お祈り感謝いたします!
生検の検査結果が出ました。
皆さん、お祈り感謝いたします。

生検の検査結果が出て、昨年は問題があってステージ1という診断でしたが、今回は何もなかった(!)ということでした。

結果を聞くために、昨日病院に行きました。進行しているかもしれないし、同じかもしれないし、ひょっとしたらなくなっているかもしれないと思っておりましたが、答えは、何も見つからなかったということでした。
思わず、お医者さんの前で「感謝!」と叫んでしまいました。もちろん、生検で全て分かった訳ではありませんので、これからも、3か月ごとに経過観察していくことになります。

いずれにしても、お祈りを感謝いたします。ちょうど、子ども達も帰ってきておりましたので、皆で、感謝を分かち合いました。

ちょうど木曜日の朝は、2サムエル記7章を読みました。神様がダビデに対して溢れるばかりの恵みと憐れみをもって語られました。ダビデは、この神様に対して心からの感謝を捧げている箇所でした。18節にこうあります。

「ダビデ王は【主】の前に出て、座して言った。「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。」

病院に行く前も、まさにこのみことばを心に留め、祈りました。
「私は何者でしょうか、私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。」

神様は、これからどのように導かれるか分かりません。ただ、「人間をとる漁師にしてくださった」ので、この召しを最後まで全うさせていただきたいと思います。

感謝とともに、また再出発させていただきます。
2025-08-22 18:08:42[投稿番号:451]

「ちょうどいいかげんな組織神学的聖霊論」を求めて
今朝、訂正した最終稿を送りました!
今朝、校正していただいた最終稿をチェックして再送しました。これで、全て終わりました。神様と出版社の谷口さんたちに感謝し、お祈りしました。

以前触れましたように、現在は、「ちょうどいいかげんな聖霊神学的聖霊論」に基づいて、「ちょうどいいかげんな組織神学的聖霊論」の準備をしています。10月から始まる秋学期のクラス準備(私塾:聖霊論IV)であり、また導かれれば、また『舟の右側』用の原稿として再執筆することになるかもしれません。どのようであっても、神様のみこころなら、そうなるし、そうでなければ、そうならないでしょう。

「組織神学的な聖霊論」の準備の中で、あらためて、聖霊論が、神学の世界でも、実際の牧会やクリスチャン生活でも、なぜ「後回し」になってしまったのか理由を考え、整理しています。

確かに、御子イエス様が中心であり、「それでいいではないか」という意見もあります。ただし、キリスト中心だけで本当にいいのか、また、御子と御霊中心はいけないのかを考えながら、聖霊論をやりつづけています。この質問は、私の心の中で、たぶんずっと続いていくと思います。

私としては、確かにキリスト中心であるが、キリストの御霊も色々な面で、私達の領域で重大であることを確認したり、訴えたり、実践したりしていきたいと願っています。これが、私自身のささやかな「聖霊運動」です!

さて、少しだけ、ご聖霊のことが「第三のお方」になるだけでなく、実際的に、なぜ「後回し」になってしまったか、理由をいくつか挙げてみたいと思います。これらは、歴史的、神的的、実際的理由です。

第一:「フィリオクエ」の問題があります。私としては、これが、最大の歴史的神学的問題で、現在の私達にも、ここからの影響が続いていると考えます。また、いつか詳細に触れたいと思います。

第二:第一とつながっていますが、これを受け継いだカトリック教会(ギリシャ正教と分離)では、例外があるかもしれませんが、聖霊はあまり重視されず、むしろ、「教会」が重視され、聖霊(の働き)は、「恵み」ということば置き換えられていったと思われます。

第三:このカトリック教会の傾向を、この後、出て来るプロテスタント教会(プロテスタントの初期のリーダーたちはいずれも、元カトリック教徒)も受け継いだと思われます。もし例外を上げると、カルヴァンは、彼が書いたよく知られている「キリスト教綱要」の中でご聖霊のことを非常によく取り上げています(後の改革派に大きな影響を与えている)。

第四:その後出て来るリベラルな神学者たちにとって、また、クリスチャンでない多くの人々にとって、三位一体論もそうですが、ご聖霊のことについては、一番理解しにくい問題の一つであったと思われます。ヨハネ14章17節にあるとおりです。聖霊は、目で見ることができず(その働きの結果は見えても)、一番信仰が必要なお方、教えであると言えます。

第五:第四の続きですが、クリスチャンたちにとっても、ご聖霊ほど信仰の要るお方はいないからです。体験もありますが、基本的には、聖霊についての聖書のみことばを信じるだけだからです。変な言い方ですが、みことば信仰が必要です!

