今年もあとわずか。 | | クリスマスのこころ | 先週は、インフルエンザ(A)にかかってブログを書くことができませんでした。ほとんど三年間、コロナやインフルエンザから守られて来ましたが、「まさか」、ついにインフルエンザにかかってしまいました。39度以上の熱が続きましたので、熱が下がった後も、体力的にガクンと落ちてしまった感じです。
今週の礼拝メッセージは、まだ感染の可能性が残っていましたので、「声」だけで、メッセージをさせていただきました。目の前に教会の兄弟姉妹がおられないので大丈夫かな?と思いましたが、結局、メッセージ時間はいつもと変わらなかったようです。聴いて下さった皆さんは大変だったと思います。
とにかく、やっと回復することができ、感謝いたします。
今週の火曜日で、この秋期の私塾が終わり、新年度の私塾の準備が始まりました。一応、火曜日の午前に「牧会学+牧会道」、火曜日の夜に「聖霊論1」、そして木曜日の夜に「ヨハネの福音書」の三つのクラスを始める予定です。
今回は、特に、クラスとしては、初めてのクラスが二つありますので、早めに準備を進めていく必要があると思います。「聖霊論1」はこれまでのクラス内容とあまり変わらないかもしれませんが、「牧会学+牧会道」は、アメリカのトリニティ神学校で学んだことと、これまでの牧会経験を混ぜ合わせてクラスを進めていきたいと思っています。また、「ヨハネの福音書」の学びは、?知り、理解すること、?解釈すること、?適用することを大切にしたいと思っています。ややもすると、これまでの聖書の学び(各書)は、?だけを強調したり、あっても、?と?だけで終わってしまうことがありましたので、?も大切にしながら、共に教えられていきたいと思っています。少し、スピリチュアルな学びになるのではと期待しております。覚えておいのりください。
いよいよ、明後日は、クリスマス礼拝と祝会があります。いろいろ考えましたが、今回は、クリスマスの出来事に表されている神様の深いみこころを知り、分かち合うことを大切にしていきたいと考えています。少しでも、クリスマスにおける神様の愛のみこころを、参加して下さる方々に届けることができればと願っております。
皆さん、メリークリスマス! | | 2023-12-22 17:22:43[投稿番号:351] |
聖霊の内住を動的に考える | | 毎日、毎回の祈りの中で | イエス様が十字架にかかられたことはイエス様だけの出来事(御業)です。もちろん、三位一体的に、そこに、御父と御霊が共におられたと言えます。
では、聖霊(だけ)の御業と言えるものがあるでしょうか。やはり、聖書から出て来ることの第一は、私達の心に内住しておられることです。ここから、私としましては、聖霊の内住神学(内住の御霊神学)を考えるようになっています。
確かに、聖霊が私達の心に住んでおられることは事実であり、クリスチャン生活や教会生活においてなくてはならない、最重要な出来事(恵み)であると思います。
イエス様が心におられる(内住しておられる)ことについての言及が聖書ないわけではありませんが、これは、私達の「信仰」の結果、「信仰」によることだと考えます。もちろん、三位一体的に言えば、間違いではありません。例えば、ヨハネ14:23(ただし、この場合は、御子と御父がともに住む)とあります。ローマ8:10(これは、前後から、「キリストの御霊」の略かもしれないと考えます)、エペソ3:17(これは、祈りであり、「信仰によって」とあるとおり。正に、信仰の出来事です」、)
聖霊の内住の場合は、変な言い方になるかもしれませんが、事実通り、私達の心に住んでおられるということです。しかも、毎日毎日住んでおられるということです。動的に言いますと、毎日(毎朝)、私達の心に来て、住んでくださるという奇跡が起こっているということです。静的なことではなく、そういう内住という状態が続いているというだけではなく、動的に、聖霊の内住が起こっているということです。
最近は、このような聖霊の内住の奇跡(毎日)の恵みを感じて、喜んでいます。ハレルヤ! | | 2023-12-08 18:04:13[投稿番号:350] |
聖霊の内住のめぐみ(つづき) | | 永遠のいのちの御霊 | 10月20日のブログから、内住の聖霊のめぐみについて、教えられていること、今、考えていることなど、書いて来ました。
今回も、このテーマの一つを取り上げたいと思います。内住の聖霊の名前(呼び名)は、聖書の中にいろいろ出てきます。もう一人の助け主(パラクレートス)、真理の御霊、子とする御霊、力の御霊などありますが、さらにもう一つ、ヨハネの福音書4章と7章からの「永遠のいのちの御霊」を加えたいと思います。これも、本当に教えられますし、大きな恵みになります。
4章にこうあります。「 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」13?14節
7章にこうあります。「「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」37?39節
