今朝のディボーションから | | ヨハネの福音書3章6節 | 明けましておめでとうございます!
よく知っている箇所であるが、今朝読んでいて特にヨハネ3章6節に注目した。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」ギリシャ語から詳訳するとこうなる。「(冠詞あり)肉の中から生まれた、生まれている(完了形の動詞)者は肉のままである(この場合の肉は、最初の肉と同じ名詞であるが冠詞はない。形容詞的に訳されるかも。⇒肉的、肉に属している、肉のまま)。(冠詞あり)御霊のうちから生まれた、生まれている(完了動詞)者は霊のままである(または冠詞はないが、意味として、聖霊的である、聖霊に属している、囲まれている)。
果たして、最後の「…霊です」という新改訳(三版、2017)の訳はこれでいいのか。ここでの「霊」の意味を、単に「肉」と対比される「霊、霊的」と理解されてしまいそうである。しかしここでの「霊」の意味は、前節の「神の国にはいる」ことの近い意味として考えれば、私は、ここは、「聖霊的、聖霊に属している、聖霊に囲まれている、導かれている」と訳したい。
今朝、このみことばを味わい、考えながら散歩した。こんなに素晴らしいみことばがあるだろうか。私たちは、イエス様を信じたことを通して、御霊の内から生まれ、今も後も、聖霊的なもの、聖霊に属するもの、囲まれ、導かれている者とされているのである!
私たちが「聖霊的!」とされていることのしるしはあるのか。少なくとも言えることは、?聖霊が充満しておられる御国に属している者とされて喜び、御国の完成に向かっていること、?ヨハネ17章3節にあるように、御父と御子を知り、御父と御子を慕い求めていることだろう。
最近、詩篇の記者たちが、「神様の御顔を慕い求めている」とか、「御顔の光を輝かせてください」とか、「御顔を隠さないでください」と祈っている祈りが気になっている。
私たちの信仰は、キリスト教という宗教、教理、教え、プログラム、組織や伝統、歴史、ある種のグループ意識でもなく、その中心に、神様ご自身への慕い求めがあると言ってよいだろう。そしてこれこそが、「聖霊的」とされていることの現れ、しるしではないか。新しい一年の歩みの中で、また神様ご自身を、御霊によって慕い求めていきたい。 | | 2018-01-03 21:50:30[投稿番号:34] |
私は説教を信じる! | | 人格をもった神様が現れよ! | 今年は、4月から、一か月に一回、牧師のためのアドバンスコースを担当している。午前、説教について、午後、牧会について学び、共に分かち合いの時をもっている。そんなことで、いつでも「説教」とは何かについて考え続けていると言ってよいだろう。説教の奉仕を始めて、約50年近くになる。それでもなお、説教とは何かについて考え、より良い、よりふさわしい説教を求めている。
最近、説教の意義について再発見したことがある。それは、「人が語って初めて、神様というお方が伝わること」である。つまり、人格をもった神様をよりふさわしくお伝えするためには、語る側も、人格をもって、人格を通して語る必要があるということである。聖書の学びも意味がある。聖書朗読も意味がある。大切である!しかし読んだり、学んだりするだけでなく、やはり人が語ったものを聴く必要があるだろう。そして何よりも、その福音メッセージは、人格的に語られる必要があるのではないか。…これによって、最も大切な、神様のご人格が伝えられるのではないか。
イエス様の教えとイエス様ご自身とは切っても切れない関係にある。同じように、聖書の教え(メッセージ)も、説教者(たぶん、一番より良いのは、聴衆がよく知っている牧会者)を通して、人格的に、人格的な交わりや触れ合いを通しながら、語られることがよりふさわしいのではないか。
これさえあれば大丈夫ということではないが、説教の中心は、人格的に語ることにあると言っても過言ではないだろう。これこそ、人格をもった神様が、より豊かに現されることになる。明日、礼拝説教奉仕があるが、では、どのように語ったらいいだろうか?
…単なるお話や聖書の説明に終わるのではなく、人格をもっておられる神様ご自身が現れてくださいますように。 | | 2017-12-30 20:35:45[投稿番号:33] |
祝祷の奉仕 | | 今日の礼拝奉仕。。。 | きょうの礼拝奉仕は、久しぶりに祝祷奉仕のみであった。しかしこれも重大な奉仕。皆さんをあたたく迎えることも奉仕!