第六:「灯台下暗し」という問題もあります。ご聖霊は、私(たち)ひとり一人のあまりにも近くで、ともにいて(内住)、ともに導いてくださるので、聖霊の臨在と働きに気づかない、気づけないという問題があると思います。

最後にもう一つだけ触れておきましよう。
第七:20世紀に入って、第一、第二、第三の聖霊の波が起こりました。そして、そのたびに、キリスト教界に様々な混乱や問題が起こりました。そんなことで、他の教会(聖霊派ではない福音派)の多くが、そのような問題に直面し、また見聞きして、ある種の聖霊運動だけでなく、ご聖霊ご自身からも「引いてしまう」という問題が起こりました。実際にあったし、今もあると思います。

また、それぞれについて、機会が与えられれば、より詳しくお話ができれば感謝です!ここまで、お読みくださり、感謝します! 猛暑の中も、守られますように。
2025-08-15 18:17:58[投稿番号:450]

2泊3日の入院から戻りました!
お祈りを感謝いたします。
昨日、退院したのですが、本当に疲れてしまいました。一年前にも、生検のための入院をしたのですが、今回は特に大変でした。しかし、戻ることができ、きょうはだいぶ元気になれました。お祈りを感謝いたします。

入院中は、他の、入院しておられたり、治療中の兄姉の大変さを感じたり、目がさえている時には、教会の兄姉やその他の方々のこと、ひとり一人を思いながら、お祈りしました。第一日目は、たくさん本を読みましたが、二日目は全くなにもできませんでした。

今度の礼拝に、ゲストスピーカーをお願いしています。本当によかったです。神様が、豊かに語ってくださいますように。

すみません。短いですが、きょうはここまでです。感謝いたします。
2025-08-08 20:04:27[投稿番号:449]

サムエル記からも教えられています!
いよいよ、『舟の右側」の原稿も最後になりました
8月に入りましたので、『舟の右側」の原稿(第45回用)も最後になりました。これまで、三年半以上、「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動を求めて」の連載をさせていただきましたが、最終回を迎えました。

このような機会をいただかなければ、決して考えることがなかったであろう、ご聖霊についての様々な学びと発見があります。最近のことで言えば、聖霊論のゆえに、(個人的な)救済論と教会論の近似性があります。ご聖霊の働きから見れば、両者はほとんど同時で、ほとんど一つで、相互に親密な関係があることが分かります。現代的には、個人性と教会性を必要以上に区分してしまいそうですが、聖霊の働きから言えば一つです。

かつて、「教会性」を非常に強調していた時代(また考え方)がありましたが、たいていそういう場合には、教会は聖霊を飲んでいたと思われます。今、あらためて、個人と教会の緊密な関係を聖霊論的視点から見直したいと思っています。

今は、私塾の秋学期のために、上記の続きとして、「ちょうどいいかげんな組織神学的な聖霊論をもとめて」を準備しています。これまでの聖書神学的な聖霊論を組織神学的なものにまとめられれば幸いです。

今年の1月16日から創世記のディボーションを始め、モーセ五書の後は、ヨシャア記、士師記、ルツ記、歴代誌、エズラ、ネヘミヤ、エステル記に来ました。ここからどこに行こうかと迷いましたが、もう一つの歴史である、サムエル記、列王記に戻ることにしました。

今は、サムエル記11章まで来ましたが、サムエル記に戻って本当によかったと思っています。ハンナの献身、預言者サムエルの働き、不思議な王サウルなどから、また新しく教えられるからです。忘れることが多いので、新鮮な思いで、みことばに向き合い、新しく教えられる恵みは格別です!
これからも、少しずつ少しずつ、教えられていきたいですね。。ハレルヤ!
2025-08-01 20:32:13[投稿番号:448]

永遠のいのちの豊かさや広がり
神様にある色々な交わりの恵み
「永遠のいのち」とは、永遠の神様との交わり、神様を知り、神様に知られる交わりであると言えます。ヨハネ17章3節にある通りです。類似した言い方としては、同じヨハネ10章14-15節にもあります。

これらのことについては以前も触れたことがありますので、今回は、さらにこの永遠のいのちの交わりの結果、またその豊かさや広がりについて触れたいと思います。つまりこれは、神様との交わりを基にして、さらに同じ神様を信じ、永遠のいのちの恵みに与っている他の兄姉との交わりのことです。「交わり」とは、同じ神様にあって、与えられている本当の自由(つまり、全く強制のないこと)の中で、互いに知り合い、影響し合っていくことだろうと思います。

神様との永遠のいのちの交わりの恵みは、確かに、同じ神様にある兄姉との交わりに繋がっており、これは、当然のこととして広がったり、狭まったり、豊かなものです。例えば、私の最近の予定で言いますと、来週の月曜日はオンラインで、「若手?牧師会」がありますし、火曜日は、初めての試みですが、近所の牧師さんたちとの交わり食事会をする予定です。水曜日も、市内と近隣の牧師さんたちとの祈り会や分かち合いをすることになっていますし、木曜日は教会の聖書研究祈祷会です。