4章と7章で言われていることの内容はほぼ同じと考えてよいと思います。「水」はやがて来られる約束の御霊であり、その御霊が来られることによって、私たちの心は「永遠のいのちの泉」となり、「川」となるということです。聖霊と永遠のいのちと私達の心の厳密な相互関係は分かりませんが、おそらく、私達の心に聖霊が来られることによって永遠のいのちが生み出される(始まる)ということではないでしょうか。しかも、「泉」と「川」はその祝福の豊かさを表現しているのではないかと考えます。
内住の聖霊は、私達の心の中で、永遠のいのちの源となり、私達の心を永遠のいのちで満たし、溢れさせてくださると考えます。
正に、これは、「真に渇くことのない水」を表していると言えます。つまり、永遠のいのちの現実(御父との、御子との交わりの祝福)が、私たちのこころにあって(始まって)溢れていくということです。
これも、聖霊の内住のめぐみの一つと言えます。ハレルヤ! | | 2023-12-02 16:35:03[投稿番号:349] |
聖霊の内住のめぐ | | | | | 2023-12-02 16:05:33[投稿番号:348] |
一年の外部奉仕を振り返って | | 心から感謝いたします! | 昨日、横浜の三つの教会合同の修養会でご奉仕をさせていただきました。テーマは、「神の子どもとして生きる」で、午前と午後に二つの集会がありました。時間も十分与えられ、皆さんも、眠らないで(?)ついて来て下さいました。
礼拝メッセージでもそうですが、会衆の皆さんは、メッセージを聞きながら礼拝をささげられるのですが、説教者はメッセージの奉仕をしながら、礼拝を捧げます。ある意味で、みことばの奉仕者が一番、恵まれると言えるかもしれません。
この一年の予定の外部奉仕が昨日、全て終わり、神様に感謝しました。ホットしています。ある意味で、また確かに、奉仕をさせていただいた自分が一番恵まれ、教えられてきたと言えるかもしれません。また、参加してくださった兄姉との交わりや質問などを通しても、よく教えられます。
北は北海道から、西は神戸まで、今年は、いろいろなところに行かせていただきました。また、テーマもイロイロでした。重なっているテーマもありました。
これまで、振り返ってみて、信仰もって54年になりますし、牧師になって46年になりますが、本当にたくさんの方々から教えをいただいてきました。本当です!
ですから、同じように、いただいたものを、機会があたえられれば、他のみなさんにお返ししたいと心から願っています。
あと、何年できるか分かりませんが、神様のみこころなら生きていて、これを、またあれをさせていただきたいと思っています(ヤコブ4:15)。ハレルヤ! | | 2023-11-24 18:26:51[投稿番号:347] |
聖霊の内住のめぐみ(つづき) | | 御霊に満たされて愛の律法を全うする | 最近のブログにおいて、つづけて「聖霊の内住」の恵みについて書いています。今回は、内住の聖霊に満たされて、神様の愛の律法を全うすることについて書きたいと思います(以前、少し触れました)。
この事について特に助けになるみことばは、ローマ8章4節で「御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされる」とあります。また、さらにこのことの、より詳しい御言葉として、ガラテヤ5章から6章を挙げることができます。旧約聖書から挙げるとしますと、やはり、私自身、最も大切なみことばの一つと思っています、エゼキエル36章26‐27節です。
ここには、律法主義ではなく、聖霊主義によって、聖霊に満たされ、導かれて、愛の律法を全うしていく道が書かれています。律法主義では、神様の律法(シナイ山の麓で契約を結んだ時に与えられた、イスラエルが神の民として生きるための律法)を全うすることはできませんでした。イスラエルの民の歴史がそのことを明らかにしています。
では、恵みによって救われた、新しい契約の、新しい神の民はどうでしょうか。上記のみことばによって、本当の意味で、神様からの愛の律法を全うする道が備えられていると言えます。それが、内住しておられる聖霊によって、聖霊に満たされ導かれて、神様の愛の律法を行っていくことです。もちろん、これは、一方で、愛の御父と御子によって備えられた救いの恵みに生きることですが、実際には、信じて受けた聖霊によって、愛の律法を全うしていく道であると言えます。
聖霊の内住の恵みの一つは、御霊に満たされ、導かれて、神様からの愛の律法を全うしていく道のことです。御霊に満たされること以外に、他の道や方法はあるでしょうか。
これからも、聖霊の内住の恵みについて考えていきたいと思います。感謝いたします。ハレルヤ! | | 2023-11-17 18:05:22[投稿番号:346] |
聖霊の宮であることを喜ぶこと | | 特に、詩篇から味わいたいと思います。 | ご聖霊の内住の奇跡が毎日起こっていることを確認し、また感じています。静的ではなく、この恵みを毎日、動的に覚えながら祈っていきたいです。
罪人のかしらである私の心に聖霊が毎日内住してくださることは驚きであり、奇跡です。あり得ないことが毎日起こっています!
