある意味で、驚きです。これに比べ、ローマ書やガラテヤ書では、聖化に関わるご聖霊の働きは非常に多く説明されています。
それなのに、どうして、この点について聖霊のことが語られるのが少ないのでしょうか。これからも、さらに新約聖書全体から学び直してみたいと思っております。

最近、気になっている聖書箇所の一つは、ローマ13章14節のみことばです。「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。」ガラテヤ3章27節はよく分かるのですが、どうしてローマ13章14節では、これが、命令になっているのでしょうか。これは、私たちの入信時に起こったことのはずなのに、パウロは、再び、ここで「キリストを着なさい」と命じているのです。もし、この個所をそのままとりますと、これは、キリストと聖化に関わる一か所になってくるでしょう。そして、おそらく、この背後にも、聖霊の働きが必要になるでしょう。

とにかく、聖化にかかわる聖霊の働き、キリストの働きに関心があります。これからも、さらに深め、広げていきたいと願っています。これは、私自身の問題、課題でもありますし、皆さんの問題、課題でもありますね。

最近の学びの一つとして、「Jewishness」(ユダヤ性)は永続的なものか、そうではなくて現在においては、ほとんど、「クリスチャン性」に吸収されれているのか、考えております。まだ、答えは出ていませんが、つづけて追及していきたいと思っています。関心のある方は教えてください。

「私塾」については、ホームページを準備していて下さる方がかなり準備を進めていてくださっています。しばらしくしたら、皆さんにもみていただきたいと思います。スタートは、来年4月からですが、来年の1月頃から募集を始めることができればと考えております。関心のある方がおられましたら、ご参加ください。ズーム+対面(一回か二回)でやりたいと思います。宜しくお願いいたします。
色々書いてしまいました。お読みくださり、感謝します。ハレルヤ!
2022-12-02 20:17:52[投稿番号:295]

北海道聖書学院で学んできました!
つづき…私塾:ワーダン・スピリット
 皆さん、お祈りを感謝いたします。北海道では、一足早く、初雪(ホンの少しだけ)を経験しましたが、守られて、無事に帰って来ることができました。帰りの便の中で、腰の筋が随分痛くなって苦しかったのですが、セントレアに着陸し、ホットしました。今のところ、コロナにも感染していないようです。明日の朝まで、チェックしたいと思います。

北海道聖書学院では、三回の聖書解釈関係の講義をさせていただきましたが、むしろ逆に、私のほうが、多くのことを学び、また気づかされた時になったと思っています。

ひとつは、学院の先生や神学生の皆さん、そして地域教会の先生たちとの交わりから多くの大切なことを学びました。北海道を大切に思い、道民の方々に愛をもって伝道しておられることを覚えることができました。コロナ禍にあって、どこでも、ある種の危機がありますが、その中で、神様にあって労しておられました。また、この聖書学院には「寮」があって、神学生の皆さんが一緒に(仲良く)寮生活をしておられました。とても懐かしかったですし、また、今の時代にも必要な恵みの場であることを痛感しました。

もう一つは、講義をしながら、質問を受けながら、聖書解釈の分野は、適用も含めて、過去のことではなく、今も重大で、これからも学びつづけるべき課題のあることを痛感しました。「本」を書いて終わったのではなく、これからも学び、直面していきたいと思います。聖書の御言葉がある限り、聖書解釈は重大な課題ですから。正に、ワーダン(みことば、解釈)スピリット(聖霊)の会の働きそのものを表していると思います。

「私塾:ワーダン・スピリット」は、基本的に無料でいきたいと思っていますが、気軽に入学し、気軽に途中退学されてはいけないので、どうしたらよいか考えています。良い知恵があたえられますように。また、今、「私塾」のホームページ用の内容を考え、準備しています。「工事」が済みましたら、おしらせしますので、よろしくお願いいたします。

少しずつ運転できるようになりました。机に向かっていると腰の筋が痛くなるのが時々辛いのですが、12月末(クリスマス)のコルセット脱着日を楽しみに歩んでいきたいと思います。少しずつ、朝の散歩も始めました。感謝いたします。ハレルヤ!
2022-11-25 18:05:55[投稿番号:294]

(続)私塾:ワーダン・スピリット
再来週のご奉仕の準備をしています(北海道聖書学院)
 「私塾:WS」の準備のために一歩踏み出しました。ワーダン・スピリットの会のホームページの中でいろいろな情報を発信していきたいと思います。皆さん、よろしくお願いいたします。予定ですと、来春から、ズームを使って始めたいと思います。実際に、希望者が与えられないといけませんが、クラスの可能性として、聖霊論、霊性、解釈学(旧約、新約)、ギリシャ語、ヘブル語、中級から上級へ(釈義から説教へ)、終末論、聖書の各書研究、牧会学などがあります。