なんでこんなに「交わり」をするんでしょうか。ただ、交わりが好きだからというだけではなく、言いわけかもしれませんが、先ほどの永遠のいのちの恵みの祝福の効果(いい意味の副作用)であると考えます。神様は、私たちに、まず何よりも神様ご自身との交わりを与えてくださいますが、それだけではなく、さらにこの恵みを広げてくださいます。つまり、神様にあって、他の兄姉との交わりを導き、広げ、深めてくださるということです。たぶん、これが、天国の交わりの準備や予型になっていくのでしょう。

以前いただいたぶどうが美味しかったので、その種を土に埋めておいたら、発芽し、今では、その枝は、縦60センチ、横1メートル以上に伸びています。これからどうしようと不安になってきているほど、ドンドン増大しています。ただ、この様子を見ながら、ヨハネの15章5節などにある、イエス様のぶどうの木のたとえを思い出しています。これは、イスラエルであり、永遠のいのちの交わりを表しています。今は、もうほとんど、「ぶどうの木(中心の軸)」(イエス様)とその「枝」(私たち)の区別ができないほどになっています。

これこそ、永遠のいのちの交わりの本当の姿ではないかと考えます。中心は、私たちと神様(御子)との交わりです。しかしそれだけではなく、神様との交わりを中心に、他の兄姉(ぶどうの木の枝)との交わりも豊かに備えられています。

神様にあるいろいろな交わりは、永遠のいのちの恵みのしるしであり、結果であり、天の御国の交わりを指し示していると思います。「交わり」を大切にしましょう! 「交わり」の恵みを感謝します。 ハレルヤ!
2025-07-25 17:42:52[投稿番号:447]

最近読んでいる聖書から…
「ネヘミヤ書」のすばらしさ!
最近、ディボーションで「ネヘミヤ書」を読んでいます。久しぶりに読んだ書なのか、いろいろなことを発見し、教えられ、恵まれています。前半の7章までをまとめてみました。

*1章:自分と自分の家の罪を告白し、神様の前にへりくだっています。イスラエルが、バビロン捕囚にあってから何年経ったのか正確には分かりませんが(神殿が再建されてから70年位経過)、この時期にも、真のイスラエル(レムナント?)がここにいたのです。

*2章:王の質問に、彼は、まず「ネヘミヤの神様」に祈ってから答えたとあります。彼にとって、神様がどんなに身近なお方であったか、また、当時の彼の王より偉大なお方であったか、よく分かります。大切なことであればあるほど、まず神様にお聞きしたいです。

*3?4章:城壁の再建に対して様々な抵抗がある中で、ネヘミヤたちが「神様に祈りつつ、また日夜見張りをおいた」と記されている所に注目しました。この場合、一方だけでなく、両方を同時に行っていたと思われます。このことは、現代の様々な出来事に適用できると思います。

*5?6章:最後の19節に、ネヘミヤらしい祈りのことばがあります。それは、「私の神よ!」です。この後も、繰り返し「私の神」が出て来ています。この書は、ネヘミヤ自身の霊的日記のようです。私たちも、ネヘミヤのようにいつでも、個人的に呼びかけられる神様がおられることに大感謝です。

*7章(?8章以下へ):ついに、城壁の完成!こうしてネヘミヤは、さらに神のみことば(律法)に基づき、神殿を中心とした、神様にある新しい生活を教え、導いていく(8章以下へ)。ここで、どうしても必要なことは、神殿と城壁だけでなく、神様のみことばです。彼は、エズラを用いて、イスラエルの民が、神様の教えに理解し、これに従い、生活を整えていくことを導いていきます。

ネヘミヤ書は、これほどに豊かな教えを含んでいます。皆さんも、ぜひお読みください。ハレルヤ!
2025-07-18 17:57:59[投稿番号:446]

ご聖霊について今考えていること、やっていること
聖書神学的な聖霊論のまとめが終わろうとしています!
3年半ちょっと続きましたが、全部で45回、『「ちょうどいいかげんな聖霊神学と聖霊運動」を求めて』を終わることができます(あと一回)。

聖霊神学はそれなりにまとめることができたかもしれませんが、その後にある聖霊運動はどうなってしまったかな、と思っています。あと付け(いいわけ)ですが、これが聖書的な聖霊論に少しでも近いものであれば、ここから、聖書的な、真の聖霊運動が生まれて来るに違いないと思っています。また、そのように願っています。読んで下さっている兄姉の心と生活の中(また其々の教会の交わり)に、聖書的で、真の、ご聖霊の臨在と働きが生まれて来ることを願っています。これこそ、真の、聖霊運動であると言えるでしょう。