静かに祈っていると大好きな賛美 が聞こえて来た。「愛する天の父よ・・・」そしてザイラーの祈りの言葉を思い出した。「神よ。私はこの朝、あなたに向かって目覚めました。私の最初の言葉は、”神よ。我が父よ。”という言葉です。私の最初の喜びは、あなたが私の父であられることです。
共に父なる神様を礼拝できる家族が与えられていることを感謝します! | | 2017-12-21 20:54:42[投稿番号:32] |
霊性のクラス 5回目 | | 毎日の礼拝! | | 霊性のクラスは、今週5回目を迎えます。前半は霊性史の学び(カトリックの歴史、ギリシャ正教の歴史、そしてプロテスタントの歴史へ)、後半は今、毎日の礼拝(ディボーション)についての学びや分かち合いを続けています! とても大切な学びだと思います。皆さんと最も大切な学びが出来ることを感謝します! | | 2017-11-06 22:36:06[投稿番号:30] |
2000〜3000人の集会に参加して | | 韓国の教会自身が悔い改めつつある! | 集会に参加して驚いた!悔い改めを、自分たちの国(政府)に求めるのではなく、他の誰かに求めるのでもない。ただ自分たちが悔い改めることについて真剣に考え、実行していた。偉そうな言い方ですが韓国の教会に再生の望みがあると思った。そして日本の教会はどうかと考えた。私たちもこういう韓国の教会から学びたい。
集会のテーマはReformであったが、正に真の改革は悔い改めから始まるといえる。これまで個人の霊性ばかり考えていたが、教会全体の霊性も考えないといけないことを知らされた。旅行中であったが、素晴らしい集会に参加出来、感謝します! | | 2017-10-26 10:24:28[投稿番号:29] |
忙しい中で… | | 運転しながら神様との会話 | 先週から今週の火曜日まで、特に忙しい毎日が続いた。予定表を見るとスケジュールがびっしり書かれている。土曜日の夜の集会(芥見教会)に向かって車を走らせながら、神様にお祈りしました。お祈りというよりも、神様とのおしゃべりでした。今、特に重荷に感じていること、またこれから始まる集会のことなど、いろいろ。心が軽くされ、いつでもどこでも、共にいて歩んでいてくださる神様の臨在(感)が戻ってきた!神様とおしゃべりできる恵みを味わうことができた。集会の帰り、運転をしていると電話が入った。家内からの電話。○○兄の心臓が止まったので、○○病院に運ばれた!そのまま、○○病院に直行。そこで、○○兄の召天を確認した。次の日曜日は、岩倉ではなく、一宮教会で礼拝奉仕。そのあと戻って、葬儀の打ち合わせなど。火曜日に○○兄の葬儀を行った。悲しみの中にも確かな望みがあった!
…忙しさの中にも共にいてくださる神様の恵みは変わらない!だから、これからも、この神様とお喋りを大切にしたい! | | 2017-10-18 11:19:29[投稿番号:19] |
霊性のクラスが始まった! | | 共に主の道を歩んでいくクラスに | | チャレンジャスなクラスが始まった!知的な面だけでなく、全人格的に、御子と御霊に導かれて、成熟の道を求めていくクラスになればと願っている。「霊性」…これほど幅広いテーマはない。アプローチもいろいろ。よいバランスを求めながら、一回、一回のクラスを大切に進めていきたい。 | | 2017-10-07 06:37:48[投稿番号:17] |
霊性のクラス準備中 | | 最後まで、自分でまとめない! | | 東海宣教会議でのメッセージを聞きながら、来週から始まる「霊性のクラス」(東海聖書神学塾、毎木曜日)の内容についてもう一度考え直しています。知的な学びだけに終わらず、全人格的に学び、教えられ、分かち合い、少しでも成熟の道を求めていくクラスになりますように。自分自身も、どのように歩み、生きているのか問われていくように思います。内住の御霊に満たされ、導かれていけますように。…私の人生の終わりについて、自分で考え、自分でまとめていこうとしていたように思います。最後の最後まで、神様に捧げて、お任せしていかなければいけないと教えられています。感謝いたします。 | | 2017-09-30 18:50:27[投稿番号:16] |
とてもよかった宣教会議! | | 終わって帰ってきました! | | 交わりも研修も、分かち合いも、すべてが充実してよい宣教会議だったと思います。また、前回の宣教会議5と比べて、新しい世代の方々がいろいろな分野で奉仕しておられ、目に見張るものがありました。大感謝!また、オー先生のメッセージを通して、多くのことを教えられました。心動かされ、私自身の残された生涯における奉仕についてチャレンジを受けました。再献身させられました。本当によかったです。…それから、私がお交わりをした方々が限られていたのかもしれませんが、もし聖霊派のみなさんが来られていなかったとしたら、少し残念でした。。。多くの恵みを感謝します。ハレルヤ! | | 2017-09-13 20:45:11[投稿番号:15] |
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