基本的に無料で、内容は、それぞれ、入門編と神学校レベルのものがあります。これから、どうなるか分かりませんが、お祈りしながら、求めていきたいと思います。み心のままに…これが一番です。

皆さん、どうぞ覚えてお祈りください。これが、長年進めてきた「ワーダンスピリットの会」のゴールになるのかなと思っています。

今は、再来週、北海道に行って聖書学院での三回の集会の準備をしています。限られた中での準備ですが、北海道の皆さんの必要に届くようにと願っております。感謝いたいます。

また、「舟の右側」の連載の原稿も締切が来ました。なんとか、まとめさせていただきたいと願っています。本当に、難しいテーマに直面しますと、祈らざるをえません。

とにかく、一日のなかでも、断続的な祈りをつづけながら、歩ませていただきたいと思います。ハレルヤ!
2022-11-11 21:01:59[投稿番号:293]

「私塾:ワーダン・スピリット」について
ピリピ2章13節のみことば
 今週は、「特別な」行事や出来事のほとんどない一週間でした。その分、少し落ち着いて、考えたり、学んだり、行動することができました。

そろそろ、「私塾:ワーダン・スピリット」について結論を出さないといけないと感じて、祈りつづけています。背骨を圧迫骨折したことだけではありませんが、神様が残していてくださる時間をどのように歩んだら、神様の前に相応しいか、より良いことか、判断しようとしています。

以前ブログで、「私塾:ワーダン・スピリット」について考えていることに触れましたが、これが、神様のみこころに相応しいことなら、これにできるだけ、専念していく必要があると思っております。

重要な決断をする時は、これまで、たいてい、一度、神様の御手に全てを捧げてしまいます。そして、その後、それが本当に必要なことで、み心なら、もう一度、神様の御手から受け取るように導かれます。さあ、今回は、どうなるでしょうか。。。

ピリピ2章13節の意味について気になり、最近、少し考えるようになりました。この個所は、しばしば、自分勝手に解釈し、乱用される可能性のある個所です。その前の13節と、また、実際には、1章27節以下の文脈の中で読む必要がありますね。

2章13節は、「キリストの福音に相応しく生活しなさい」(1:27)、「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それは、キリスト・イエスのうちにも見られるものです」(2:5)、「恐れおののいて自分の救いを達成してください。」(12節)などとも繋がっています。

したがって、「あれをするか、これをするか」というレベルのことでもなく、まして、自分の今の思いを正当化させようとして用いる御言葉でもありません。

果たして、自分の心の中にあることが、単なる自分の願いに過ぎないのか、それとも、御霊の導きのもとで、キリストの福音に相応しく生きることに含まれるのか、また、自分の救いを達成することに含まれるものなのか、最後の最後まで、考えつづけ、祈り続けていきたいと思います。

皆さんのお祈りを感謝いたします。背骨の骨折は守られております。ハレルヤ!
2022-11-04 20:14:52[投稿番号:292]

とても忙しい一週間になりました。
守られていることを感謝いたします!
 今週は、いろいろな行事があって本当に忙しかったです。日曜日の午後には、教団の評議会があり、11月総会の準備をしました。月曜日の午後には、卒業した神学校(現在の聖書宣教会)の同窓研修会、火曜日は午前と午後に神学校のクラス、水曜日の午後に市内牧師会、木曜日の午前に聖書研究祈祷会(これはいつもあります)、金曜日の午後に、結婚式のリハーサルが日進市の教会でありまして、立証人でしたので、ご奉仕の確認をし、帰りに、ある方を訪問しました。そして、きょう、結婚式と披露宴があり、だいぶ疲れて帰って来ました。家内の運転に感謝し、背骨もなんとか守られたようで、このことについても感謝しました。

神様にあるお二人の再出発のめぐみに触れると共に、一教会を越え、一教団を越えて、神様にある豊かな交わりがあることに感謝しました。多くの懐かしい方々にお会いすることができました!