今は、少しずつですが、これまで横にしてきたもの(聖書神学的な聖霊論)を縦にしたい(組織神学的な聖霊論)と試みています。大それたことはできませんが、聖書神学的にまとめたものは、今の私たちの信仰生活や教会生活に適用されていく必要があります。今の状況を意識しながら、少しでも、聖霊論的な問いかけをしていきたいと思っています。

かつて読んだ、聖霊論関係の書物を引っ張り出し、もう一度調べ直していますが、たくさんのことを忘れてしまっていることにショックを覚えています。いろいろメモったり、線は引いてあるのですが・・・。どこまでできるか分かりませんが、「ちょうどいいかげんな組織神学的な聖霊論」を求め、またその恵みによって生かされていきたいと願っています。共にいてくださる神様のお許しと助けの中で、導かれていきたいと思います。これも、ハレルヤです!
2025-07-11 18:00:30[投稿番号:445]

私塾の春学期が終わりました!
ヨハネの福音書(前半)、教会形成論、旧約の解釈学?(前半)
今週、私塾の春学期が終わりました。今学期は、新しい多くの塾生が与えられて、共にゆっくり進めることができました。そのために、ヨハネの福音書のクラスも旧約の解釈学?も、予定の半分くらいしか進めず、どちらも、夏学期でも続けてやることになりました。これも感謝です。

今回、初めて「教会形成論」をやりました。要望がありましたので、これまで、「若手?牧師会」で学んできました「教会の刷新を求めて」という論文を基にして、一緒に学ぶことができました。トリニティー神学校(大学)で学んだこと(牧会学)を少しでもお分かちできたらと願っていましたので、よい機会が与えられ、感謝します。参加して下さった方々は、神学生、または神学校を卒用したばかりの兄姉で、教会形成、または牧会などに非常に関心をもっておられ、たくさんの質問を受けながら、クラスを進めることができました。これも、感謝でした!

前にもどこかで書きましたが、私自身、ここまで来るまでに、なんと多くの方々から学ぶ恵みが与えられたことでしょうか。少しでも、この恵みを、次世代の兄姉にお返しすることが私の願いであり、また喜びです。

来週から、また夏学期が始まります。今回は、ヨハネの福音書(後半)と旧約の解釈学?(後半)で、春学期の続きになります。クラスの数は一つ減り、少しホッとしています。何とか、暑い(熱い)夏学期も乗り切り、守られますように。感謝いたします。

『舟の右側」の連載もあと二回です。きょう、原稿を送りましたので、残すところあと一回になります。内住の御霊と向き合い、御霊に満たされて歩ませていただきたいと思います。ハレルヤ!
2025-07-04 16:09:20[投稿番号:444]

永遠のいのちの交わりの継続…
先週のつづき?
今週は、月曜日から水曜日まで、掛川市のつま恋で、4団体(福音自由、聖契、聖約、同盟福音)の牧師たちの研修会・交わり会がありました。14年ぶりに開催され、約120人の牧師たち、宣教師たちが集まりました。

参加を決心する前にはいろいろ迷いましたが、最後の交わりになるかもしれないと思い、行くことにしました。できるだけ知らない人とも交わりたいと思っていましたが、それだけではなく、何十年ぶりにお会いできた懐かしい方々もいました。

時々、何かの集会の案内があっても、参加しないほうを選んでしまいがちでしたが、今回は、思い切って出て行ってよかったと思いました。確かに、私と同年代の方々は少なく、私よりも先輩の牧師たちは僅かでしたが、教えられました。身体的に弱さをもっておられるにもかかわらず、頑張って交わりに入って来られていました。私の何年か先を見ているようでした。いろいろな交わりがありましたが、どれも感謝です。神様にある永遠のいのちの交わりの素晴らしさを感じました!

二日目の午後には自由時間があり(自由な分科会とスポーツ)、私は、この時間を使って、「聖霊について」のお話をさせていただきました。ほとんど準備しないで、参加者の皆さんとの「座談会」風のものを考えておりましたが、たぶん、そんな感じの分科会になったようです。15人位の方々が参加してくださいました。ご聖霊のことについて、そこまで学べたことは初めてでした、という牧師さんもおられました。予定の時間は、1時間半でしたが、なんと、3時間続きました。いろいろ、質問やコメントをしてくださった皆さんに感謝いたします。これからも、御父と御子と御霊の枠組みのなかでの、ご聖霊の臨在と働き(役割)についてさらに考え、求めていきたいと思います。ハレルヤ!
2025-06-27 19:47:39[投稿番号:443]