さて、毎日、毎回お祈りするときに、聖霊の内住の恵みがどんなものであるか考え、いろいろ確認しています。今晩は、その一つに注目したいと思います。それは、1コリント6章19‐20節にありますように、聖霊が内住され、私たちの心は、今聖霊の宮となっているという恵みです。
この恵みについて、最近、詩篇からいろいろ教えられました。よく知られている詩篇の一つに、23篇6節の「私はいつまでも、主の家に住まいます」があります。
他にもいろいろあります。調べてみますと、詩篇には少なくとも、「宮」に関する歌(うた)が10回あります。5篇7節では、宮に向かってひれ伏し、礼拝しています。27篇4節は宮の素晴らしさの理由が詠われています。その中心に麗しい主がおられるからです。ここに住むことこそ私たちの唯一の願いです。どの詩もどの詩も、アーメン!と叫びたくなるような内容です。
最後に興味深い詩を引用します。122篇1節にこうあります。「さあ 主の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき、私は喜んだ。
本当に、主の家は「喜び」です。なぜなら、そこに私たちが求めている「主」がおられるからです。
皆さん、これは、旧約時代のことです。人々は、神様に渇き、求めて、神の幕屋、神の神殿、神の家に行ったのです。
しかし今は、違います。神様の方から、ご聖霊のほうから、エデンの東に住む私たちのところに、罪人のかしらである私たちの心に来てくださり、私たちのこころを神の宮、聖霊の宮とされたのです。
私たちから行くのではなく、神様が来てくださり、宮とされたのです。これは、現代の、毎日毎日の奇跡ですね。そう思います。
内住のご聖霊が心におられ、心を宮としていて下さる奇跡に、おどろき、恐れましょう!ハレルヤ! | | 2023-11-10 19:43:04[投稿番号:345] |
月曜日から水曜日まで韓国に行ってきました! | | ソウルではなく、田舎のテアンに行きました | バスターミナルからバスで3時間以上かかりましたが、初めて、韓国の田舎に行ってきました。近くには、マリポという海岸がきれいで場所もありました。夏には、ソウルなどからたくさんの人々が集まって来るようですが、今は、とても静かでした。
以前、韓国のクリスチャン人口は4分の1位だと聞いていましたが、今は、1割くらいかもしれません。特に、コロナの後、教会に来られる人々の数はかなり減って来ているようです。また、ソウルのような大都会では世俗化が進んでいます。
ただ、バスでソウルからテアンの田舎まで来ましたが、バスの窓から多くの、しかも堂々とした建物の教会堂を見かけました。これは、田舎に来ても変わることがなく驚きました。この点では、北米に似ているかもしれません。韓国では、まず一般の人々(庶民)にキリストの福音が広がったと言えるかもしれません。
韓国の教会も、コロナ期、コロナ後…同じような経験をして、これからどのように再出発していくかという、大きな課題に直面しているのを感じました。
これは、宣伝ですが、11月1日から、韓国のオリュン教会主催の「ダニエル祈祷会」が始まっています。ぜひ、皆さん、視聴してみてください。夜の7時頃から10時頃まで集会が毎晩もたれています。ユーチューブで、「2033ダニエル祈祷会」と検索し、生放送三日目(11月3日なら)を選んでみてください。21日まで、毎夜、つづきます。講師や証し者は非常に多様で、日本語通訳もありますので、自由に聴くことができます。
これらの集会も、コロナ後の再出発として用いられることを願っています。ハレルヤ! | | 2023-11-03 20:40:23[投稿番号:344] |
最近、考えていること…現代の奇跡 | | さらに、聖霊の内住について | 御子の受肉や復活は、2000年前の奇跡です。これは事実であると信じています。そしてその結果としての恵みは永遠のもので、今も続いています。
しかし、聖霊の内住について考えてみますと、これは、現在の継続的な奇跡であると言えるのではないでしょうか。
内住は永続的で、信じたときからずっと今に至るまで継続しています。ということは、昨日も、聖霊の内住をいただき、きょうも聖霊の内住をいただいて、生きていることになります。
ということは、聖霊の内住は、きのうも、きょうも、明日も、継続する、または起こり続ける「現代の奇跡」であるといえるのではないでしょうか。当たり前のことではありません。
実際、私は「罪の人のかしら」であり、その私が、聖なる御霊をきょうも受けることは、正に奇跡としか言いようがありません。このような奇跡が、きょうも、明日も起こるのです。
私は、少し視点を変えてお話していますが、これほどの偉大で、嬉しい、あり得ない、現代の奇跡は他にないのではないでしょうか。
あらためて、今、聖霊の内住の恵みを覚えています。
この恵みに立って、前回書きましたように、神の子どもであること、聖霊の宮であること、内的に聖霊主義で神様の真の律法(愛の律法)を全うするものとされていること、内住の聖霊は、パラクレートスで、真理の御霊であることです。
ハレルヤ、ハレルヤ! | | 2023-10-27 19:48:43[投稿番号:343] |
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