そして、実はまだ、終わりません。明日は、講壇交換で隣の教会で礼拝奉仕、午後は帰って来て、「秋のファミリーコンサート」があります。メッセージは、短くて10分程ですが、祈りを込めて、お話ししたいと思っています。ご聖霊が、助けて、導いて下さいますように。

今思わず、来週の予定を見て、ホットしました。特別な予定や行事が一つもなかったのです。。。ただし、『舟の右側』の次の原稿をまとめて行く必要がありますし、11月の後半に、北海道でご奉仕がありますので、準備をつづけております。

以前は、10分間、机に向かうだけでも、背骨(腰)が痛くなり、集中することが大変でしたが、痛みもとれ、だいぶ慣れて来ました。時々、コルセットをたたきながら、御父と御子と御霊がこのように取り囲んで下さる!と、嬉しい確認しています。

忙しすぎるとよくありませんが、今晩も、神様の前に静まり、たくさんの感謝をお捧げしたいと思います。ハレルヤ!
2022-10-29 18:55:09[投稿番号:291]

お祈り感謝します。守られています!
ローマ書8章23節「御霊の初穂」について
 秋の収穫期を迎えております。周りの田んぼの稲刈りも、今は機械化され、あっという間に終わっていきます。今年の霊的収穫も、神様に祈り求めます。

牧師館の玄関の右と左は、私のささやかな花壇です。前にもお話ししましたように、だいたい、亜熱帯(?)の植物を植えているのですが、今は、花盛りで嬉しい気分です。植木鉢で育てていた時と違って、ハイビスカスは、4つか5つ、同時に咲いています。やっと、ブーゲンビリアの花が咲き始めました。育て方を間違えたようです。

さて、最近、繰り返して、ローマ書をディボーションで読んでいます。前から、理解しずらい箇所の一つとして、8章23節の「御霊の初穂」がありました。
御子の初穂(1コリント15:20)は明らかですが、どうして、ここでパウロは、「御霊の初穂」と呼んでいるのでしょうか。文脈からいろいろ考えました。前後の文脈は、非常に終末的で、今の苦しみの中で、世の終わりの完成を待ち望んでいることが強調されています。
したがって、今の苦しみの中で聖霊を「初穂」といて受けている私たちは、後のエスカトン(完成の時)において、聖霊の豊かな働きにあずかり、完成されることが言われているのではないかと考えました。
エスカトンにおける聖霊の働きは直接的には書かれていませんが、それが前提になって、今は「聖霊の初穂」で、ある種の保証となり、後のエスカトンには、聖霊の大雨が降ることが暗示されているようです。
今ものちも、ご聖霊の臨在とお働きを信じ、待ち望みたいと思います。

まだまだ、ご聖霊とその働きについて分らないことがあります。これからも、教えられていきたいと思います。『舟の右側』の連載は、やって、旧約の聖霊のまとめに入りました。いろいろ発見したことなどをまとめていきたいと思います。

皆さんのお祈りを感謝いたします。ハレルヤ!
2022-10-21 17:57:50[投稿番号:290]

コルセット生活が始まりました
・・・お祈り感謝いたします!
 コルセットを強く締めすぎると呼吸が苦しくなりますし、ゆるくすると、コルセットの意味がなくなります。「ちょうどいいかげん」が難しいです。少しずつ、慣れていきたいと思います。お祈りありがとうございます。

少し前、腰の痛みを感じたら、いつも心の中で「アバ父よ」と叫ぼうと決めましたが、今度は、「コルセット」を意識したら、同時に、三位一体の神様が取り囲んで、永遠の命の交わりに入れて下さっていることを意識することに決めました。

いつも、ディボーションやその他の祈りのなかで、三角形をイメージして、御父と御子と御霊の交わりの真ん中に自分を置くようにしていましたが、さらに、コルセットを利用して、神様の生ける臨在を意識しようと試みております。

今、ディボーションでローマ書のはじめに戻って、繰り返し読んでいますが、8章9節にこのようにあります。「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。」御霊が内住してくださり、また御霊がおおって、取り囲んでいて下さる事を感謝します。

今は、『舟の右側』の原稿として、旧約の聖霊の最後のまとめに入りました。最初は、1回か2回で終わる予定でしたが、なんと、8回(?)になってしまいました。本当に、教えられること、発見することが多くありました。たいていは、すでに原稿や流れがあって、連載をすすめて行くのですが、旧約の聖霊についての学びはまったくそうではありませんでした。学びながら、原稿を準備し、その後の流れも、なんとなく想像するという感じです。これまでは、ヘブル語文の厳密な解釈なども必要でしたので、細かく、難しくなったかもしれませんが、最後のまとめは、初めに戻って、少し分かりやすくまとめたいと思います。

痛み中心の生き方が、自分中心の生き方にならないように、かえって、私よりももっともっと痛み、戦っておられる兄姉がたくさんおられるので、兄姉のことを、今まで以上により深く覚えながら、お祈りをつづけたいと思います。

ここまでお読みくださり、感謝いたします。ハレルヤ!
2022-10-14 19:37:17[投稿番号:289]